NEWS
Web Little Diamonds Vol.16
プロへの準備を進める2人
来季からレッズでプロ選手としてスタートする野崎雅也と矢島慎也はその準備を本格的に進めている。12月11日(日)の高円宮杯プレミアリーグ最終戦で、浦和レッズユースとしての公式戦をすべて終えた両選手に話を聞いた。
自分のゴールと涙で締めた最終戦―野崎雅也
野崎雅也は、高円宮杯最終戦の青森山田高戦で0-2とリードされた後半8分に1点を返し反撃の狼煙を上げると、2-2となった42分、逆転の決勝 ゴールを挙げた。
いったんサポーターの下へ向かおうとしたが、身を翻し逆サイドのベンチに駆け寄り、仲間と抱き合おうとする直前、目には涙が浮かんでいた。仲間との最後の試合を自分のゴールで飾ることができ、感極まっての涙だった。試合後、選手を代表して挨拶に立ったときも涙をこらえながら、感謝の意を表していた。
ジュニアユース時代はFW、攻撃的MFとして活躍し、得点機会も多かったが、レッズユースでは2年生のときからボランチでプレー。試合の組み立てに重点を置きシュート数が激減していたが、今季はこのゴールが6点目。チャンスには積極的にゴールを狙う姿勢が目立ってきた。これもプロを意識してのことかもしれない。
8月に矢島慎也とともにトップ昇格が内定し、同時にトップ出場可能なユース選手として登録された。Jリーグ、ナビスコカップでの出場はなかったが、10月12日の天皇杯2回戦では後半24分に出場し、トップデビューを果たした。
Jリーグ開幕の1993年8月3日生まれ。6年間のレッズ生活を経て、プロへの道を歩みだす。
◆野崎雅也
「これまで2点取られたらシュンとしてしまうことが多かったですが、今日は勝ちたい気持ちと、3年生が最後ということもあったのか、試合中にネガティブなことを言う選手がいなかったです。みんな大丈夫、やれるという気持ちでいました。この仲間は一生仲間としてあり続けると思いますから、お互いに刺激し合って、それぞれの夢に向かって高め合えればいいかな、と思います。2点目を決めたときには、ベンチの方に向かったら、試合に出ていない3年生2人を見た瞬間に、(涙が)来ちゃいました。
サポーターへの挨拶ですか?何を言ったかな(笑)。でも、まず感謝、ということが一番ありました。こういう経験ができたのもサッカーをやってきたからなので、家族には本当に感謝しています。あとは来季もっと強くなって後輩たちが良いサッカーをしてくれると思うので、また見に来てください、というのは言いました。
(昇格内定後変わったことは)一番変わったのは意識かな、と思います。練習が終わった後、キック1本1本に魂を込めて、じゃないですけど、ミスしないんだ、という気持ちで蹴っていました。
(6年間で身につけたプロとしても大事なことは)監督、コーチからのアドバイスを聞いて自分のものにして、毎日自分を省みて課題に向き合って、少しずつ良くなるという向上心みたいなものは身についたと思います。
(浦和レッズの誇りについて)自分たちが負けた試合の後に、サポーターの人たちが泣いてくれているのを間近で見て、浦和レッズは負けちゃいけないし、常にかっこ良くなければいけないと思いました。
(矢島慎也は)僕たちの中では絶対的な存在でした。夏以降、僕たちがトップの練習に参加するようになってから、ユースの練習でも周りがミスすると、すごく厳しく言うようになって、プロ意識を持ってやってるな、と思いました。プレーでは、慎也に預ければ何とかしてくれるというのがあって、自分たちが慎也を支えていれば最後に点を取ってくれるという気持ちがありました」
高円宮杯プレミアリーグ(東)で得点王―矢島慎也
矢島慎也は、最終戦こそゴールはなかったが、18試合で12得点を挙げ、高円宮杯プレミアリーグのイーストブロックで得点王に輝いた。インサイドハーフまたはワントップだったが、攻撃時にポジションが流動的になるのがレッズユースの特徴で、スタートポジションに関わらず、ゴールチャンスに 顔を出すことが多かった。正確なプレースキックも持ち味で、セットプレー、あるいは流れからのアシストも含めて多くの得点に絡んだ。
ジュニアユース時代から攻撃的MF、FWとして活躍。ユースでも1年生のときから公式戦に出場していた。今季はトップの練習試合でゴールを決めた経験もある。また11月16日の天皇杯3回戦では、山田直輝とともにインサイドハーフで先発フル出場し、惜しいシュートも放った。
1994年1月18日生まれ。来年の始動日によっては17歳でのプロスタートになるかもしれない。北浦和サッカー少年団で山田直輝より3年下。JリーグでもU22日本代表でも活躍する大先輩とまったく同じ道を歩んできた。プロとしても直輝に追いつき、追い越す活躍ができるか。
