NEWS
東日本大震災等復興支援 子供たちとのサッカー交流会(山田町)
7日、浦和レッズは岩手県の下閉伊郡山田町、上閉伊郡大槌町の小学校を訪問し、サッカーを通じた子供たちの心のケアを目的とする活動「東日本大震災等復興支援 子供たちとのサッカー交流会」(共催:国連の友アジア-パシフィック)を、トップチームの選手たちが行った。この活動は、浦和レッズが継続して取り組んでいる東日本大震災復興支援プログラムの一環で、トップチームの選手たちが被災地での活動を行うのは昨年の宮城県に続き2度目、岩手県での活動は今回が初めてとなった。また、本プロジェクトとしては、2011年7月のハートフルクラブによる「ハートフルサッカー in 東北」で岩手県内5市町を訪問してから始まり7回目となった。サッカー交流会は、24人の選手とハートフルクラブのコーチ2人を山田町と大槌町の二手に分けて行われた。
山田町にある山田北小学校を訪れたのは、山田暢久、マルシオ リシャルデス、永田 充、加藤順大、関口訓充、森脇良太、野田紘史、槙野智章、宇賀神友弥、大谷幸輝、阪野豊史、原口元気、野崎雅也の13選手とハートフルクラブの神野真郎コーチ。1年生から6年生まで66名の児童たちと一緒にサッカーを楽しんだ。
小学校を訪問する前に、被災地となった山田町の町内を見た選手たちは、捻じ曲げられたガードレールや、倒壊した体育館などの光景を見て、みな一様に驚きの声を発していた。山田町役場を訪れた選手たちは山田町教育委員会の佐々木毅委員長を表敬訪問した。加藤から委員長にレッズローズが手渡され、槙野からは選手のサイン入りユニフォームが贈られた。その後、役場の屋上に上がって、山田町の町並みを一望した選手たちは、今もなお津波の爪痕が残る光景を目の当たりにした。しばらくの間、言葉を失ったように沈黙していた選手たちだったが、職員の方から津波が押し寄せた当時の状況を詳しく聞くと、自ら質問して当時の状況をさらに理解しようと努めていた。
「山田町の町並みを見ましたが、想像を絶するような光景でした。たくさんの人の努力でここまで回復したとは思いますが、復興までにはまだまだ時間が掛かるのかなと思います」
今回が初めての被災地訪問となった森脇は、言葉で言い表せない現状と、復興に尽力する人々の努力を労った。
この日はあいにくの雨となり、交流会開始のセレモニーは山田北小学校の体育館で行われた。選手たちが姿をあらわすと、児童たちが目を輝かせて近寄ってきた。槙野、森脇、原口らは、言葉で挨拶をかわすより先に、児童とボールを蹴ったり、バスケットボールをして交流を深めていた。佐々木信一校長からの挨拶が終わると、森脇から選手のサイン入りフラッグが贈られた。その後は校庭に出て、神野コーチが中心となり、選手と児童たち全員が一緒になって明るく元気な声が校庭に響き渡っていた。
最初は、スキップしながらのランニングや、ジャンケンゲームなどが行われ、児童たちは人懐っこく選手たちに寄り添うようにして体を動かしていた。選手たちが、自らのテクニックを披露すると、児童たちから大歓声があがった。槙野がオーバーヘッドキックを見せると、先生方も目を丸くして驚いた表情を見せていた。チーム対抗戦のゲームになると、児童たちはさらなる盛り上がりを見せた。
校庭でのボールを使った交流会が終わると、再び体育館に戻って昼食会が行われた。児童たちの輪の中に1、2人の選手が入って、雑談を交わしながら昼食を食べていた。その後、数人の児童たちから選手たちへ感謝の気持ちが述べられ、選手への質問コーナーなども行いながら、さらに互いの交流が深まっていった。最後は参加者全員で集合写真の撮影が行われ、レッズのスタッフやファン・サポーターから募った支援金で作られたナップザックが贈られた。帰り際になっても選手たちにサインをもらったり、握手をしたりして、児童たちは名残惜しそうに選手たちの側を離れようとしなかった。
