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Comments from Tomoya UGAJIN retirement press conference
26日、前日に現役引退を発表した宇賀神友弥が大原サッカー場で会見に臨み、引退に至った理由や自身の現役生活、これからの目標、後輩たちやこれまで支えてきてくれたファン・サポーターへの思いなどを語った。
「みなさん、こんにちは。本日はお集まりいただきまして、ありがとうございます。引退会見でユニフォーム姿というのはなかなか見ないとは思いますが、15年前に浦和レッズに加入することが決まったときも、この場でユニフォーム姿で加入会見をさせていただいたので、終わるときもユニフォーム姿で終わりたいという意向を伝えさせていただきまして、この形になっています。そして、今シーズンはまだ終わっていないので、そういう気持ちも含めてスーツではなくユニフォーム姿で会見に臨ませていただきます。僕はしゃべるのが大好きなので、たくさん質問してください。よろしくおねがいします」
[質疑応答]
(現役引退を決めたきっかけは?)
「今シーズン、レッズに戻ってくることになって、最初の会見で『引退しにきたわけではない』ということを言わせていただきました。その中で、シーズンが進むにつれ、自分の立ち位置、立場が分かってくる中でも、とにかく試合に出るために毎日全力でやり続けてきました。その間にクラブともいろいろな話を続けていく中で、試合に絡めない、監督の構想に全く入っていないということが分かりながら練習するのはかなり厳しいということは堀之内さん(堀之内聖スポーツダイレクター)と話をさせていただいていて、自分なりにここまでなのかなということに日々葛藤していました。2週間前くらいですかね。チームとも話をしていく中で、来シーズン以降、自分もこのクラブの力からになれるのかどうか悩んでいるところがありますという話をして、選手としてはここまでなんじゃないかという話をされたときに、浦和レッズの力になれないのであれば、ここで終わるべきなんだと思ってそこで決断することにしました」
(昨日、現役引退を発表した際のコメントに「『宇賀神友弥』というプロサッカー選手として、1人の人間として、そして浦和の漢としての生き様を見せることはできたのではないか」とあった。あらためて宇賀神友弥の生き様とは?)
「自分自身、決してサッカーがうまい選手ではないと思いますし、何か飛び抜けた能力があるわけでもないと思っています。ただ、日ごろから、そしてピッチに立った際には最後の笛が鳴るまで100パーセントで闘い続ける、その背中を見た後輩たちがまたこのチームのために戦ってくれるというような、僕がたくさんの先輩たちから見せてもらってきたものをまたピッチで示すことができたということが『浦和の漢としての生き様』だったと思っています」
(現役引退発表についてSNSでたくさんの反応があったが、それらをゆっくり見る時間はあったのか?)
「昨日は発表してから本当にありがたいことに携帯電話が鳴り止まないというか、メッセージが来たり電話が来たり、なかなか落ち着いて見る時間はないですが、少しは拝見させていただきました。『宇賀神さんのプレーを見て日々元気が出ていました』とか、『自分の人生を変えてくれました』と言ってくれる人もいましたし、多くの人に影響を与えることができたというのは、あらためてサッカー選手冥利に尽きると感じています」
(ファン・サポーターの方々だけではなく街の人、浦和の方々だけじゃなくて出身地の戸田の方々と向き合った人生だったと思うが、サッカー選手として自分で誇れることは?)
「浦和レッズというクラブは熱いサポーターの方々がたくさんいて、浦和という街を大切にしていて、ということが印象として強いと思いますが、その浦和という街、レッズというクラブのために全てをかけて戦ってきたということが自分自身、一番自信を持って引退できることだと思います。埼玉スタジアムのピッチは日々の努力を披露する場だと思いますが、そのためには日々のトレーニングが大切で、トレーニングも1日も手を抜くことなく100パーセントでやり続けた15年だったということが自分としてもすごく誇らしいですし、自分を褒めてあげたいです」
(忘れられない試合、ゴール、アシストは?)
「忘れられない試合はもちろんたくさんありますが、勝てばホームでリーグ優勝を決めることができた(2014年11月22日の)ガンバ(大阪)戦がやっぱり忘れられないですね。このクラブに戻って来ると決めた日から、一つでも多くのタイトルをこのクラブにもたらしたいという思いだけで日々がんばってきましたし、2006年から獲ることができていないJリーグのタイトルを獲ることが僕の目標であり、このクラブに対する恩返しだと思っていたので、あの試合、あの最高の雰囲気で勝つことができなかった、僕自身にもビッグチャンスがあったので、それを決められなかったことが悔しい思い出として、うれしい思い出よりも残っています。
ゴールはたくさんはないですけど(笑)、印象に残っているのは多くの人が言ってくれるであろう(2018年12月9日にベガルタ仙台と対戦した)天皇杯決勝でのゴールが忘れられないですし、そこに至るまでのプロセスも含めて、自分自身も忘れられないゴールになりましたし、サポーターのみなさんからも『宇賀神といえばあれだよな』と言っていただけるゴールだと思います。
アシストもそんなに多かったわけではないですけど、そのガンバに負けた翌年、ホームでガンバに勝ったときのズラタン(リュビヤンキッチ)選手が決めたゴールのアシストは自分の人生、サッカー人生を表すようなアシストだったと思います。悔しい思いをあの場で結果という形で表現できたことはすごく印象に残るアシストだったと思います」
(「努力に勝る天才なし」という言葉を心に留めてレッズのために活躍していたが、宇賀神選手にとってレッズはどういうものか?)
「僕の人生そのものです。25年前にこの大原に初めて練習しに来た日を昨日のことのように覚えていますし、自分の人生の大半を占めるのがこの浦和レッズで、この赤いユニフォームで、このエンブレムがあって、僕の人生そのものだと思います」
(現役を引退した後、今後はどのようなことを考えているのか?)
「一度退団したときに多くのみなさんの前で言わせていただいたことがブレることはなく、このクラブのGM(ゼネラルマネージャー)になること、責任者になることが僕の次の最初の夢です。その夢を叶えた後は、このクラブがいるべき場所にもう一度戻さなくてはいけない。『それって何なの?』と言われたら、Jリーグと言ったら浦和レッズだよね、アジアを代表するクラブと言ったら浦和レッズだよね、世界にも通用するクラブだよね、と言われなければいけないクラブ、存在だと思います。自分はこのクラブをそういうクラブにすることを見据えて浦和レッズのGMになりたいと思っています。そして、このエンブレムを背負って戦う人間の覚悟と責任、そしてこのクラブを応援してくれるファン・サポーターの方々に自信を持って『俺は浦和レッズが好きなんだよ』、『浦和レッズは俺の人生なんだよ』と言ってもらえるようなクラブにしたいと思っています」
(とても印象深いのは、特にミハイロ ペトロヴィッチ監督が監督を務めていたころ、毎年のように自分のポジションの選手が加入するような時期があった。それでもいつも最終的にはレギュラーを譲らなかったが、プロサッカー人生で負けないと思って取り組んできたことを振り返ってどうだったのか?)
