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堀 孝史トップチームコーチの監督就任について
ミハイロ ペトロヴィッチ監督との契約解除に伴い、トップチームの堀 孝史コーチが監督に就任することになりましたので、お知らせいたします。
【氏名】堀 孝史(ほり たかふみ)
【生年月日】1967年9月10日生まれ(49歳)
【出身地】神奈川県厚木市出身
【選手歴】神奈川県立鎌倉高校-明治大学-東芝-浦和レッズ-ベルマーレ平塚(現:湘南ベルマーレ)
【出場歴】
J1リーグ 188試合出場 14得点
J2リーグ 65試合出場 4得点
リーグカップ戦 39試合出場 4得点
天皇杯 25試合出場 3得点
JSL 41試合出場 9得点
【指導歴】
2002年~2003年 湘南ベルマーレ 普及・育成コーチ、Jrユースコーチ
2004年 湘南ベルマーレ コーチ
2005年~2006年 浦和レッズユース コーチ
2007年~ 浦和レッズユース 監督
2011年10月~12月 浦和レッズ監督
2012年~ 浦和レッズコーチ
<プロフィル>
神奈川県厚木市出身。明治大学卒業後、JSLの東芝で2シーズンプレーした後、1992年、Jリーグ参入が決まっていた浦和レッズに加入。主に右サイドバックやボランチでプレーし、的確なポジショニングと体を張ったファイト溢れるプレーでチームを牽引した。1999年にベルマーレ平塚(現:湘南ベルマーレ)に移籍。3シーズンプレーし、2001年に現役を引退。翌2002年から湘南ベルマーレの下部組織のコーチを経て、2005年~2006年まで浦和レッズユースコーチ、2007年から浦和レッズユースの監督を務め、2008年には第19回高円宮杯全日本ユースU-18選手権でレッズユースを初優勝に導いた。浦和レッズユースの監督を務めていた2011年には、J1残留争いの渦中にあったトップチームの指揮をシーズン途中から執り、翌2012年より、ミハイロ ペトロヴィッチ前監督体制下でトップチームのコーチを務めた。
<淵田敬三代表コメント>
「本日、ミハイロ ペトロヴィッチ監督との契約を解除し、合わせて、杉浦大輔コーチとの契約も解除いたしました。
ペトロヴィッチ監督は、残留争いをした2011シーズン後に監督に就任し、低迷していたチームを攻撃的で魅力あるチームに変えてくれました。リーグでの継続した優勝争い、9年ぶりのタイトル獲得となったYBCルヴァンカップ優勝、AFCチャンピオンズリーグ4回の出場、そしてクラブ経営の安定化にも貢献してくれました。この5年半の功績には、大きな尊敬と感謝を抱いています。杉浦コーチも、ペトロヴィッチ監督をよく支え、チームに尽くしてくれました。あらためて、2人には感謝申し上げます。
しかし、今シーズン、チームは4月30日以降のリーグ12試合で3勝1分け8敗と苦しい状況が続き、ここ数試合の内容や結果を見てもはっきりとした改善の兆しが見られませんでした。リーグ優勝という、目指していたものと乖離した状況を改善するためには、苦渋の決断となりましたが、契約を解除することとなりました。
ただ、この5年半、歩んだ方向性は、決して間違っていないと考えています。ですから、トップチームを指導してきた堀孝史コーチに監督に就任していただくことで、いままで取り組んできた攻撃的なサッカーを継続しつつ、ふたたびチームに活力を取り戻し、リーグでの上位進出、ACL、ルヴァンカップなどのタイトルを狙って戦って行ければと考えております。
ファン・サポーターのみなさまには、ご心配をおかけし、大変申しわけありませんが、新体制のもと、クラブは全力を尽くしてチームを支えて参りますので、引き続き、共に闘ってくださいますよう、お願い申し上げます」
【氏名】堀 孝史(ほり たかふみ)
【生年月日】1967年9月10日生まれ(49歳)
【出身地】神奈川県厚木市出身
【選手歴】神奈川県立鎌倉高校-明治大学-東芝-浦和レッズ-ベルマーレ平塚(現:湘南ベルマーレ)
【出場歴】
J1リーグ 188試合出場 14得点
J2リーグ 65試合出場 4得点
リーグカップ戦 39試合出場 4得点
天皇杯 25試合出場 3得点
JSL 41試合出場 9得点
【指導歴】
2002年~2003年 湘南ベルマーレ 普及・育成コーチ、Jrユースコーチ
2004年 湘南ベルマーレ コーチ
2005年~2006年 浦和レッズユース コーチ
2007年~ 浦和レッズユース 監督
2011年10月~12月 浦和レッズ監督
2012年~ 浦和レッズコーチ
<プロフィル>
神奈川県厚木市出身。明治大学卒業後、JSLの東芝で2シーズンプレーした後、1992年、Jリーグ参入が決まっていた浦和レッズに加入。主に右サイドバックやボランチでプレーし、的確なポジショニングと体を張ったファイト溢れるプレーでチームを牽引した。1999年にベルマーレ平塚(現:湘南ベルマーレ)に移籍。3シーズンプレーし、2001年に現役を引退。翌2002年から湘南ベルマーレの下部組織のコーチを経て、2005年~2006年まで浦和レッズユースコーチ、2007年から浦和レッズユースの監督を務め、2008年には第19回高円宮杯全日本ユースU-18選手権でレッズユースを初優勝に導いた。浦和レッズユースの監督を務めていた2011年には、J1残留争いの渦中にあったトップチームの指揮をシーズン途中から執り、翌2012年より、ミハイロ ペトロヴィッチ前監督体制下でトップチームのコーチを務めた。
<淵田敬三代表コメント>
「本日、ミハイロ ペトロヴィッチ監督との契約を解除し、合わせて、杉浦大輔コーチとの契約も解除いたしました。
ペトロヴィッチ監督は、残留争いをした2011シーズン後に監督に就任し、低迷していたチームを攻撃的で魅力あるチームに変えてくれました。リーグでの継続した優勝争い、9年ぶりのタイトル獲得となったYBCルヴァンカップ優勝、AFCチャンピオンズリーグ4回の出場、そしてクラブ経営の安定化にも貢献してくれました。この5年半の功績には、大きな尊敬と感謝を抱いています。杉浦コーチも、ペトロヴィッチ監督をよく支え、チームに尽くしてくれました。あらためて、2人には感謝申し上げます。
しかし、今シーズン、チームは4月30日以降のリーグ12試合で3勝1分け8敗と苦しい状況が続き、ここ数試合の内容や結果を見てもはっきりとした改善の兆しが見られませんでした。リーグ優勝という、目指していたものと乖離した状況を改善するためには、苦渋の決断となりましたが、契約を解除することとなりました。
ただ、この5年半、歩んだ方向性は、決して間違っていないと考えています。ですから、トップチームを指導してきた堀孝史コーチに監督に就任していただくことで、いままで取り組んできた攻撃的なサッカーを継続しつつ、ふたたびチームに活力を取り戻し、リーグでの上位進出、ACL、ルヴァンカップなどのタイトルを狙って戦って行ければと考えております。
ファン・サポーターのみなさまには、ご心配をおかけし、大変申しわけありませんが、新体制のもと、クラブは全力を尽くしてチームを支えて参りますので、引き続き、共に闘ってくださいますよう、お願い申し上げます」