バスに乗り込んで出発する際も、校舎のベランダから大きな声で別れの挨拶をする児童たち。それに対して選手たちも大きな声で挨拶を返して山田北小学校を後にした。「もっとやりたかったなー」という声が、バスの中から聞こえてきた。物足りなさを感じていた選手もいたようだが、どの選手も晴れ晴れとした表情で、バスの車窓から児童たちが見えなくなるまで手を振って別れの挨拶をしていた。
この後、一行はホテルに帰り、着替えを済ませて帰路への準備を行った。そして、橋本光夫代表から宿泊した「三陸花ホテルはまぎく」の立花和夫総支配人にレッズローズを贈呈させていただき、埼玉への帰路についた。
【加藤順大】
「僕個人としては3回目の被災地訪問と復興支援になりましたが、やはり来てみて分かることは多かったです。『埼玉から遠いところを…』とよく言われますが、ここまで来る大変さよりも、復興にあたる方々のほうがはるかに大変です。子供たちはみんな目が輝いていて、逆に自分が元気をもらった印象です。復興するまでにはまだ時間が掛かると思いますが、日本は一つという絆を胸に刻んで、少しでもその力になれるようにこれからも継続してやっていきたいです。みんなとサッカーをやれて本当によかったと思います」
【マルシオ リシャルデス】
「被災地を見て回りましたが、今までに経験したことがないような気持ちになりました。山田町役場の屋上から周りを眺めたときに、心が締め付けられるような感覚になりました。言葉では表現しづらく、とても辛い気持ちになりました。子供たちは今までの過程の中でいろいろな出来事があったと思いますが、そういった中でも明るく元気な笑顔を見せてくれました。僕も子供たちから元気をもらいましたし、少なくとも、いま僕らにできることを子供たちに与えることができたと思っています。子供たちの笑顔を見れたことが、今日最も価値観を感じた瞬間でしたし、とても幸せな気持ちになりました。本当に来てよかったと思っています。
子供たちには、常に自分の目標をもってほしいと思います。僕もそうだったのですが、戦うことによって必ず何か掴めるものがあります。もちろん壁はあると思うし、難しい場面もあるかと思います。それでも諦めることなく走り続ければ、いつか自分が思い描いた未来が掴めると思っています」
【森脇良太】
「山田町の町並みを見ましたが、想像を絶するような光景でした。たくさんの人の努力でここまで回復したとは思いますが、本当の復興までにはまだまだ時間が掛かるのだろうと思いました。ましてや震災があった当時に関してはもっとすごかったと思うと、自分でも説明がつかない気持ちになりました。現場をじかに見て、なんとも言えない気持ちがわき上がるということを今回初めて経験させていただきました。
子供は元気いっぱいで目がキラキラ輝いていたし、僕らもたくさんのパワーをいただいたので、またこのパワーをピッチの上で還元しなければいけないと思います。サッカーをやっていて僕自身はここ最近納得できるプレーができていないので、またしっかり練習したいとあらためて感じました。被災地に来てこのような経験をさせていただいたのは初めてでしたが、継続していくことでたくさんのお手伝いができると思います。今回は選手が来ましたが、レッズのスタッフ、ハートフルクラブは何年もかけてこのような活動をしているので、僕ら選手も少しでも子供たちと触れ合っていきたいですし、できる限り協力したいと思います」
【宇賀神友弥】
「子供たちは震災があったことを感じさせない元気さで、自分たちが逆に元気をもらってしまったと思います。自分たち以上にパワフルで、明るく振る舞っている姿が印象的でした。復興支援に来たのに、自分たちが子供たちと一緒になって楽しんで元気をもらったという印象です」
【阪野豊史】
「今回が被災地は初めての訪問となりましたが、テレビで見るよりも実際に見た方が心に残るイメージは強かったです。子供たちとは、お昼の時間に『今なんの勉強をしてるの』とか、『何のスポーツをしてるの』といった他愛もない話をしていました。震災で悲しい思いをした子も大勢いたと思いますが、それについてはそう簡単に言葉を掛けられませんでした。最初はなかなか質問しても答えてくれなかった子が、時間を掛けて話しかけていくうちに、向こうから積極的に話しかけてきてくれることもありました。ただ僕らはサッカー選手ですから言葉というよりはサッカーを通じて、自分がいいプレーをして元気を与えられるようにしたいですし、僕らのプレーを見ることで、これから子供たちが頑張っていってもらえるようになれればうれしいです」
