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ミシャ監督 新潟戦試合後会見
明治安田生命J1リーグ第18節 vsアルビレックス新潟 試合後のコメント
「勝利しなければいけないという、我々の目的が達成されたと思います」
【質疑応答】
(川崎戦の後、レッズのサポーターに「新潟に負けたらこのチームを去る」と言ったという記事が新聞に出ていたが、それが事実であれば、残り15分くらいまで0-1だったときの心境はどんなものだったか?)
「それが事実だとしても、私は生き残った、ということです。
川崎戦まで話は戻ってしまいますが、川崎とは私自身、日本に来てから12シーズン対戦しています。私の率いるチーム、前チームやレッズを含めて、特に川崎とのアウェイでの対戦では、あまり相性がよくないのは事実です。
1-4で負けたという結果を見ると、我々が川崎に完敗したという評価をされると思いますが、私は、川崎より我々の方がベターな戦い方をしていたと評価しています。もちろん、結果が大事なのはわかります。川崎とのこれまでの対戦を振り返ってみると、川崎は我々のチームに対して、3回、4回と、我々の守備を崩した形で決定的なチャンスを作り出していました。ただ反対に、今回の対戦に関して言えば、1点目、2点目、あるいは3点目に関しても、決して自分たちの守備が崩された失点だったとは思っていません。失点の場面を振り返ってみても、戦術的には十分に対応できるだけの人はいたと、私は評価しています。我々のチームが川崎に与えたチャンスは、それほど多くはなかったと思います。1-4で負けたという結果を見る限り、我々が完敗したという強い印象を受けますけど、私は、監督として、メディアの方々が見ているような評価で試合を見ていないということです。
もうひとつ、私が言いたいのは、私が試合に負けた後に、ファン・サポーターのところに行って、サポーターの批判を受けるような状況の中で、浦和レッズの記事を書く、多くのメディアの方々が、笑っていたような状況を私は見逃してはいません。
レッズの記事を担当する方であれば、レッズに対して愛情を持って記事を書いていると、表面上はそういう振る舞いをするでしょう。ただ、私自身は、メディアの方がどういう状況なのか、どういう方々なのかというのは分かっています。すべての方がそうだとは決して思っていません。ただ、そういうものを私が実際に見た、ということは事実です。
まず、最初に私がサポーターのところに行った場面に関して私が言いたいことは、私は決して、サポーターに呼ばれて行ったわけではありません。私がバスの近くにいたところ、試合後の取材が終わってバスに乗り込んでいく選手たちに対して、サポーターが非常に大きな声で批判をしていました。選手たちが大きな声で批判される姿を見て、私がサポーターの前に言って話をしなければいけないと思いました。サポーターの方たちは怒っていましたけど、私自身は、冷静に話ができる状況になれると思っていましたし、クラブのスタッフからは非常に心配されましたけど、通訳さえいれば、私は十分に話をすることができます。
私自身は、勝った後にサポーターの前に行って、『勝ったぞ』という喜びを表現する監督ではありません。ただ、負けて選手たちが批判される状況に陥れば、私自身がサポーターの前に行って話をしなければいけない、そういうときもあります。私はそういう人間です。
私は、『新潟に負ければ、最初に私が去る』、そういう話はしました。ただ、私が何のために発言を行ったかというと、クラブの方々、社長や社員の方々は、この5年半、私と共に非常にすばらしい仕事をしてきました。そういう方々に対して非常に大きな圧力がかかるような場面で、私はその圧力を自分に向けたかったのです。自分がその圧力を背負うことによって、そういう方々に対して余計な圧力をかけたくない、そういう思いがあったからこその発言でした。
やはり、私自身は、これまで非常に厳しい人生を送ってきました。自分の人生の半分以上は外国で暮らしてきましたし、自分と、自分の家族が生きていくために、常に戦ってきました。そういう中で、選手たち、チームを見捨てて、自分だけが楽になろうとは、決して思いません。
我々はこの5年半の間で、一番ポイントを取っているチームです。間違いなく、一番上です。我々は、私が率いる6シーズンの間に4回ACLに出ています。そして今年は8強に残っています。2ステージ制が導入される前に、レッズのサポーターは2ステージ制になることには非常に反対していたと思います。そのときに、年間の勝ち点を取ることが真のチャンピオンだと、レッズのサポーター自体が言っていたと思います。ほとんどの方は忘れているかもしれませんが。
2016年、最もポイントを稼いだチームは我々です。74ポイントを取りました。我々はYBCルヴァンカップを手にし、そして年間で勝ち点を最も多く取った、リーグで優勝したチームです。そう考えれば、2016年は、レッズの歴史の中でも、最もいいシーズンだと見てもいいでしょう。
