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FCWC直前 特別コラム2007年編「初めての世界大会ではっきりわかったこと~2007FIFAクラブワールドカップから」
浦和レッズのFIFAクラブワールドカップ2023初戦まであと2日。各国の大陸王者のみが闘うことを許されるこの大会にどんな意味があるのか。その答えを探すべく、オフィシャル・マッチデー・プログラムでおなじみの清尾 淳ライターに過去2大会のFIFAクラブワールドカップの闘いを振り返る特別コラムを執筆いただきました。
当時を知っている方はそのころにおもいを馳せるために、そうでない方はぜひその時の空気を感じるために、初戦の前にご一読ください。
2007年FIFAクラブワールドカップ。
そこへの出場が決まったのは11月14日だったが、その日もその後しばらくも、世界大会出場、ということの実感を味わう余裕がなかった。初出場でアジアを制したことの喜びや、そこまでの道のり、そういうものをかみしめることで、僕の許容量を示すメーターはもうレッドゾーンを示していたに違いない。そして翌日からはリーグ戦との二冠を目指す闘いが待っていたし、それがなくなった12月1日のリーグ最終節は、目指していた二冠のうちの一つのリーグ戦の優勝がなくなったために血圧が140から60に急降下した感じで、立ち上がるのも難しかった。
そんなわけで、大会が近づくまで強く意識することはなかったFCWCだが、少年サッカーの取材を始めたころからずっと持っていた感意が現実のものとなった気持ちはあった。
ちなみに、僕に2007FCWCを語らせると長くなる。必ず前段から言わないと気が済まないからだ。気が短い人は2つ目の小見出しから読んで欲しい。
「サッカーは世界のスポーツ」の意味
僕がサッカーを仕事の対象にしたのは、1986年に少年スポーツを積極的に取材するようになってからだ。そのとき会った少年サッカーの指導者にこう教わった。
「サッカーというのは、少年から大人まで一つの協会に所属しているし、世界中の国と地域が国際サッカー連盟という一つの団体でまとまっているんだよ」
当時、その指導者は野球と対比して、そういう話をしていた。僕も野球にいくつもの団体があることは取材で知っていたので、その話が新鮮に感じた。
「だから、そのへんの街クラブが天皇杯で優勝して日本一になることだって不可能じゃないんだ。すごくないか」
だったら、街クラブが世界一にもなれるのか? トヨタカップに出られるのか?
そこはよくわからなかったが、トヨタカップは実質的にクラブ世界一を決める大会ではあっても本来の意味での「世界大会」ではないと聞いた。
まだ日本にプロサッカーリーグもない時代で、それを真剣に気にすることはなく、とにかく街クラブが日本一になる可能性がある、ということだけが印象に残った。
1993年、Jリーグが始まり、浦和レッズのサポーターが「浦和レッドダイヤモンズ、世界に輝け!」と歌っているのを聞いた。浦和レッズ後援会(かつてはレッドダイヤモンズ後援会)の会則には「浦和レッズを世界一のクラブにするために活動する」とあるのを見た。それで、あのときの思いがよみがえった。
そうだ。サッカーをやるならば、目指すのは日本一じゃない、世界一だ。サッカーとはそういうスポーツなんだ。
「サッカーは世界のスポーツ」とはよく言われるが、それはボール1つでみんなが楽しめ、世界で最も競技人口が多いスポーツという意味もあるが、どこからでも世界の頂点を目指せる、という意味もあるのではないか、と思った。
もっとも、当時のレッズは、世界一どころか、Jリーグの最下位を脱出するのも簡単ではない状況だったが、「いつか」という思いは、そのときからずっと持っていた。
「勝って当然」とは思わなかった準々決勝
2ndステージで優勝した2004年の最終節終了後、レッズサポーターは「GO TO ASIA」という文字をスタンドにビジュアルサポートで出した。