「自分にとってはありがたいことに同い年に槙野(智章)の柏木(陽介)がいて、1歳上に(興梠)慎三君と周ちゃん(西川周作)と森脇(良太)君がいて、梅ちゃん(梅崎司)もいて、人としてもサッカー選手としても素晴らしい人たちがいてくれたから、そういった状況でも諦めずに努力し続けることができたと思います。特に同い年の2人、槙野と柏木とは、周りからは本当に仲がいいと思われているだけかもしれないですけど、僕はとにかくその2人に負けたくなくて、2人が日本代表に入るだけで悔しかったし、2人が活躍すればうれしい反面、悔しいという思いが常にふつふつと湧き出ていました。2人がどう思っていたかは分からないですが、僕は勝手にライバル視していて、まずその2人がいてくれたことがそういう状況を乗り越えられた一つの要因だと思います。1つ上の素晴らしい先輩、と思っているか自分でも分からないですけど(笑)、1つ上の先輩たちも刺激し合える素晴らしい人たちでした。そういう人たちの存在が、僕がそういう状況を乗り越えてポジションを守り続けることができた一つの要因だと思っています」
(「決してサッカーがうまい選手ではないと思いますし、何か飛び抜けた能力があるわけでもない」と言っていたが、宇賀神選手がいると周りが輝くというか、個性的なメンバーの仲に宇賀神選手がいることでチームがうまく回るという印象が強い。キャリアの中でそういうことは大切にしてきたと思うが、自分が見せることとチームが勝たせることへの思いはどのようにバランスを取っていたのか?)
「僕が加入した年は僕自身もそんなことを考える余裕はもちろんなくて、(ロブソン)ポンテ選手によく怒られていた印象がとにかく強くて、トレーニングが終わると毎日、首根っこをつかまれて『お前、いい加減にしろ』と言われていた15年前でした。そのときに試合に出られないときがあり、平川(忠亮)さんや田中達也さん、(鈴木)啓太さん、ツボさん(坪井慶介)といった選手が声を掛けてくれたり、そういった選手はどうやってプレーしているのか、自分なりに徐々に俯瞰で見られるようになっていったというか、『自分自身がどうにかしなきゃ』じゃなくて、『こんなにすごい選手が周りにいるんだったら、逆に自分がこの人たちをコントロールできたらどれだけすごいことが起きるんだろう』という、年齢の割には上から見られるということがあったと思います。それが先ほどおっしゃっていただいたように、自分が入ったことによって生まれる一つの効果だったと思います。その中でも原口元気という存在は僕を成長させてくれたと思っています。今はだいぶ成長して帰ってきましたが、まあ人の話は聞かないわ、自分のことしか考えていないわ、手がつけられなかったので、どうしたら彼をうまく使いこなせるかなといろいろ考えさせてくれるきっかけにもなりましたし、彼が海外に行った後も、彼を使いこなすことができれば怖いものはないと思いながらやれたことは大きかったなと。でもそんな原口も帰ってきて、『やっとウガのすごさが分かったよ』と言ってくれたので、彼は僕を成長させてくれた一人だとあらためて思います」
(ミシャ監督のときは毎年のように優勝争いをするようないい順位で戦っていたと思うが、ここ最近はそういうところから離れているのは事実で、なかなかもどかしかったと思う。両方の時期を知っているという意味から、継続して優勝争いができるクラブになっていくために大事なこと、ある意味はGMとして実現したいことかもしれないが、どういうことが大切だと感じているか?)
「難しいな…。やはりクラブとしてサッカーの継続性がないというのは正直なところだと思います。監督が替わるごとにサッカーが変わっていたら継続性はないですし、浦和を背負う責任という言葉がありますけど、それだけではサッカーは勝てないので、そこを構築していくことが次に自分がやりたい仕事の一つだと思います。ミシャがいなくなってから監督がコロコロ替わって長期政権を築けていないというのはそういうところも一つだと思っています。ピッチに立つのは選手なので、選手が結果を残し続ければそんなことは関係ないという見方もあると思いますが、5年、10年先、常にトップに浦和レッズがいるよねというサッカーはできないと思うので、フットボールの本質の部分の再構築は必要だと思っています」
(引退後の最初の夢がGMという話だったが、来年、再来年とどういう道を歩むのか、話せる範囲で教えてください)
「正直何も決まってはいません。クラブともそういう話は少ししていますが、はっきりは何も決まっていないです」
(スカウトからフットボール本部に入るなど、そういう話はこれからなのか?)
「具体的な話はまだないので、これからしていければと思っていますし、GMになるという夢はブレることはないので、それに向かってどのような第一歩を踏み出すのが一番いいのかということをいろいろな人と話し合いながら模索している状況です」
(GMは矢面に立つ職業で、ファン・サポーターの方々からの罵声も浴びることもあるが、その辺りも覚悟の上なのか?)
「何年浦和レッズでやっていると思っているんですか(笑)。誰よりもその厳しさは分かっているつもりですし、誰よりもそういう人たちの力がすごいということも知っています。結果が出なければそういう反応をしてもらいたいですし、チャレンジしなければ失敗と分からないので、いろいろなことにチャンレジしながら、いろいろな人にいろいろな反応をしてもらいながら成長していければと思っています」
(石原広教選手に「今年レッズに来てよかったか?」という質問をしたが、良かったことの要因の一つに「今年来なかったら宇賀神さんに会えなかった。宇賀神さんにいろいろな話をしてもらったことはすごくよかった」という話をしていた。他にも「宇賀神さんがいなかったら今年やってこられなかったかもしれない」という若い選手もいるが、そのことについてどう感じるか?)
「率直にうれしいです。そういうふうに言ってくれる選手が何人もいることはうれしいです。ただ、そこは今までと変わらず、このチームが勝つために何が必要なのか、でも試合のピッチに立てるのは先発メンバーの11人と交代選手の5人だけしかいないわけで、その他のメンバーの質次第でチーム状況がいかようにも変わるということをたくさん経験してきたので、僕自身がなかなか試合に絡めないという中で、自分も本当にいつでも試合に出る準備ができているという覚悟を持って日々トレーニングしてきたからそういうふうに言ってもらえたのかなと。変わらないです。アドバイスはするけど、まだまだ負けないよという気持ちも含めて、全力でぶつかった結果だと思います」
(出身であるレッズの育成組織の若い選手たちにメッセージをお願いします)
「育成組織出身の選手として長く浦和レッズでプレーして引退することができたことは、また一つ今、育成組織にいる選手の希望になれたと思っています。僕自身も育成組織出身ですが、そのころもずっと試合に出続けていたわけではないですし、当時は苦しい時期の方が長かったと思います。ただ、プロサッカー選手になりたい、浦和レッズの選手になりたいんだと強く思い続けた結果として今、僕はこの場にいると思っているので、『プロサッカー選手になりたい』だけではなく、『浦和レッズの選手になりたいんだ』と強く思ってもらいたいです」
(宇賀神選手はSNSでも積極的に発信していると思うが、どういう思いを持って発信していたのか?)
「それも先ほどの答えと変わることなく、そこに対しても全力でチームが勝つために今の自分の素直な思いやピッチで感じている思いです。SNSは使い方でいい方にも悪い方にも転がると思うので慎重になりつつも、自分を偽ることなく全力で自分の気持ちを伝えることが大切だと思っています。何回も悔しい思いというか、そこでしか自分を表現できなかったり、本来であればピッチでそれを表現しなければいけないのに、そんなものに頼って発信しなければいけないという悔しい思いもありましたが、それでもこのクラブが勝つために、自分の中では一つできることだと思って発信していました。ただの気まぐれではないです」
(今季レッズに復帰したが、一度レッズを退団する前との違いをどう感じたか?)
「退団する前も強い愛を持ってこのクラブにいたつもりでしたけど、一度外に出て、このクラブのすごさが分かりましたし、自分のこのクラブに対する気持ちもあらためて大きいと感じることができました。選手でいうと、だいぶ静かだなと思います。前にいたときの方が元気な選手が多かったので、そこは僕が年を取ったのか、最近の若い子たちはみんな静かだなという印象はあります」
(36歳で引退ということになるが、体力的なところも含めて、思い描いていたキャリアと比べてどうだったか?)
