坪井 慶介
坪井慶介を決意させたうらわの匂い
「駅を降りると独特なんですよね。浦和の匂いがするんです」
坪井慶介は、「表現が難しい」と言いながらも、言葉を紡いだ。
「形があるものではないんですよ。実際に匂うわけではない。でも、するんですよ、浦和の匂いが。『俺らの街はサッカーの街だぞ』って言っているような雰囲気があるんです」
2002年、坪井はレッズに加入した。福岡大学時代、複数のオファーがある中、レッズのトレーニングに参加し、さいたま市駒場スタジアム(現・浦和駒場スタジアム)でレッズの試合を観戦した。そして福岡に戻ると、サッカー部の乾 真寛監督にこう伝えた。
「就職活動はもう終わりです」
『浦和』を体感すると、もう他の選択肢はなかった。レッズしか考えられなかった。
「ファン・サポーターを含め、スタジアムの雰囲気、街の雰囲気に魅せられました」
それから13年を浦和で過ごした。そして、『サッカーの街』ではよく声を掛けられた。
もちろん、活躍を喜んでくれる人たちもいた。ただ、特に思い出深いのは、試合になかなか出られないときの街の人の声だった。
「試合に出ていないときに『試合に出ているツボの姿を見たい』と言ってくれる人に会ったり、メンバーにも入っていない時期に『ツボ、頼むぞ』と言ってくれる人がいたりしました。それが本当にうれしくて。試合に出ていない選手に対して『レッズを頼むぞ』って言ってくれるファン・サポーターがいることはすごくありがたいと感じていました」
レッズを支えているのは試合に出ている選手だけではない。試合に出られないときに声を掛けてくれる人たちは、それを分かってくれていた。その想いが感じられた。
東京で生まれ、岐阜、三重、福岡と暮らす場所を移しながら埼玉にゆかりのなかった青年はこの街を知り、「浦和ってすごい。サッカーの街だ、浦和は」と感じた。約20年経った今も、その『匂い』はそのままだ。
「僕はもうファン・サポーターと同じですからね。愛のあるヤジは飛ばしますよ」
そう言って笑いながらも、浦和の『匂い』をまとうレッズにはこれからも強くあってほしいと坪井は願う。
「自分たちがどういうことをやるんだ、ということを示してほしいです。うまくいけば良いサッカーをして結果が出るかもしれない。でもそれでOKではないと思います。次の年に沈んでしまったら意味がない。常にトップにいられるようなチームづくりを目指してほしいですし、今年はそのための1年にしてほしいですね」
うらわ愛のある坪井らしい言葉だった。
【うら"わ"をシェア】