クラブはこの5年半の間に、レッズランドに2つの人工芝を貼り替えました。あと1ヵ月ちょっとで、大原サッカー場には新しいクラブハウスの増築が完成します。選手たちはそこで食事や仮眠ができる、そういう環境が整う建物を、クラブはつくることができました。
アーセン・ベンゲル監督は、21年、アーセナルで戦っています。私は少なくとも、この浦和レッズで10年は戦いたい、そういう強い気持ちを持っています。
やはり、私とクラブの絆は深いです。そして我々の、お互いにリスペクトする思いは非常に深いです。誰が、私が浦和レッズから去ることを決められるのか、それは見ている人たちではありません。そして、メディアでもありません。唯一、クラブだけが、私を解任することができます。
私の浦和レッズへの愛は非常に深く、大きいです。少なくとも、今の年俸より5倍もあるようなオファーがあっても、私はここを選択しました。
今年の1月22日に、私の母が亡くなりました。その2日前に、私は母と電話をすることがありました。本来であれば、すぐにでも飛んで母の元に駆けつけたい思いがありましたが、母が私に言ったのは、『あなたは今、トレーニングキャンプ中です。いかにあなたが自分の仕事を愛していて、そしてクラブを愛しているのかは、私自身が分かっています。だから来なくていい』、それが母の、最後の言葉でした。
だからこそ、私は自分の力の最後の一滴まで、このクラブのために戦います。それが、この間の川崎戦の後の話の、延長線にある話です」
(今日の勝利は、レッズのスタイルと言うより、選手の強い気持ちで2点を取れたというように感じたが、監督は選手たちの気持ちをどのように感じていたか?)
「今日のゲームであらためて分かったことは、こういう難しい状況にチームが陥ったとき、そこから這い上がっていくのが、他のチームよりも難しいということです。今日も我々は失点しましたけど、その理由が、なかなか説明がつかないような失点でした。
前半は立ち上がりからアグレッシブに戦い、チャンスをクリエイトする中で、いつ得点になってもおかしくないシーンが、私はいくつもあったと思います。ただ、なかなかそこを決めきれない、あるいはボールがゴールに嫌われるような状況でした。そういう中での、失点は相手のワンチャンスでした。
こういう状況でリードされる展開の中で、選手たちは非常に落ち着いて、自分たちのやるべきことをやってくれました。それが非常に良かったと思います。本来であれば、ああいう状況の中でロングボールを無駄に蹴ってしまったり、全員が前掛かりになる中でカウンターを受けたりする状況は、我々だけでなく、多くのチームで起こり得るシチュエーションです。そういう中でもみんなは落ち着いて、自分たちのやるべきことをしっかりと、オーガナイズを崩さずにできたこと、それがよかったのではないかと思います。
選手たちは非常に強い気持ちを持って今日の試合に臨み、戦い、勝利をもぎ取ってくれたと思います。ただ、何人かの選手たちは非常に疲労が溜まっている状況、なかなか本来の調子が出ていない状況であるのも確かです。まだまだ厳しいチーム状況は続くと思いますけど、我々は必ず、ここから這い上がっていきたいと思います。
決して忘れてはいけないのは、我々は水曜日に、非常にハードな川崎戦があった後、中3日でのゲームであったということです。3連戦の最後、非常に厳しいゲームだったと思います。新潟は1週間空いてのゲーム、そしてこの高い気温や湿度の中での試合であり、そのあたりのディスアドバンテージが大きいというのは、みなさんも十分に分かるのではないかと思います」
(今日の勝利で、仮に次のセレッソ大阪に負けても、辞めなくてもよいのではないか?)
「まず、私の監督としての哲学は、自分がこのクラブに10年残って仕事をしていく、そういう気持ち、考えの元で仕事をしている、ということです。ただ、反対に結果が出なければ、明日にでも解任されてしまう、そういう仕事であるのも確かです。
今の我々の状況を説明すれば、我々は船に乗っています。その船長は私で、その船には今、小さな穴が空いています。いかにその穴を修理して航海を続けるか、それが必要な状況です。ただひとつ、みなさんも知っていると思いますけど、船が壊れて沈みそうなとき、最後に船を降りるのは船長です。
私はクラブの方々に、非常に強い信頼を持って仕事をしています。私がはっきり言えることは、クラブの決定に対しては、100パーセントのリスペクトを持っています。私がどうあるかは、クラブが決めることです。
今日、試合前にバスを降りたとき、たくさんのカメラがいました。私が最後かなと思った方も多いかもしれませんけど、もう少し、私はがんばりますよ」
【浦和レッズオフィシャルメディア(URD:OM)】
「勝利しなければいけないという、我々の目的が達成されたと思います」
【質疑応答】
(川崎戦の後、レッズのサポーターに「新潟に負けたらこのチームを去る」と言ったという記事が新聞に出ていたが、それが事実であれば、残り15分くらいまで0-1だったときの心境はどんなものだったか?)