「最初は35歳までやりたいと思っていました。早生まれなので37歳の年なので、2年も超えることができたのはよく頑張ったなと思います。体力的な部分はなかなかピッチに立つことができていなかったので、実際の公式戦の強度などは正直分からないところはありますが、トレーニングやトレーニングマッチをしていく中で、そんなに衰えていると思うシーンはあまりないです」
(このタイミングでの引退について家族の反応はどうだったのか?)
「やはり家族なので、1年でも長くやってほしいという話はありました。特に『元気なのであれば、他のクラブで続けるのもどうなの?』ということも言っていただけたりしましたが、僕自身このタイミングで帰ってきて、いくら体が元気だからと言っても他のクラブで続けるという決断には至らなかったですし、僕の気持ちがこのクラブで終わるべきだと、次の道に進むべきだという判断をしました」
(ピッチ内のことだけではなく、たとえばレッズランドや戸田市の彩湖・道満グリーンパークが豪雨で水没した際にはクラウドファンディングを行ったり、ピッチ外のことも「地元のために」という思いを強く持っていたと思う。ピッチ外についてはどういう思いで現役生活を走り抜けたと感じているか?)
「そういう活動を始めたのは29歳、30歳くらいのときでしたが、サッカー選手で30歳を節目に、何かがあったときに契約がなくなってしまうという年齢に差し掛かってくると考えたときに、サッカー選手ってどういう印象なんだろうって考えたんですよ。先ほどの自分のプレーを俯瞰で見るじゃないですけど、サッカー選手という立場の人間を俯瞰で見たときに、『サッカー選手ってどうですか?』って言ったら、お金を持っている、遊んでいる。この2つくらいしか出てこないと思ったんですよ、僕自身が。おそらく世間の人もそうだろうなと思いました。でも、そんな中でも『地域のためにいろいろなことをやってくれているよね』とか『子どもたちのためにいろいろな夢を与える活動をしてくれているよね』と思ってもらえたら、こんなに素敵なことはないと思い始めたのがきっかけです。最初にも言わせてもらいましたが、浦和レッズというクラブは自分たちが住んでいる浦和という街に誇りを持っていて、そういう人たちのために自分が何かできないかなということを思ったのが一番のきっかけでした。それをやり始めると、自分が思っていた以上にたくさんの方たちからパワーをもらうことができたので、この体験は僕個人だけじゃなくて、いろいろなサッカー選手、いろいろなスポーツ選手に広まっていけば、スポーツ選手はただその競技に優れているだけではなくて、いろいろな人のために動いてくれるんだという印象を少しでも与えることができれば、そのスポーツも盛り上がりますし、サッカーも盛り上がる、浦和レッズも盛り上がる、という思いでいろいろな活動をしてきました」
(時に厳しい意見を届けてくれるサポーターとどのように向き合っていたのか?悔しかったり、『なにくそ』と思ったりこともあったと思うが、どういう思いで向き合い、ピッチで表現してきたのか?)
「ぶつかり合うということは、それだけその物事に対して真剣に向き合っているという証拠だと思っていたので、特にあのピッチにおいてはぶつかり合うことが当たり前だと思っていましたし、時には勝った後も『おい宇賀神、今日はよくねえな』と言われることもありました。でもそれが当たり前で、自分がそれに納得しているようでは成長は止まると思っていましたし、ぶつかり合うことは大切だと思っていましたし、そこから逃げないことが一番大切だと思っていました。よく阿部(勇樹)さんや那須(大亮)さんに『やめろ!』と止められていましたが、僕はずっと納得がいかなくて、『なんで心と心でぶつかり合わないんだ』と、それも含めて浦和レッズだし、それを含めて埼玉スタジアムの空間だと思っていたので、僕はそこは変わらないですね。立場が変わってクラブに入ったとしても、お互いの意見をぶつけ合うことは変わらない、逃げないということが自分の成長、お互いの成長につながると思っています」
(以前お話をお聞きしたときに、選手としてよく周りのことを聞き、考え、自分の言葉で発することを大事にしてきたと言っていたことが印象的だったが、宇賀神選手が1年、2年プレーするだけではなくて、選手として生き抜くために大事にしてきたことをどう感じているか?それはキャリアの晩年になって変わることはあったのか?)
「一番は現状に満足しないことが大切なのかなと。今言われて最初に浮かんだのは、現状に満足しないこと。試合に出ているときは何も考えなくてもいいプレーができますし、どんなに活躍しても、『次じゃもっと活躍してやろう』とか、『次はもっといい成績を残してやろう』というふうに思わなければ、人としても選手としても成長は終わると思うし、その中でうまくいかないこと、失敗することからも逃げないようにするということが長く続けられた一番の秘訣だと思います。それはサッカー選手だから、スポーツ選手だから、だけではなく、どんな仕事でも変わらないことだと思います。サッカー選手で言えば年齢が上がっていけばどんどん引退が迫ってくるということがありますが、社会においてもそこは変わらないというか、年齢が上がって役職が上がっていったら何もしなくなることはよくないと思うので、そういう人たちが現状に満足することなく成長し続けようとすることが必要だと思います。僕はそれが最も継続することができたことだと思います。引退すると決めましたが、残り2週間あるので、この2週間の中でもそれを止めるつもりはないですし、どんなに若い選手が来ようと常日頃、『何かこの選手から盗めることはないかな』ということは引退するまで、最後の日まで続けたいと思います」
(今年1年ここまで戦ってきて、今のチームに何が足りなくて、今後は何が必要なってくると感じているか?)
「今シーズンは残念ながら残留争いをするという苦しいシーズンになってしまいましたが、そのターニングポイントとなった柏(レイソル)戦の前にいろいろな記事にも出ていましたが、選手ミーティングをしたときにも言わせてもらいましたが、一人ひとりに仲間を信じる力が足りない。それは断言できます。自分がピッチレベルでプレーしてみて何が足りないのかと考えたら、各々が全力で頑張っているのは見ていて分かりますし、誰一人手を抜いていることは日々のトレーニングでもないですし、全員が頑張っているけど、それが一つではない。選手ミーティングでも言いましたが、人それぞれできることの限界はあるし、その選手のプレースタイルやプレーの範囲、寄せるスピードやそれぞれの特長をもっと理解して、仲間を信じて、『これ以上は俺はやらないからお前に任せたぞ』とできる選手が少なすぎる。それが一緒にプレーしていて感じる部分です。それは言葉で表すと簡単というか、『そこは任せたぞ』と役割分担すればいいんじゃないの?と思いますが、それをピッチでやるのは難しくて、そういうところを一人ひとりが自覚するというかなんというか、でもそこは足りないなと。いつも極端なことを言いますが、『失点したら全部、周ちゃんのせいなんだよ』って。『だって周ちゃんが止めたら0-0なんだから』といつも言います。極端ですけどね。だから寄せきれないかもしれないけど、ここのコースは消すから後は周ちゃんが止めて。それくらいでいいんだよって。『俺が全部止めないといけないんだ』、『僕のせいでやられてしまった』ではなくて、その辺りが信頼関係です。『周ちゃんだったらここまで消したら止めてくれるよね』ということを一人ひとりが理解すれば、これだけいい選手がたくさんいるので、監督はよく言う『ワンチーム』という言葉がぴったりのチームになれると思っています」
(「1日も手を抜くことなく100パーセントでやり続けた15年だった」と言っていたが、宇賀神選手のそういう姿勢は新旧さまざまな選手が口にしていて、今日も原口選手が「簡単に言いますけど意外と難しいこと」と言っていた。そういう努力を続けられたのは、たとえば努力するために努力していた、努力できる才能があった、先輩の姿勢を見た、両親の育て方、恩師の教育などさまざまあるかもしれないが、その理由を宇賀神選手はどう捉えているか?)