「CONGRATULATION」でも「BE THE CHAMP」でもない。チャンピオンシップで優勝するという目標を、「アジアに行く(ACLに出場する)」、という言葉で表現したのは、さすがだと思った。
2004年にそれは実現しなかったが、悲願成就は秒読みだった。
代表だけでなく、クラブも世界一を目指す。それがサッカー。そのことを早くから目標にしていた浦和レッズが2007年、ついにその場に立った。
12月10日(月)、レッズの初戦である準々決勝の会場、豊田スタジアムに入って、その思いが非常に強くなった。ACLに初出場で日本勢として初優勝という、とんとん拍子にここまで来たので、つい原点を忘れがちになったが、サッカークラブを推す者なら当然目指すべき舞台に自分たちがいる。その感慨にしばらくふけった。
準々決勝の相手は、ACL決勝で下したイランのセパハン。結果は3-1で、くしくもACL決勝の2試合合計と同じ。ある意味、順当な結果だったとも言えるが、決して簡単な試合だと思ってはいなかった。もし、ここで負けるようなことがあっては、ACL優勝の価値まで下がってしまう。絶対に勝たなければならないという緊張感があった。
多くのレッズサポーターも同じ気持ちだったのか、平日の19時半キックオフとあって、試合開始前は空席もあったスタンドだったが、終わるころには土日で昼間の名古屋戦かと思うくらい埋まっていた。おそらく誰も「勝って当然」とは考えていなかったに違いない。
勝つべき大会であるFCWC
そして12月13日の準決勝、ACミラン戦。
もちろん勝つ気で横浜国際総合運動場へ行った。だから、この日の試合前は、非常に腹立たしかった。そう言うだけでピンとくるレッズサポーターもいるに違いない。
スタンドを見ると、いつ買ったの?と思うほど真新しいミランのレプリカやマフラー。それを身につけているのは、たぶん日本人と思われる人たち。
トヨタカップならわかる。親善試合ならまだ許せる。
クラブ世界一を決める大会の準決勝。真剣勝負の試合で、対戦相手のグッズを身につけて席に座る、ということはレッズの敵に回るということだぞ。それも、数年来のミランファンで「やっと、この日が来た」という人ならともかく、きっと相手がインテルでもチェルシーでもマンUでも同じようにしたという人が多かったのではないか。
日本人なら浦和レッズを応援しろよ、と言っているようで、自分のポリシーとは違うのだが、この"ミラニスタ"風な人たちを、帰りはがっかりさせてやりたい、逆に来年はレッズを見に行こうかと思わせたい。そう思った。
その目論見は外れ、レッズはあまり多くのチャンスを作れず、後半1点を失って敗れた。
世界の頂点を目指して登ってきた道が、ここで閉ざされた気がした。スタンドに挨拶する選手の写真を撮りに回ったとき、手袋で目をぬぐった。やはり僕は本気で勝つつもりだったのだろう。
12月16日(日)の3位決定戦。ワールドカップと違い、決勝と同日に行われた。
アフリカ代表、チュニジアのエトワール・サヘルに2-2の同点の末のPK戦。点も2点入ったし、PK戦にも勝った。しかしGKの都築龍太が不満げだったのが印象的だった。2-1で勝っている75分、わずかなミスから追い付かれたからだろうか。それでも、これが決勝だったら違う振る舞いだったのではないかと思う。他の選手の笑顔も、どこか乾いていたように感じた。自分の心情がそうだったのだろうか。
目の前の試合を全力で戦った。その成果である世界3位。だが、その裏には3日前の準決勝で敗れたということがある。
対外的には誇れる結果だが、満足してはいけない。いつかこのFCWCで決勝へ、そして優勝を。
FIFAクラブワールドカップは、フェスティバルでも親善試合でもない。ヨーロッパの強豪と対戦することを目標にする大会でもない。
出場するだけでなく、勝つべき大会。世界一を目指す大会なのだということをはっきりと知った2007年の暮れだった。
(2017年編 近日公開予定)
清尾 淳 ◎浦和レッズ・オフィシャル・マッチデー・プログラム