◆矢島慎也
「アカデミーで過ごした6年間は、いろいろあって一言では言えないですけど、楽しかったです。
(6年間で培ったものは)勝ちたい気持ちというのは、ジュニアユース、ユースを通じてずっと言われ続けていたことですが、それはプロになってだん だん慣れていくことで無くなっていくものなのかな、と思っているんです。ですから、6年間持ち続けた、勝ちたいという気持ちは、なくさずにずっと持っていたいと思っています。
(トップへの昇格が決まってから変わったことは)周りの見る目が、あいつはプロになるんだから、できるんだろうというふうに変わってきて、特に堀さんには昇格が決まってから怒られるようになりました。いつもどおりのプレーをしているつもりだったんですけど、『いや、お前はもっとできるだろう』と。そういう部分で変わってきたと思います。
(浦和レッズのプライドはどこで培われた)サポーターですね。遠いところでも応援に来てくれたりとか。浦和レッズはサポーターがいて浦和レッズだと思っているので、サポーターの人たちには感謝を忘れないでプレーすることが大事だと思っています。
(プレミアリーグ・イーストで得点王になったが)最終戦では取れなかったですが、チームのスタイルとして、みんなでパスを回して最後は誰かが決める、というものですから、みんなでチャンスを作り出した結果、最後のシュートが自分に回ってくることが多かったと考えています。みんながいてくれ ての得点王だと思っています。
(これから来年のプロスタートまで何を)休むところは休んで、もしも始動からトップの練習に呼ばれるなら、課題を克服するためにユースでやっている練習以上の力を出さないとうまくならないと思います。
(野崎雅也はどんな選手)理論派で、考えてサッカーをやる選手なので、自分とは正反対ですね(笑)。いろんなサッカーの試合もけっこう見ているの で、ここをこうすればこうなる、というものを持っています。試合のときにピッチの中でそれを判断して、どういうふうに打開していくかを考えてくれていたんで、勝った試合ではその力が大きかったのかな、と思います。でも、今日は2点決めましたけど、もっとシュートを打っていいかな、と感じることは多かったです。そこはプロに揉まれてどうなるか、ですね」
来季からレッズでプロ選手としてスタートする野崎雅也と矢島慎也はその準備を本格的に進めている。12月11日(日)の高円宮杯プレミアリーグ最終戦で、浦和レッズユースとしての公式戦をすべて終えた両選手に話を聞いた。
自分のゴールと涙で締めた最終戦―野崎雅也
野崎雅也は、高円宮杯最終戦の青森山田高戦で0-2とリードされた後半8分に1点を返し反撃の狼煙を上げると、2-2となった42分、逆転の決勝 ゴールを挙げた。
いったんサポーターの下へ向かおうとしたが、身を翻し逆サイドのベンチに駆け寄り、仲間と抱き合おうとする直前、目には涙が浮かんでいた。仲間との最後の試合を自分のゴールで飾ることができ、感極まっての涙だった。試合後、選手を代表して挨拶に立ったときも涙をこらえながら、感謝の意を表していた。
ジュニアユース時代はFW、攻撃的MFとして活躍し、得点機会も多かったが、レッズユースでは2年生のときからボランチでプレー。試合の組み立てに重点を置きシュート数が激減していたが、今季はこのゴールが6点目。チャンスには積極的にゴールを狙う姿勢が目立ってきた。これもプロを意識してのことかもしれない。
8月に矢島慎也とともにトップ昇格が内定し、同時にトップ出場可能なユース選手として登録された。Jリーグ、ナビスコカップでの出場はなかったが、10月12日の天皇杯2回戦では後半24分に出場し、トップデビューを果たした。
Jリーグ開幕の1993年8月3日生まれ。6年間のレッズ生活を経て、プロへの道を歩みだす。
◆野崎雅也
「これまで2点取られたらシュンとしてしまうことが多かったですが、今日は勝ちたい気持ちと、3年生が最後ということもあったのか、試合中にネガティブなことを言う選手がいなかったです。みんな大丈夫、やれるという気持ちでいました。この仲間は一生仲間としてあり続けると思いますから、お互いに刺激し合って、それぞれの夢に向かって高め合えればいいかな、と思います。2点目を決めたときには、ベンチの方に向かったら、試合に出ていない3年生2人を見た瞬間に、(涙が)来ちゃいました。
サポーターへの挨拶ですか?何を言ったかな(笑)。でも、まず感謝、ということが一番ありました。こういう経験ができたのもサッカーをやってきたからなので、家族には本当に感謝しています。あとは来季もっと強くなって後輩たちが良いサッカーをしてくれると思うので、また見に来てください、というのは言いました。