「難しいな。でも僕の中の努力は自分に足りないことだけだと思っています。自分が『うわ、これやるのは嫌だな』とか、『辛いな』とか、たとえば勉強もそうだし、筋力トレーニングもそうだし、トレーニングの中でもこのシーンは苦手だと思うこと以外は努力だと思いません。自分が『よし、これをやらなきゃ』と思うこと以外は僕の中では努力とは言いません。トレーニングを100パーセントでやることは当たり前すぎる。100パーセントでやらなければ自分にチャンスが来たときにそれを生かすことができないので、いつチャンスが来てもいいように100パーセントでやっていたということが一番です。100パーセントで自分がやることによって、他の選手もやらなければいけないと思えるでしょうし、トレーニングを100パーセントでやらなければ本番で100パーセントが出るわけがないので、そういういろいろな理由はあります。ただ、チャンスを逃したくないだけかもしれないです。あとは応援してくれる人がたくさんいるので、その人たちのためにも、という気持ちもあります。言われてみればたくさん理由はありました。あとは先ほどのライバルみたいな、切磋琢磨し合える人たちがいる環境があることはすごく幸せなことですし、自分が引退してからもそれは変わらないと思います。勝手にライバルを見つけるのも得意です。この人に負けたくないとか、それは成長する糧になるので、自分だけでこのクラブをどうにかしよう、ではなくて、他のクラブに目を向けてもそうですし、分からないですけど、シティ フットボール グループに負けたくないとか、(レッズのOBであり、マンチェスター・シティのフットボールダイレクターを13年間務めて2025年夏に退任する)チキ ベギリスタインさんに負けたくないとか、分からないですけど、それも一つだと思っています。それが100パーセントでやる理由です」
(「応援してくれる人」という話もあったし、先ほどは「心のぶつかり合い」という話もあったが、現役引退を発表した今、ファン・サポーターの方々に対して思うことは?)
「だいぶ場も温まってきたので、一つ言えるとしたら、興梠慎三さんが引退する年に引退してごめんなさいということはありますし、本当は興梠オンステージでしたけど僕も一緒ですみませんという気持ちもありつつ、本当に強い決意を持って帰ってきたので、リーグ優勝できなかったことは自分個人としても心残りですし、ファン・サポーターのみなさまにもこれだけ長い間、これだけすごいクラブがJリーグのタイトルを獲れていないというのはとにかく申し訳ないという気持ちでいっぱいです。ただ個人的なところで言うと、まだ2試合リーグが残っていますし、(マチェイ スコルジャ)監督も『なかなか試合に出られていない選手を使う』と言ってくれているので、それには僕も含まれていると信じて、また明日も100パーセントでやりたいと思います」
(メッセージをいただいて来たので代読させていただきます。ウガ、長い現役生活お疲れさまでした。まずはゆっくり体を休めてください。そしてこれからもサッカー界をあなたの経験を生かしてけん引されていってください。さまざまなクラブ事情、ハード面、ソフト面、トップカテゴリーだけではなく育成、普及活動までこの国には問題が多々あります。ウガなりの視点でいろいろなことにアプローチされていってください。最後になりますが、私はあなたからマインドの大切さを学ばせていただきました。一言で気持ちとよく言われますが、あなたにはそれがあったからこそ、国を代表する選手まで行き、ファンに愛されたと理解しています。ウガ、ありがとうございました。澤村公康)
「ありがとうございます。僕がユースのときにGKコーチとして厳しく指導していただいた恩師の1人でもあります。まずサッカー選手の前に人として、ということを教えていただいた方です。自分の今のこういった人間的なところも作っていただけた方からそういうメッセージをいただけて、GKコーチという立場でしたけど、広い視点でいろいろなことを見てくれた方なので、これから僕自身もそういうところをしっかりと見ながら、先ほどおっしゃっていただいたようにトップカテゴリーだけでなく、子どもたちの夢のためやファン・サポーターのみなさまのために何かできればと思います」
(育成組織や大学の仲間たちに現役引退の報告をしていただきたい)
「いろいろな人から連絡が来たので、報告は直接させていただきましたが、僕がサッカーを始めてからたくさんの仲間と出会うことができて、一緒にサッカーをやった人からは『よくお前が15年間もサッカー選手できたな』、『よくプロサッカー選手なれたな』と言われますが、そんな方たちの思いも背負いながら走り続けた15年間でした。あらためて感謝したいです。今シーズンでプロサッカー選手という立場は終わりますが、これからの人生の方が長いので、これからも仲良くしていただければと思います」
(構想外になっていたという話もあったが、今シーズンは悔しさもあり、100パーセント満足して現役を引退するわけではないと思う。やりきった気持ちとやり残した気持ちのせめぎ合いについてはどうか?)
「試合に出られない時間が長い中で、僕も人間なので『何をしに帰ってきたんだろう』とかいろいろな心の葛藤がありました。いろいろな人にそういう話もしましたし、『満足いく形で引退できなかったとしてもここでいいや』という気持ちを持ったときもありましたが、まず思い返してみると、なぜもう一度このレベルにチャレンジしたいと思えたかというと、最初の会見でも言いましたが、西川周作がこれだけ成長している姿を見せてくれていることは僕の中では大きな出来事で、そういうこともあったからここまで頑張れていたということもあります。あとは原口が夏に帰ってきて、『俺は人生をかけてこのクラブを優勝させたいんだ』と。『そのためにはウガ、お前の力が必要だから、お前がどんなに苦しくても来年1年間、俺のためだと思って頑張ってくれ』と。『お前がいなきゃダメなんだよ』と、まっすぐな男なので、まっすぐにぶつかってきてくれて、それを来年1年間一緒にできないということが心残りではありますが、選手としては先ほども話題になりましたが、100パーセント、それは自分でも自信を持って言えますが、1日たりとも手を抜いたことはないですし、どんなに体が疲れていようが、どんなに気持ちが乗らない日だろうが、ピッチに足を踏み入れたらスイッチを入れて100パーセントでやるんだということをやりきったという自信があります。そこに関するせめぎ合いみたいなところでいうと、正直すっきりしているという方が大きいです。『とにかくやりきった。よく頑張った』と自分に言ってあげたいくらいすっきりしています。
(宇賀神選手が育成組織出身のトップランナーとしてやってこられた中、薫陶を与え、背中を見せ続けてきた関根貴大選手がいます。2年前に宇賀神選手が退団した際、彼は不安を口にしていたが、戻ってきた今年、関根選手は特に残留争いの時期にチームをまとめることで力を発揮したと思うが、彼に託せることは?彼の頼もしい姿をどのように見ていたのか?)