【浦和レッズオフィシャルメディア(URD:OM)】
■東日本大震災等復興支援 子供たちとのサッカー交流会(大槌町)はこちら
山田町にある山田北小学校を訪れたのは、山田暢久、マルシオ リシャルデス、永田 充、加藤順大、関口訓充、森脇良太、野田紘史、槙野智章、宇賀神友弥、大谷幸輝、阪野豊史、原口元気、野崎雅也の13選手とハートフルクラブの神野真郎コーチ。1年生から6年生まで66名の児童たちと一緒にサッカーを楽しんだ。
小学校を訪問する前に、被災地となった山田町の町内を見た選手たちは、捻じ曲げられたガードレールや、倒壊した体育館などの光景を見て、みな一様に驚きの声を発していた。山田町役場を訪れた選手たちは山田町教育委員会の佐々木毅委員長を表敬訪問した。加藤から委員長にレッズローズが手渡され、槙野からは選手のサイン入りユニフォームが贈られた。その後、役場の屋上に上がって、山田町の町並みを一望した選手たちは、今もなお津波の爪痕が残る光景を目の当たりにした。しばらくの間、言葉を失ったように沈黙していた選手たちだったが、職員の方から津波が押し寄せた当時の状況を詳しく聞くと、自ら質問して当時の状況をさらに理解しようと努めていた。
「山田町の町並みを見ましたが、想像を絶するような光景でした。たくさんの人の努力でここまで回復したとは思いますが、復興までにはまだまだ時間が掛かるのかなと思います」
今回が初めての被災地訪問となった森脇は、言葉で言い表せない現状と、復興に尽力する人々の努力を労った。
この日はあいにくの雨となり、交流会開始のセレモニーは山田北小学校の体育館で行われた。選手たちが姿をあらわすと、児童たちが目を輝かせて近寄ってきた。槙野、森脇、原口らは、言葉で挨拶をかわすより先に、児童とボールを蹴ったり、バスケットボールをして交流を深めていた。佐々木信一校長からの挨拶が終わると、森脇から選手のサイン入りフラッグが贈られた。その後は校庭に出て、神野コーチが中心となり、選手と児童たち全員が一緒になって明るく元気な声が校庭に響き渡っていた。
最初は、スキップしながらのランニングや、ジャンケンゲームなどが行われ、児童たちは人懐っこく選手たちに寄り添うようにして体を動かしていた。選手たちが、自らのテクニックを披露すると、児童たちから大歓声があがった。槙野がオーバーヘッドキックを見せると、先生方も目を丸くして驚いた表情を見せていた。チーム対抗戦のゲームになると、児童たちはさらなる盛り上がりを見せた。
校庭でのボールを使った交流会が終わると、再び体育館に戻って昼食会が行われた。児童たちの輪の中に1、2人の選手が入って、雑談を交わしながら昼食を食べていた。その後、数人の児童たちから選手たちへ感謝の気持ちが述べられ、選手への質問コーナーなども行いながら、さらに互いの交流が深まっていった。最後は参加者全員で集合写真の撮影が行われ、レッズのスタッフやファン・サポーターから募った支援金で作られたナップザックが贈られた。帰り際になっても選手たちにサインをもらったり、握手をしたりして、児童たちは名残惜しそうに選手たちの側を離れようとしなかった。
バスに乗り込んで出発する際も、校舎のベランダから大きな声で別れの挨拶をする児童たち。それに対して選手たちも大きな声で挨拶を返して山田北小学校を後にした。「もっとやりたかったなー」という声が、バスの中から聞こえてきた。物足りなさを感じていた選手もいたようだが、どの選手も晴れ晴れとした表情で、バスの車窓から児童たちが見えなくなるまで手を振って別れの挨拶をしていた。
この後、一行はホテルに帰り、着替えを済ませて帰路への準備を行った。そして、橋本光夫代表から宿泊した「三陸花ホテルはまぎく」の立花和夫総支配人にレッズローズを贈呈させていただき、埼玉への帰路についた。