(昇格内定後変わったことは)一番変わったのは意識かな、と思います。練習が終わった後、キック1本1本に魂を込めて、じゃないですけど、ミスしないんだ、という気持ちで蹴っていました。
(6年間で身につけたプロとしても大事なことは)監督、コーチからのアドバイスを聞いて自分のものにして、毎日自分を省みて課題に向き合って、少しずつ良くなるという向上心みたいなものは身についたと思います。
(浦和レッズの誇りについて)自分たちが負けた試合の後に、サポーターの人たちが泣いてくれているのを間近で見て、浦和レッズは負けちゃいけないし、常にかっこ良くなければいけないと思いました。
(矢島慎也は)僕たちの中では絶対的な存在でした。夏以降、僕たちがトップの練習に参加するようになってから、ユースの練習でも周りがミスすると、すごく厳しく言うようになって、プロ意識を持ってやってるな、と思いました。プレーでは、慎也に預ければ何とかしてくれるというのがあって、自分たちが慎也を支えていれば最後に点を取ってくれるという気持ちがありました」
高円宮杯プレミアリーグ(東)で得点王―矢島慎也
矢島慎也は、最終戦こそゴールはなかったが、18試合で12得点を挙げ、高円宮杯プレミアリーグのイーストブロックで得点王に輝いた。インサイドハーフまたはワントップだったが、攻撃時にポジションが流動的になるのがレッズユースの特徴で、スタートポジションに関わらず、ゴールチャンスに 顔を出すことが多かった。正確なプレースキックも持ち味で、セットプレー、あるいは流れからのアシストも含めて多くの得点に絡んだ。
ジュニアユース時代から攻撃的MF、FWとして活躍。ユースでも1年生のときから公式戦に出場していた。今季はトップの練習試合でゴールを決めた経験もある。また11月16日の天皇杯3回戦では、山田直輝とともにインサイドハーフで先発フル出場し、惜しいシュートも放った。
1994年1月18日生まれ。来年の始動日によっては17歳でのプロスタートになるかもしれない。北浦和サッカー少年団で山田直輝より3年下。JリーグでもU22日本代表でも活躍する大先輩とまったく同じ道を歩んできた。プロとしても直輝に追いつき、追い越す活躍ができるか。
◆矢島慎也
「アカデミーで過ごした6年間は、いろいろあって一言では言えないですけど、楽しかったです。
(6年間で培ったものは)勝ちたい気持ちというのは、ジュニアユース、ユースを通じてずっと言われ続けていたことですが、それはプロになってだん だん慣れていくことで無くなっていくものなのかな、と思っているんです。ですから、6年間持ち続けた、勝ちたいという気持ちは、なくさずにずっと持っていたいと思っています。
(トップへの昇格が決まってから変わったことは)周りの見る目が、あいつはプロになるんだから、できるんだろうというふうに変わってきて、特に堀さんには昇格が決まってから怒られるようになりました。いつもどおりのプレーをしているつもりだったんですけど、『いや、お前はもっとできるだろう』と。そういう部分で変わってきたと思います。
(浦和レッズのプライドはどこで培われた)サポーターですね。遠いところでも応援に来てくれたりとか。浦和レッズはサポーターがいて浦和レッズだと思っているので、サポーターの人たちには感謝を忘れないでプレーすることが大事だと思っています。
(プレミアリーグ・イーストで得点王になったが)最終戦では取れなかったですが、チームのスタイルとして、みんなでパスを回して最後は誰かが決める、というものですから、みんなでチャンスを作り出した結果、最後のシュートが自分に回ってくることが多かったと考えています。みんながいてくれ ての得点王だと思っています。
(これから来年のプロスタートまで何を)休むところは休んで、もしも始動からトップの練習に呼ばれるなら、課題を克服するためにユースでやっている練習以上の力を出さないとうまくならないと思います。
(野崎雅也はどんな選手)理論派で、考えてサッカーをやる選手なので、自分とは正反対ですね(笑)。いろんなサッカーの試合もけっこう見ているの で、ここをこうすればこうなる、というものを持っています。試合のときにピッチの中でそれを判断して、どういうふうに打開していくかを考えてくれていたんで、勝った試合ではその力が大きかったのかな、と思います。でも、今日は2点決めましたけど、もっとシュートを打っていいかな、と感じることは多かったです。そこはプロに揉まれてどうなるか、ですね」