「ユースから上がってきたときから一緒にやっているので、そのときから比べると本当にたくましく、頼もしくなったとすごく思います。彼も僕と同じく、とにかく気持ちで、全力で向き合ってくれる貴重な選手だと思いますし、引退するという連絡をさせてもらったときに、『浦和レッズで戦う意味を一番体現してくれる先輩でした』と言ってくれたので、僕が先輩方から見せてもらったような背中を彼に見せることができたと確信しているので、これからは彼が背負って、また次の世代にしっかりとつないでいってくれると思っています。僕が果たせなかったリーグ優勝を必ずつかみ獲ってくれるのではないかと、その夢を託したいと思います」
【浦和レッズオフィシャルメディア(URD:OM)】
[Archived broadcast of Tomoya UGAJIN retirement press conference]
「みなさん、こんにちは。本日はお集まりいただきまして、ありがとうございます。引退会見でユニフォーム姿というのはなかなか見ないとは思いますが、15年前に浦和レッズに加入することが決まったときも、この場でユニフォーム姿で加入会見をさせていただいたので、終わるときもユニフォーム姿で終わりたいという意向を伝えさせていただきまして、この形になっています。そして、今シーズンはまだ終わっていないので、そういう気持ちも含めてスーツではなくユニフォーム姿で会見に臨ませていただきます。僕はしゃべるのが大好きなので、たくさん質問してください。よろしくおねがいします」
[質疑応答]
(現役引退を決めたきっかけは?)
「今シーズン、レッズに戻ってくることになって、最初の会見で『引退しにきたわけではない』ということを言わせていただきました。その中で、シーズンが進むにつれ、自分の立ち位置、立場が分かってくる中でも、とにかく試合に出るために毎日全力でやり続けてきました。その間にクラブともいろいろな話を続けていく中で、試合に絡めない、監督の構想に全く入っていないということが分かりながら練習するのはかなり厳しいということは堀之内さん(堀之内聖スポーツダイレクター)と話をさせていただいていて、自分なりにここまでなのかなということに日々葛藤していました。2週間前くらいですかね。チームとも話をしていく中で、来シーズン以降、自分もこのクラブの力からになれるのかどうか悩んでいるところがありますという話をして、選手としてはここまでなんじゃないかという話をされたときに、浦和レッズの力になれないのであれば、ここで終わるべきなんだと思ってそこで決断することにしました」
(昨日、現役引退を発表した際のコメントに「『宇賀神友弥』というプロサッカー選手として、1人の人間として、そして浦和の漢としての生き様を見せることはできたのではないか」とあった。あらためて宇賀神友弥の生き様とは?)
「自分自身、決してサッカーがうまい選手ではないと思いますし、何か飛び抜けた能力があるわけでもないと思っています。ただ、日ごろから、そしてピッチに立った際には最後の笛が鳴るまで100パーセントで闘い続ける、その背中を見た後輩たちがまたこのチームのために戦ってくれるというような、僕がたくさんの先輩たちから見せてもらってきたものをまたピッチで示すことができたということが『浦和の漢としての生き様』だったと思っています」
(現役引退発表についてSNSでたくさんの反応があったが、それらをゆっくり見る時間はあったのか?)
「昨日は発表してから本当にありがたいことに携帯電話が鳴り止まないというか、メッセージが来たり電話が来たり、なかなか落ち着いて見る時間はないですが、少しは拝見させていただきました。『宇賀神さんのプレーを見て日々元気が出ていました』とか、『自分の人生を変えてくれました』と言ってくれる人もいましたし、多くの人に影響を与えることができたというのは、あらためてサッカー選手冥利に尽きると感じています」
(ファン・サポーターの方々だけではなく街の人、浦和の方々だけじゃなくて出身地の戸田の方々と向き合った人生だったと思うが、サッカー選手として自分で誇れることは?)
「浦和レッズというクラブは熱いサポーターの方々がたくさんいて、浦和という街を大切にしていて、ということが印象として強いと思いますが、その浦和という街、レッズというクラブのために全てをかけて戦ってきたということが自分自身、一番自信を持って引退できることだと思います。埼玉スタジアムのピッチは日々の努力を披露する場だと思いますが、そのためには日々のトレーニングが大切で、トレーニングも1日も手を抜くことなく100パーセントでやり続けた15年だったということが自分としてもすごく誇らしいですし、自分を褒めてあげたいです」
(忘れられない試合、ゴール、アシストは?)
「忘れられない試合はもちろんたくさんありますが、勝てばホームでリーグ優勝を決めることができた(2014年11月22日の)ガンバ(大阪)戦がやっぱり忘れられないですね。このクラブに戻って来ると決めた日から、一つでも多くのタイトルをこのクラブにもたらしたいという思いだけで日々がんばってきましたし、2006年から獲ることができていないJリーグのタイトルを獲ることが僕の目標であり、このクラブに対する恩返しだと思っていたので、あの試合、あの最高の雰囲気で勝つことができなかった、僕自身にもビッグチャンスがあったので、それを決められなかったことが悔しい思い出として、うれしい思い出よりも残っています。
ゴールはたくさんはないですけど(笑)、印象に残っているのは多くの人が言ってくれるであろう(2018年12月9日にベガルタ仙台と対戦した)天皇杯決勝でのゴールが忘れられないですし、そこに至るまでのプロセスも含めて、自分自身も忘れられないゴールになりましたし、サポーターのみなさんからも『宇賀神といえばあれだよな』と言っていただけるゴールだと思います。
アシストもそんなに多かったわけではないですけど、そのガンバに負けた翌年、ホームでガンバに勝ったときのズラタン(リュビヤンキッチ)選手が決めたゴールのアシストは自分の人生、サッカー人生を表すようなアシストだったと思います。悔しい思いをあの場で結果という形で表現できたことはすごく印象に残るアシストだったと思います」
(「努力に勝る天才なし」という言葉を心に留めてレッズのために活躍していたが、宇賀神選手にとってレッズはどういうものか?)
「僕の人生そのものです。25年前にこの大原に初めて練習しに来た日を昨日のことのように覚えていますし、自分の人生の大半を占めるのがこの浦和レッズで、この赤いユニフォームで、このエンブレムがあって、僕の人生そのものだと思います」
(現役を引退した後、今後はどのようなことを考えているのか?)
「一度退団したときに多くのみなさんの前で言わせていただいたことがブレることはなく、このクラブのGM(ゼネラルマネージャー)になること、責任者になることが僕の次の最初の夢です。その夢を叶えた後は、このクラブがいるべき場所にもう一度戻さなくてはいけない。『それって何なの?』と言われたら、Jリーグと言ったら浦和レッズだよね、アジアを代表するクラブと言ったら浦和レッズだよね、世界にも通用するクラブだよね、と言われなければいけないクラブ、存在だと思います。自分はこのクラブをそういうクラブにすることを見据えて浦和レッズのGMになりたいと思っています。そして、このエンブレムを背負って戦う人間の覚悟と責任、そしてこのクラブを応援してくれるファン・サポーターの方々に自信を持って『俺は浦和レッズが好きなんだよ』、『浦和レッズは俺の人生なんだよ』と言ってもらえるようなクラブにしたいと思っています」
(とても印象深いのは、特にミハイロ ペトロヴィッチ監督が監督を務めていたころ、毎年のように自分のポジションの選手が加入するような時期があった。それでもいつも最終的にはレギュラーを譲らなかったが、プロサッカー人生で負けないと思って取り組んできたことを振り返ってどうだったのか?)