【加藤順大】
「僕個人としては3回目の被災地訪問と復興支援になりましたが、やはり来てみて分かることは多かったです。『埼玉から遠いところを…』とよく言われますが、ここまで来る大変さよりも、復興にあたる方々のほうがはるかに大変です。子供たちはみんな目が輝いていて、逆に自分が元気をもらった印象です。復興するまでにはまだ時間が掛かると思いますが、日本は一つという絆を胸に刻んで、少しでもその力になれるようにこれからも継続してやっていきたいです。みんなとサッカーをやれて本当によかったと思います」
【マルシオ リシャルデス】
「被災地を見て回りましたが、今までに経験したことがないような気持ちになりました。山田町役場の屋上から周りを眺めたときに、心が締め付けられるような感覚になりました。言葉では表現しづらく、とても辛い気持ちになりました。子供たちは今までの過程の中でいろいろな出来事があったと思いますが、そういった中でも明るく元気な笑顔を見せてくれました。僕も子供たちから元気をもらいましたし、少なくとも、いま僕らにできることを子供たちに与えることができたと思っています。子供たちの笑顔を見れたことが、今日最も価値観を感じた瞬間でしたし、とても幸せな気持ちになりました。本当に来てよかったと思っています。
子供たちには、常に自分の目標をもってほしいと思います。僕もそうだったのですが、戦うことによって必ず何か掴めるものがあります。もちろん壁はあると思うし、難しい場面もあるかと思います。それでも諦めることなく走り続ければ、いつか自分が思い描いた未来が掴めると思っています」
【森脇良太】
「山田町の町並みを見ましたが、想像を絶するような光景でした。たくさんの人の努力でここまで回復したとは思いますが、本当の復興までにはまだまだ時間が掛かるのだろうと思いました。ましてや震災があった当時に関してはもっとすごかったと思うと、自分でも説明がつかない気持ちになりました。現場をじかに見て、なんとも言えない気持ちがわき上がるということを今回初めて経験させていただきました。
子供は元気いっぱいで目がキラキラ輝いていたし、僕らもたくさんのパワーをいただいたので、またこのパワーをピッチの上で還元しなければいけないと思います。サッカーをやっていて僕自身はここ最近納得できるプレーができていないので、またしっかり練習したいとあらためて感じました。被災地に来てこのような経験をさせていただいたのは初めてでしたが、継続していくことでたくさんのお手伝いができると思います。今回は選手が来ましたが、レッズのスタッフ、ハートフルクラブは何年もかけてこのような活動をしているので、僕ら選手も少しでも子供たちと触れ合っていきたいですし、できる限り協力したいと思います」
【宇賀神友弥】
「子供たちは震災があったことを感じさせない元気さで、自分たちが逆に元気をもらってしまったと思います。自分たち以上にパワフルで、明るく振る舞っている姿が印象的でした。復興支援に来たのに、自分たちが子供たちと一緒になって楽しんで元気をもらったという印象です」
【阪野豊史】
「今回が被災地は初めての訪問となりましたが、テレビで見るよりも実際に見た方が心に残るイメージは強かったです。子供たちとは、お昼の時間に『今なんの勉強をしてるの』とか、『何のスポーツをしてるの』といった他愛もない話をしていました。震災で悲しい思いをした子も大勢いたと思いますが、それについてはそう簡単に言葉を掛けられませんでした。最初はなかなか質問しても答えてくれなかった子が、時間を掛けて話しかけていくうちに、向こうから積極的に話しかけてきてくれることもありました。ただ僕らはサッカー選手ですから言葉というよりはサッカーを通じて、自分がいいプレーをして元気を与えられるようにしたいですし、僕らのプレーを見ることで、これから子供たちが頑張っていってもらえるようになれればうれしいです」
【浦和レッズオフィシャルメディア(URD:OM)】
■東日本大震災等復興支援 子供たちとのサッカー交流会(大槌町)はこちら