石川県加賀市出身。中央大学卒業後の1981年、埼玉新聞社に就職し、以来浦和に在住。92年から業務で『浦和レッズ・オフィシャル・マッチデー・プログラム(MDP)』の編集を担当し、05年、埼玉新聞社を退職してフリーでMDPの編集に携わっている。
当時を知っている方はそのころにおもいを馳せるために、そうでない方はぜひその時の空気を感じるために、初戦の前にご一読ください。
2007年FIFAクラブワールドカップ。
そこへの出場が決まったのは11月14日だったが、その日もその後しばらくも、世界大会出場、ということの実感を味わう余裕がなかった。初出場でアジアを制したことの喜びや、そこまでの道のり、そういうものをかみしめることで、僕の許容量を示すメーターはもうレッドゾーンを示していたに違いない。そして翌日からはリーグ戦との二冠を目指す闘いが待っていたし、それがなくなった12月1日のリーグ最終節は、目指していた二冠のうちの一つのリーグ戦の優勝がなくなったために血圧が140から60に急降下した感じで、立ち上がるのも難しかった。
そんなわけで、大会が近づくまで強く意識することはなかったFCWCだが、少年サッカーの取材を始めたころからずっと持っていた感意が現実のものとなった気持ちはあった。
ちなみに、僕に2007FCWCを語らせると長くなる。必ず前段から言わないと気が済まないからだ。気が短い人は2つ目の小見出しから読んで欲しい。
「サッカーは世界のスポーツ」の意味
僕がサッカーを仕事の対象にしたのは、1986年に少年スポーツを積極的に取材するようになってからだ。そのとき会った少年サッカーの指導者にこう教わった。
「サッカーというのは、少年から大人まで一つの協会に所属しているし、世界中の国と地域が国際サッカー連盟という一つの団体でまとまっているんだよ」
当時、その指導者は野球と対比して、そういう話をしていた。僕も野球にいくつもの団体があることは取材で知っていたので、その話が新鮮に感じた。
「だから、そのへんの街クラブが天皇杯で優勝して日本一になることだって不可能じゃないんだ。すごくないか」
だったら、街クラブが世界一にもなれるのか? トヨタカップに出られるのか?
そこはよくわからなかったが、トヨタカップは実質的にクラブ世界一を決める大会ではあっても本来の意味での「世界大会」ではないと聞いた。
まだ日本にプロサッカーリーグもない時代で、それを真剣に気にすることはなく、とにかく街クラブが日本一になる可能性がある、ということだけが印象に残った。
1993年、Jリーグが始まり、浦和レッズのサポーターが「浦和レッドダイヤモンズ、世界に輝け!」と歌っているのを聞いた。浦和レッズ後援会(かつてはレッドダイヤモンズ後援会)の会則には「浦和レッズを世界一のクラブにするために活動する」とあるのを見た。それで、あのときの思いがよみがえった。
そうだ。サッカーをやるならば、目指すのは日本一じゃない、世界一だ。サッカーとはそういうスポーツなんだ。
「サッカーは世界のスポーツ」とはよく言われるが、それはボール1つでみんなが楽しめ、世界で最も競技人口が多いスポーツという意味もあるが、どこからでも世界の頂点を目指せる、という意味もあるのではないか、と思った。
もっとも、当時のレッズは、世界一どころか、Jリーグの最下位を脱出するのも簡単ではない状況だったが、「いつか」という思いは、そのときからずっと持っていた。
「勝って当然」とは思わなかった準々決勝
2ndステージで優勝した2004年の最終節終了後、レッズサポーターは「GO TO ASIA」という文字をスタンドにビジュアルサポートで出した。
「CONGRATULATION」でも「BE THE CHAMP」でもない。チャンピオンシップで優勝するという目標を、「アジアに行く(ACLに出場する)」、という言葉で表現したのは、さすがだと思った。
2004年にそれは実現しなかったが、悲願成就は秒読みだった。