「自分にとってはありがたいことに同い年に槙野(智章)の柏木(陽介)がいて、1歳上に(興梠)慎三君と周ちゃん(西川周作)と森脇(良太)君がいて、梅ちゃん(梅崎司)もいて、人としてもサッカー選手としても素晴らしい人たちがいてくれたから、そういった状況でも諦めずに努力し続けることができたと思います。特に同い年の2人、槙野と柏木とは、周りからは本当に仲がいいと思われているだけかもしれないですけど、僕はとにかくその2人に負けたくなくて、2人が日本代表に入るだけで悔しかったし、2人が活躍すればうれしい反面、悔しいという思いが常にふつふつと湧き出ていました。2人がどう思っていたかは分からないですが、僕は勝手にライバル視していて、まずその2人がいてくれたことがそういう状況を乗り越えられた一つの要因だと思います。1つ上の素晴らしい先輩、と思っているか自分でも分からないですけど(笑)、1つ上の先輩たちも刺激し合える素晴らしい人たちでした。そういう人たちの存在が、僕がそういう状況を乗り越えてポジションを守り続けることができた一つの要因だと思っています」
(「決してサッカーがうまい選手ではないと思いますし、何か飛び抜けた能力があるわけでもない」と言っていたが、宇賀神選手がいると周りが輝くというか、個性的なメンバーの仲に宇賀神選手がいることでチームがうまく回るという印象が強い。キャリアの中でそういうことは大切にしてきたと思うが、自分が見せることとチームが勝たせることへの思いはどのようにバランスを取っていたのか?)
「僕が加入した年は僕自身もそんなことを考える余裕はもちろんなくて、(ロブソン)ポンテ選手によく怒られていた印象がとにかく強くて、トレーニングが終わると毎日、首根っこをつかまれて『お前、いい加減にしろ』と言われていた15年前でした。そのときに試合に出られないときがあり、平川(忠亮)さんや田中達也さん、(鈴木)啓太さん、ツボさん(坪井慶介)といった選手が声を掛けてくれたり、そういった選手はどうやってプレーしているのか、自分なりに徐々に俯瞰で見られるようになっていったというか、『自分自身がどうにかしなきゃ』じゃなくて、『こんなにすごい選手が周りにいるんだったら、逆に自分がこの人たちをコントロールできたらどれだけすごいことが起きるんだろう』という、年齢の割には上から見られるということがあったと思います。それが先ほどおっしゃっていただいたように、自分が入ったことによって生まれる一つの効果だったと思います。その中でも原口元気という存在は僕を成長させてくれたと思っています。今はだいぶ成長して帰ってきましたが、まあ人の話は聞かないわ、自分のことしか考えていないわ、手がつけられなかったので、どうしたら彼をうまく使いこなせるかなといろいろ考えさせてくれるきっかけにもなりましたし、彼が海外に行った後も、彼を使いこなすことができれば怖いものはないと思いながらやれたことは大きかったなと。でもそんな原口も帰ってきて、『やっとウガのすごさが分かったよ』と言ってくれたので、彼は僕を成長させてくれた一人だとあらためて思います」
(ミシャ監督のときは毎年のように優勝争いをするようないい順位で戦っていたと思うが、ここ最近はそういうところから離れているのは事実で、なかなかもどかしかったと思う。両方の時期を知っているという意味から、継続して優勝争いができるクラブになっていくために大事なこと、ある意味はGMとして実現したいことかもしれないが、どういうことが大切だと感じているか?)
「難しいな…。やはりクラブとしてサッカーの継続性がないというのは正直なところだと思います。監督が替わるごとにサッカーが変わっていたら継続性はないですし、浦和を背負う責任という言葉がありますけど、それだけではサッカーは勝てないので、そこを構築していくことが次に自分がやりたい仕事の一つだと思います。ミシャがいなくなってから監督がコロコロ替わって長期政権を築けていないというのはそういうところも一つだと思っています。ピッチに立つのは選手なので、選手が結果を残し続ければそんなことは関係ないという見方もあると思いますが、5年、10年先、常にトップに浦和レッズがいるよねというサッカーはできないと思うので、フットボールの本質の部分の再構築は必要だと思っています」
(引退後の最初の夢がGMという話だったが、来年、再来年とどういう道を歩むのか、話せる範囲で教えてください)
「正直何も決まってはいません。クラブともそういう話は少ししていますが、はっきりは何も決まっていないです」
(スカウトからフットボール本部に入るなど、そういう話はこれからなのか?)
「具体的な話はまだないので、これからしていければと思っていますし、GMになるという夢はブレることはないので、それに向かってどのような第一歩を踏み出すのが一番いいのかということをいろいろな人と話し合いながら模索している状況です」
(GMは矢面に立つ職業で、ファン・サポーターの方々からの罵声も浴びることもあるが、その辺りも覚悟の上なのか?)
「何年浦和レッズでやっていると思っているんですか(笑)。誰よりもその厳しさは分かっているつもりですし、誰よりもそういう人たちの力がすごいということも知っています。結果が出なければそういう反応をしてもらいたいですし、チャレンジしなければ失敗と分からないので、いろいろなことにチャンレジしながら、いろいろな人にいろいろな反応をしてもらいながら成長していければと思っています」
(石原広教選手に「今年レッズに来てよかったか?」という質問をしたが、良かったことの要因の一つに「今年来なかったら宇賀神さんに会えなかった。宇賀神さんにいろいろな話をしてもらったことはすごくよかった」という話をしていた。他にも「宇賀神さんがいなかったら今年やってこられなかったかもしれない」という若い選手もいるが、そのことについてどう感じるか?)
「率直にうれしいです。そういうふうに言ってくれる選手が何人もいることはうれしいです。ただ、そこは今までと変わらず、このチームが勝つために何が必要なのか、でも試合のピッチに立てるのは先発メンバーの11人と交代選手の5人だけしかいないわけで、その他のメンバーの質次第でチーム状況がいかようにも変わるということをたくさん経験してきたので、僕自身がなかなか試合に絡めないという中で、自分も本当にいつでも試合に出る準備ができているという覚悟を持って日々トレーニングしてきたからそういうふうに言ってもらえたのかなと。変わらないです。アドバイスはするけど、まだまだ負けないよという気持ちも含めて、全力でぶつかった結果だと思います」
(出身であるレッズの育成組織の若い選手たちにメッセージをお願いします)
「育成組織出身の選手として長く浦和レッズでプレーして引退することができたことは、また一つ今、育成組織にいる選手の希望になれたと思っています。僕自身も育成組織出身ですが、そのころもずっと試合に出続けていたわけではないですし、当時は苦しい時期の方が長かったと思います。ただ、プロサッカー選手になりたい、浦和レッズの選手になりたいんだと強く思い続けた結果として今、僕はこの場にいると思っているので、『プロサッカー選手になりたい』だけではなく、『浦和レッズの選手になりたいんだ』と強く思ってもらいたいです」
(宇賀神選手はSNSでも積極的に発信していると思うが、どういう思いを持って発信していたのか?)
「それも先ほどの答えと変わることなく、そこに対しても全力でチームが勝つために今の自分の素直な思いやピッチで感じている思いです。SNSは使い方でいい方にも悪い方にも転がると思うので慎重になりつつも、自分を偽ることなく全力で自分の気持ちを伝えることが大切だと思っています。何回も悔しい思いというか、そこでしか自分を表現できなかったり、本来であればピッチでそれを表現しなければいけないのに、そんなものに頼って発信しなければいけないという悔しい思いもありましたが、それでもこのクラブが勝つために、自分の中では一つできることだと思って発信していました。ただの気まぐれではないです」
(今季レッズに復帰したが、一度レッズを退団する前との違いをどう感じたか?)
「退団する前も強い愛を持ってこのクラブにいたつもりでしたけど、一度外に出て、このクラブのすごさが分かりましたし、自分のこのクラブに対する気持ちもあらためて大きいと感じることができました。選手でいうと、だいぶ静かだなと思います。前にいたときの方が元気な選手が多かったので、そこは僕が年を取ったのか、最近の若い子たちはみんな静かだなという印象はあります」
(36歳で引退ということになるが、体力的なところも含めて、思い描いていたキャリアと比べてどうだったか?)