「それが事実だとしても、私は生き残った、ということです。
川崎戦まで話は戻ってしまいますが、川崎とは私自身、日本に来てから12シーズン対戦しています。私の率いるチーム、前チームやレッズを含めて、特に川崎とのアウェイでの対戦では、あまり相性がよくないのは事実です。
1-4で負けたという結果を見ると、我々が川崎に完敗したという評価をされると思いますが、私は、川崎より我々の方がベターな戦い方をしていたと評価しています。もちろん、結果が大事なのはわかります。川崎とのこれまでの対戦を振り返ってみると、川崎は我々のチームに対して、3回、4回と、我々の守備を崩した形で決定的なチャンスを作り出していました。ただ反対に、今回の対戦に関して言えば、1点目、2点目、あるいは3点目に関しても、決して自分たちの守備が崩された失点だったとは思っていません。失点の場面を振り返ってみても、戦術的には十分に対応できるだけの人はいたと、私は評価しています。我々のチームが川崎に与えたチャンスは、それほど多くはなかったと思います。1-4で負けたという結果を見る限り、我々が完敗したという強い印象を受けますけど、私は、監督として、メディアの方々が見ているような評価で試合を見ていないということです。
もうひとつ、私が言いたいのは、私が試合に負けた後に、ファン・サポーターのところに行って、サポーターの批判を受けるような状況の中で、浦和レッズの記事を書く、多くのメディアの方々が、笑っていたような状況を私は見逃してはいません。
レッズの記事を担当する方であれば、レッズに対して愛情を持って記事を書いていると、表面上はそういう振る舞いをするでしょう。ただ、私自身は、メディアの方がどういう状況なのか、どういう方々なのかというのは分かっています。すべての方がそうだとは決して思っていません。ただ、そういうものを私が実際に見た、ということは事実です。
まず、最初に私がサポーターのところに行った場面に関して私が言いたいことは、私は決して、サポーターに呼ばれて行ったわけではありません。私がバスの近くにいたところ、試合後の取材が終わってバスに乗り込んでいく選手たちに対して、サポーターが非常に大きな声で批判をしていました。選手たちが大きな声で批判される姿を見て、私がサポーターの前に言って話をしなければいけないと思いました。サポーターの方たちは怒っていましたけど、私自身は、冷静に話ができる状況になれると思っていましたし、クラブのスタッフからは非常に心配されましたけど、通訳さえいれば、私は十分に話をすることができます。
私自身は、勝った後にサポーターの前に行って、『勝ったぞ』という喜びを表現する監督ではありません。ただ、負けて選手たちが批判される状況に陥れば、私自身がサポーターの前に行って話をしなければいけない、そういうときもあります。私はそういう人間です。
私は、『新潟に負ければ、最初に私が去る』、そういう話はしました。ただ、私が何のために発言を行ったかというと、クラブの方々、社長や社員の方々は、この5年半、私と共に非常にすばらしい仕事をしてきました。そういう方々に対して非常に大きな圧力がかかるような場面で、私はその圧力を自分に向けたかったのです。自分がその圧力を背負うことによって、そういう方々に対して余計な圧力をかけたくない、そういう思いがあったからこその発言でした。
やはり、私自身は、これまで非常に厳しい人生を送ってきました。自分の人生の半分以上は外国で暮らしてきましたし、自分と、自分の家族が生きていくために、常に戦ってきました。そういう中で、選手たち、チームを見捨てて、自分だけが楽になろうとは、決して思いません。
我々はこの5年半の間で、一番ポイントを取っているチームです。間違いなく、一番上です。我々は、私が率いる6シーズンの間に4回ACLに出ています。そして今年は8強に残っています。2ステージ制が導入される前に、レッズのサポーターは2ステージ制になることには非常に反対していたと思います。そのときに、年間の勝ち点を取ることが真のチャンピオンだと、レッズのサポーター自体が言っていたと思います。ほとんどの方は忘れているかもしれませんが。
2016年、最もポイントを稼いだチームは我々です。74ポイントを取りました。我々はYBCルヴァンカップを手にし、そして年間で勝ち点を最も多く取った、リーグで優勝したチームです。そう考えれば、2016年は、レッズの歴史の中でも、最もいいシーズンだと見てもいいでしょう。