代表だけでなく、クラブも世界一を目指す。それがサッカー。そのことを早くから目標にしていた浦和レッズが2007年、ついにその場に立った。
12月10日(月)、レッズの初戦である準々決勝の会場、豊田スタジアムに入って、その思いが非常に強くなった。ACLに初出場で日本勢として初優勝という、とんとん拍子にここまで来たので、つい原点を忘れがちになったが、サッカークラブを推す者なら当然目指すべき舞台に自分たちがいる。その感慨にしばらくふけった。
準々決勝の相手は、ACL決勝で下したイランのセパハン。結果は3-1で、くしくもACL決勝の2試合合計と同じ。ある意味、順当な結果だったとも言えるが、決して簡単な試合だと思ってはいなかった。もし、ここで負けるようなことがあっては、ACL優勝の価値まで下がってしまう。絶対に勝たなければならないという緊張感があった。
多くのレッズサポーターも同じ気持ちだったのか、平日の19時半キックオフとあって、試合開始前は空席もあったスタンドだったが、終わるころには土日で昼間の名古屋戦かと思うくらい埋まっていた。おそらく誰も「勝って当然」とは考えていなかったに違いない。
勝つべき大会であるFCWC
そして12月13日の準決勝、ACミラン戦。
もちろん勝つ気で横浜国際総合運動場へ行った。だから、この日の試合前は、非常に腹立たしかった。そう言うだけでピンとくるレッズサポーターもいるに違いない。
スタンドを見ると、いつ買ったの?と思うほど真新しいミランのレプリカやマフラー。それを身につけているのは、たぶん日本人と思われる人たち。
トヨタカップならわかる。親善試合ならまだ許せる。
クラブ世界一を決める大会の準決勝。真剣勝負の試合で、対戦相手のグッズを身につけて席に座る、ということはレッズの敵に回るということだぞ。それも、数年来のミランファンで「やっと、この日が来た」という人ならともかく、きっと相手がインテルでもチェルシーでもマンUでも同じようにしたという人が多かったのではないか。
日本人なら浦和レッズを応援しろよ、と言っているようで、自分のポリシーとは違うのだが、この"ミラニスタ"風な人たちを、帰りはがっかりさせてやりたい、逆に来年はレッズを見に行こうかと思わせたい。そう思った。
その目論見は外れ、レッズはあまり多くのチャンスを作れず、後半1点を失って敗れた。
世界の頂点を目指して登ってきた道が、ここで閉ざされた気がした。スタンドに挨拶する選手の写真を撮りに回ったとき、手袋で目をぬぐった。やはり僕は本気で勝つつもりだったのだろう。
12月16日(日)の3位決定戦。ワールドカップと違い、決勝と同日に行われた。
アフリカ代表、チュニジアのエトワール・サヘルに2-2の同点の末のPK戦。点も2点入ったし、PK戦にも勝った。しかしGKの都築龍太が不満げだったのが印象的だった。2-1で勝っている75分、わずかなミスから追い付かれたからだろうか。それでも、これが決勝だったら違う振る舞いだったのではないかと思う。他の選手の笑顔も、どこか乾いていたように感じた。自分の心情がそうだったのだろうか。
目の前の試合を全力で戦った。その成果である世界3位。だが、その裏には3日前の準決勝で敗れたということがある。
対外的には誇れる結果だが、満足してはいけない。いつかこのFCWCで決勝へ、そして優勝を。
FIFAクラブワールドカップは、フェスティバルでも親善試合でもない。ヨーロッパの強豪と対戦することを目標にする大会でもない。
出場するだけでなく、勝つべき大会。世界一を目指す大会なのだということをはっきりと知った2007年の暮れだった。
(2017年編 近日公開予定)
清尾 淳 ◎浦和レッズ・オフィシャル・マッチデー・プログラム
石川県加賀市出身。中央大学卒業後の1981年、埼玉新聞社に就職し、以来浦和に在住。92年から業務で『浦和レッズ・オフィシャル・マッチデー・プログラム(MDP)』の編集を担当し、05年、埼玉新聞社を退職してフリーでMDPの編集に携わっている。