「最初は35歳までやりたいと思っていました。早生まれなので37歳の年なので、2年も超えることができたのはよく頑張ったなと思います。体力的な部分はなかなかピッチに立つことができていなかったので、実際の公式戦の強度などは正直分からないところはありますが、トレーニングやトレーニングマッチをしていく中で、そんなに衰えていると思うシーンはあまりないです」
(このタイミングでの引退について家族の反応はどうだったのか?)
「やはり家族なので、1年でも長くやってほしいという話はありました。特に『元気なのであれば、他のクラブで続けるのもどうなの?』ということも言っていただけたりしましたが、僕自身このタイミングで帰ってきて、いくら体が元気だからと言っても他のクラブで続けるという決断には至らなかったですし、僕の気持ちがこのクラブで終わるべきだと、次の道に進むべきだという判断をしました」
(ピッチ内のことだけではなく、たとえばレッズランドや戸田市の彩湖・道満グリーンパークが豪雨で水没した際にはクラウドファンディングを行ったり、ピッチ外のことも「地元のために」という思いを強く持っていたと思う。ピッチ外についてはどういう思いで現役生活を走り抜けたと感じているか?)
「そういう活動を始めたのは29歳、30歳くらいのときでしたが、サッカー選手で30歳を節目に、何かがあったときに契約がなくなってしまうという年齢に差し掛かってくると考えたときに、サッカー選手ってどういう印象なんだろうって考えたんですよ。先ほどの自分のプレーを俯瞰で見るじゃないですけど、サッカー選手という立場の人間を俯瞰で見たときに、『サッカー選手ってどうですか?』って言ったら、お金を持っている、遊んでいる。この2つくらいしか出てこないと思ったんですよ、僕自身が。おそらく世間の人もそうだろうなと思いました。でも、そんな中でも『地域のためにいろいろなことをやってくれているよね』とか『子どもたちのためにいろいろな夢を与える活動をしてくれているよね』と思ってもらえたら、こんなに素敵なことはないと思い始めたのがきっかけです。最初にも言わせてもらいましたが、浦和レッズというクラブは自分たちが住んでいる浦和という街に誇りを持っていて、そういう人たちのために自分が何かできないかなということを思ったのが一番のきっかけでした。それをやり始めると、自分が思っていた以上にたくさんの方たちからパワーをもらうことができたので、この体験は僕個人だけじゃなくて、いろいろなサッカー選手、いろいろなスポーツ選手に広まっていけば、スポーツ選手はただその競技に優れているだけではなくて、いろいろな人のために動いてくれるんだという印象を少しでも与えることができれば、そのスポーツも盛り上がりますし、サッカーも盛り上がる、浦和レッズも盛り上がる、という思いでいろいろな活動をしてきました」
(時に厳しい意見を届けてくれるサポーターとどのように向き合っていたのか?悔しかったり、『なにくそ』と思ったりこともあったと思うが、どういう思いで向き合い、ピッチで表現してきたのか?)
「ぶつかり合うということは、それだけその物事に対して真剣に向き合っているという証拠だと思っていたので、特にあのピッチにおいてはぶつかり合うことが当たり前だと思っていましたし、時には勝った後も『おい宇賀神、今日はよくねえな』と言われることもありました。でもそれが当たり前で、自分がそれに納得しているようでは成長は止まると思っていましたし、ぶつかり合うことは大切だと思っていましたし、そこから逃げないことが一番大切だと思っていました。よく阿部(勇樹)さんや那須(大亮)さんに『やめろ!』と止められていましたが、僕はずっと納得がいかなくて、『なんで心と心でぶつかり合わないんだ』と、それも含めて浦和レッズだし、それを含めて埼玉スタジアムの空間だと思っていたので、僕はそこは変わらないですね。立場が変わってクラブに入ったとしても、お互いの意見をぶつけ合うことは変わらない、逃げないということが自分の成長、お互いの成長につながると思っています」
(以前お話をお聞きしたときに、選手としてよく周りのことを聞き、考え、自分の言葉で発することを大事にしてきたと言っていたことが印象的だったが、宇賀神選手が1年、2年プレーするだけではなくて、選手として生き抜くために大事にしてきたことをどう感じているか?それはキャリアの晩年になって変わることはあったのか?)
「一番は現状に満足しないことが大切なのかなと。今言われて最初に浮かんだのは、現状に満足しないこと。試合に出ているときは何も考えなくてもいいプレーができますし、どんなに活躍しても、『次じゃもっと活躍してやろう』とか、『次はもっといい成績を残してやろう』というふうに思わなければ、人としても選手としても成長は終わると思うし、その中でうまくいかないこと、失敗することからも逃げないようにするということが長く続けられた一番の秘訣だと思います。それはサッカー選手だから、スポーツ選手だから、だけではなく、どんな仕事でも変わらないことだと思います。サッカー選手で言えば年齢が上がっていけばどんどん引退が迫ってくるということがありますが、社会においてもそこは変わらないというか、年齢が上がって役職が上がっていったら何もしなくなることはよくないと思うので、そういう人たちが現状に満足することなく成長し続けようとすることが必要だと思います。僕はそれが最も継続することができたことだと思います。引退すると決めましたが、残り2週間あるので、この2週間の中でもそれを止めるつもりはないですし、どんなに若い選手が来ようと常日頃、『何かこの選手から盗めることはないかな』ということは引退するまで、最後の日まで続けたいと思います」
(今年1年ここまで戦ってきて、今のチームに何が足りなくて、今後は何が必要なってくると感じているか?)
「今シーズンは残念ながら残留争いをするという苦しいシーズンになってしまいましたが、そのターニングポイントとなった柏(レイソル)戦の前にいろいろな記事にも出ていましたが、選手ミーティングをしたときにも言わせてもらいましたが、一人ひとりに仲間を信じる力が足りない。それは断言できます。自分がピッチレベルでプレーしてみて何が足りないのかと考えたら、各々が全力で頑張っているのは見ていて分かりますし、誰一人手を抜いていることは日々のトレーニングでもないですし、全員が頑張っているけど、それが一つではない。選手ミーティングでも言いましたが、人それぞれできることの限界はあるし、その選手のプレースタイルやプレーの範囲、寄せるスピードやそれぞれの特長をもっと理解して、仲間を信じて、『これ以上は俺はやらないからお前に任せたぞ』とできる選手が少なすぎる。それが一緒にプレーしていて感じる部分です。それは言葉で表すと簡単というか、『そこは任せたぞ』と役割分担すればいいんじゃないの?と思いますが、それをピッチでやるのは難しくて、そういうところを一人ひとりが自覚するというかなんというか、でもそこは足りないなと。いつも極端なことを言いますが、『失点したら全部、周ちゃんのせいなんだよ』って。『だって周ちゃんが止めたら0-0なんだから』といつも言います。極端ですけどね。だから寄せきれないかもしれないけど、ここのコースは消すから後は周ちゃんが止めて。それくらいでいいんだよって。『俺が全部止めないといけないんだ』、『僕のせいでやられてしまった』ではなくて、その辺りが信頼関係です。『周ちゃんだったらここまで消したら止めてくれるよね』ということを一人ひとりが理解すれば、これだけいい選手がたくさんいるので、監督はよく言う『ワンチーム』という言葉がぴったりのチームになれると思っています」
(「1日も手を抜くことなく100パーセントでやり続けた15年だった」と言っていたが、宇賀神選手のそういう姿勢は新旧さまざまな選手が口にしていて、今日も原口選手が「簡単に言いますけど意外と難しいこと」と言っていた。そういう努力を続けられたのは、たとえば努力するために努力していた、努力できる才能があった、先輩の姿勢を見た、両親の育て方、恩師の教育などさまざまあるかもしれないが、その理由を宇賀神選手はどう捉えているか?)