クラブはこの5年半の間に、レッズランドに2つの人工芝を貼り替えました。あと1ヵ月ちょっとで、大原サッカー場には新しいクラブハウスの増築が完成します。選手たちはそこで食事や仮眠ができる、そういう環境が整う建物を、クラブはつくることができました。
アーセン・ベンゲル監督は、21年、アーセナルで戦っています。私は少なくとも、この浦和レッズで10年は戦いたい、そういう強い気持ちを持っています。
やはり、私とクラブの絆は深いです。そして我々の、お互いにリスペクトする思いは非常に深いです。誰が、私が浦和レッズから去ることを決められるのか、それは見ている人たちではありません。そして、メディアでもありません。唯一、クラブだけが、私を解任することができます。
私の浦和レッズへの愛は非常に深く、大きいです。少なくとも、今の年俸より5倍もあるようなオファーがあっても、私はここを選択しました。
今年の1月22日に、私の母が亡くなりました。その2日前に、私は母と電話をすることがありました。本来であれば、すぐにでも飛んで母の元に駆けつけたい思いがありましたが、母が私に言ったのは、『あなたは今、トレーニングキャンプ中です。いかにあなたが自分の仕事を愛していて、そしてクラブを愛しているのかは、私自身が分かっています。だから来なくていい』、それが母の、最後の言葉でした。
だからこそ、私は自分の力の最後の一滴まで、このクラブのために戦います。それが、この間の川崎戦の後の話の、延長線にある話です」
(今日の勝利は、レッズのスタイルと言うより、選手の強い気持ちで2点を取れたというように感じたが、監督は選手たちの気持ちをどのように感じていたか?)
「今日のゲームであらためて分かったことは、こういう難しい状況にチームが陥ったとき、そこから這い上がっていくのが、他のチームよりも難しいということです。今日も我々は失点しましたけど、その理由が、なかなか説明がつかないような失点でした。
前半は立ち上がりからアグレッシブに戦い、チャンスをクリエイトする中で、いつ得点になってもおかしくないシーンが、私はいくつもあったと思います。ただ、なかなかそこを決めきれない、あるいはボールがゴールに嫌われるような状況でした。そういう中での、失点は相手のワンチャンスでした。
こういう状況でリードされる展開の中で、選手たちは非常に落ち着いて、自分たちのやるべきことをやってくれました。それが非常に良かったと思います。本来であれば、ああいう状況の中でロングボールを無駄に蹴ってしまったり、全員が前掛かりになる中でカウンターを受けたりする状況は、我々だけでなく、多くのチームで起こり得るシチュエーションです。そういう中でもみんなは落ち着いて、自分たちのやるべきことをしっかりと、オーガナイズを崩さずにできたこと、それがよかったのではないかと思います。
選手たちは非常に強い気持ちを持って今日の試合に臨み、戦い、勝利をもぎ取ってくれたと思います。ただ、何人かの選手たちは非常に疲労が溜まっている状況、なかなか本来の調子が出ていない状況であるのも確かです。まだまだ厳しいチーム状況は続くと思いますけど、我々は必ず、ここから這い上がっていきたいと思います。
決して忘れてはいけないのは、我々は水曜日に、非常にハードな川崎戦があった後、中3日でのゲームであったということです。3連戦の最後、非常に厳しいゲームだったと思います。新潟は1週間空いてのゲーム、そしてこの高い気温や湿度の中での試合であり、そのあたりのディスアドバンテージが大きいというのは、みなさんも十分に分かるのではないかと思います」
(今日の勝利で、仮に次のセレッソ大阪に負けても、辞めなくてもよいのではないか?)
「まず、私の監督としての哲学は、自分がこのクラブに10年残って仕事をしていく、そういう気持ち、考えの元で仕事をしている、ということです。ただ、反対に結果が出なければ、明日にでも解任されてしまう、そういう仕事であるのも確かです。
今の我々の状況を説明すれば、我々は船に乗っています。その船長は私で、その船には今、小さな穴が空いています。いかにその穴を修理して航海を続けるか、それが必要な状況です。ただひとつ、みなさんも知っていると思いますけど、船が壊れて沈みそうなとき、最後に船を降りるのは船長です。
私はクラブの方々に、非常に強い信頼を持って仕事をしています。私がはっきり言えることは、クラブの決定に対しては、100パーセントのリスペクトを持っています。私がどうあるかは、クラブが決めることです。
今日、試合前にバスを降りたとき、たくさんのカメラがいました。私が最後かなと思った方も多いかもしれませんけど、もう少し、私はがんばりますよ」
【浦和レッズオフィシャルメディア(URD:OM)】