「難しいな。でも僕の中の努力は自分に足りないことだけだと思っています。自分が『うわ、これやるのは嫌だな』とか、『辛いな』とか、たとえば勉強もそうだし、筋力トレーニングもそうだし、トレーニングの中でもこのシーンは苦手だと思うこと以外は努力だと思いません。自分が『よし、これをやらなきゃ』と思うこと以外は僕の中では努力とは言いません。トレーニングを100パーセントでやることは当たり前すぎる。100パーセントでやらなければ自分にチャンスが来たときにそれを生かすことができないので、いつチャンスが来てもいいように100パーセントでやっていたということが一番です。100パーセントで自分がやることによって、他の選手もやらなければいけないと思えるでしょうし、トレーニングを100パーセントでやらなければ本番で100パーセントが出るわけがないので、そういういろいろな理由はあります。ただ、チャンスを逃したくないだけかもしれないです。あとは応援してくれる人がたくさんいるので、その人たちのためにも、という気持ちもあります。言われてみればたくさん理由はありました。あとは先ほどのライバルみたいな、切磋琢磨し合える人たちがいる環境があることはすごく幸せなことですし、自分が引退してからもそれは変わらないと思います。勝手にライバルを見つけるのも得意です。この人に負けたくないとか、それは成長する糧になるので、自分だけでこのクラブをどうにかしよう、ではなくて、他のクラブに目を向けてもそうですし、分からないですけど、シティ フットボール グループに負けたくないとか、(レッズのOBであり、マンチェスター・シティのフットボールダイレクターを13年間務めて2025年夏に退任する)チキ ベギリスタインさんに負けたくないとか、分からないですけど、それも一つだと思っています。それが100パーセントでやる理由です」
(「応援してくれる人」という話もあったし、先ほどは「心のぶつかり合い」という話もあったが、現役引退を発表した今、ファン・サポーターの方々に対して思うことは?)
「だいぶ場も温まってきたので、一つ言えるとしたら、興梠慎三さんが引退する年に引退してごめんなさいということはありますし、本当は興梠オンステージでしたけど僕も一緒ですみませんという気持ちもありつつ、本当に強い決意を持って帰ってきたので、リーグ優勝できなかったことは自分個人としても心残りですし、ファン・サポーターのみなさまにもこれだけ長い間、これだけすごいクラブがJリーグのタイトルを獲れていないというのはとにかく申し訳ないという気持ちでいっぱいです。ただ個人的なところで言うと、まだ2試合リーグが残っていますし、(マチェイ スコルジャ)監督も『なかなか試合に出られていない選手を使う』と言ってくれているので、それには僕も含まれていると信じて、また明日も100パーセントでやりたいと思います」
(メッセージをいただいて来たので代読させていただきます。ウガ、長い現役生活お疲れさまでした。まずはゆっくり体を休めてください。そしてこれからもサッカー界をあなたの経験を生かしてけん引されていってください。さまざまなクラブ事情、ハード面、ソフト面、トップカテゴリーだけではなく育成、普及活動までこの国には問題が多々あります。ウガなりの視点でいろいろなことにアプローチされていってください。最後になりますが、私はあなたからマインドの大切さを学ばせていただきました。一言で気持ちとよく言われますが、あなたにはそれがあったからこそ、国を代表する選手まで行き、ファンに愛されたと理解しています。ウガ、ありがとうございました。澤村公康)
「ありがとうございます。僕がユースのときにGKコーチとして厳しく指導していただいた恩師の1人でもあります。まずサッカー選手の前に人として、ということを教えていただいた方です。自分の今のこういった人間的なところも作っていただけた方からそういうメッセージをいただけて、GKコーチという立場でしたけど、広い視点でいろいろなことを見てくれた方なので、これから僕自身もそういうところをしっかりと見ながら、先ほどおっしゃっていただいたようにトップカテゴリーだけでなく、子どもたちの夢のためやファン・サポーターのみなさまのために何かできればと思います」
(育成組織や大学の仲間たちに現役引退の報告をしていただきたい)
「いろいろな人から連絡が来たので、報告は直接させていただきましたが、僕がサッカーを始めてからたくさんの仲間と出会うことができて、一緒にサッカーをやった人からは『よくお前が15年間もサッカー選手できたな』、『よくプロサッカー選手なれたな』と言われますが、そんな方たちの思いも背負いながら走り続けた15年間でした。あらためて感謝したいです。今シーズンでプロサッカー選手という立場は終わりますが、これからの人生の方が長いので、これからも仲良くしていただければと思います」
(構想外になっていたという話もあったが、今シーズンは悔しさもあり、100パーセント満足して現役を引退するわけではないと思う。やりきった気持ちとやり残した気持ちのせめぎ合いについてはどうか?)
「試合に出られない時間が長い中で、僕も人間なので『何をしに帰ってきたんだろう』とかいろいろな心の葛藤がありました。いろいろな人にそういう話もしましたし、『満足いく形で引退できなかったとしてもここでいいや』という気持ちを持ったときもありましたが、まず思い返してみると、なぜもう一度このレベルにチャレンジしたいと思えたかというと、最初の会見でも言いましたが、西川周作がこれだけ成長している姿を見せてくれていることは僕の中では大きな出来事で、そういうこともあったからここまで頑張れていたということもあります。あとは原口が夏に帰ってきて、『俺は人生をかけてこのクラブを優勝させたいんだ』と。『そのためにはウガ、お前の力が必要だから、お前がどんなに苦しくても来年1年間、俺のためだと思って頑張ってくれ』と。『お前がいなきゃダメなんだよ』と、まっすぐな男なので、まっすぐにぶつかってきてくれて、それを来年1年間一緒にできないということが心残りではありますが、選手としては先ほども話題になりましたが、100パーセント、それは自分でも自信を持って言えますが、1日たりとも手を抜いたことはないですし、どんなに体が疲れていようが、どんなに気持ちが乗らない日だろうが、ピッチに足を踏み入れたらスイッチを入れて100パーセントでやるんだということをやりきったという自信があります。そこに関するせめぎ合いみたいなところでいうと、正直すっきりしているという方が大きいです。『とにかくやりきった。よく頑張った』と自分に言ってあげたいくらいすっきりしています。
(宇賀神選手が育成組織出身のトップランナーとしてやってこられた中、薫陶を与え、背中を見せ続けてきた関根貴大選手がいます。2年前に宇賀神選手が退団した際、彼は不安を口にしていたが、戻ってきた今年、関根選手は特に残留争いの時期にチームをまとめることで力を発揮したと思うが、彼に託せることは?彼の頼もしい姿をどのように見ていたのか?)
「ユースから上がってきたときから一緒にやっているので、そのときから比べると本当にたくましく、頼もしくなったとすごく思います。彼も僕と同じく、とにかく気持ちで、全力で向き合ってくれる貴重な選手だと思いますし、引退するという連絡をさせてもらったときに、『浦和レッズで戦う意味を一番体現してくれる先輩でした』と言ってくれたので、僕が先輩方から見せてもらったような背中を彼に見せることができたと確信しているので、これからは彼が背負って、また次の世代にしっかりとつないでいってくれると思っています。僕が果たせなかったリーグ優勝を必ずつかみ獲ってくれるのではないかと、その夢を託したいと思います」
【浦和レッズオフィシャルメディア(URD:OM)】
[Archived broadcast of Tomoya UGAJIN retirement press conference]
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