JIN整形外科スポーツクリニック院長
仁賀定雄
初の専任ドクター、仁賀定雄が見た選手たちの実像
「僕のことはどうでもいいんです。選手のことで知ってほしいことがたくさんあるんですよ」
仁賀定雄はそう言って笑った。
膝関節の外傷・障害、肉離れ、グロインペインの治療などスポーツ医学の第一人者として、あらゆるスポーツのトップアスリートを診ている仁賀は、2003年から2011年まで浦和レッズの専任ドクターを務めていた。
現在は専任ドクターを信頼する後輩の関芳衛医師に引き継ぎ、メディカルディレクターとして三菱重工浦和レッズレディースや育成組織の選手たちの診察治療を行っているが、クラブ史上初めての専任ドクターであり、ハンス オフト監督とともにクラブのメディカルを構築した仁賀は、レッズの30年の歴史において欠かせない人物だ。
それでも仁賀が知ってほしいのは、自身のことではなく選手たちのこと。「彼らのおかげで思い切り仕事ができた」と感謝する選手たちのことだ。
高校を卒業してレッズに加入するときから印象的だったのは、小野伸二だった。
仁賀は小野、高原、稲本らが中学3年生の時、U-16日本代表のチームドクターとしてカタールで開催されたU-16アジアユース選手権に帯同して3週間を共に過ごしている。彼らはこの大会で優勝し、それまで日本サッカーが全ての世代で1度もアジア制覇を成し遂げていなかった時代に、史上初のアジア制覇を成し遂げた世代だった。
小野と仁賀の交流はこの時から始まり、厚い信頼関係は今も続いている。レッズを離れた後も、オランダでプレーしていたころを含めてどのチームに在籍しても必ず所属チームの了解を得た上で仁賀の手術を受けに来るほどだ。
仁賀はレッズ加入の際のメディカルチェックで驚かされた。
「僕が診察しようとすると先を読んで体を動かすので、すごく診察しやすいんですよ。不思議な感覚でしたね」
先を読むことはプレースタイルと同様だが、付き合いを深めていくごとに仁賀は、それは人間性のなせる業であることに気付いていった。
「何度も手術しましたが、『いつ退院できますか?』『いつ復帰できますか?』と聞かれたことは一度もありません。それを聞くことは僕にプレッシャーをかけてしまうことだと伸二は知っているからです。僕だけじゃない。周りにプレッシャーをかけるようなことはしません。そのプレッシャーを全て自分で引き受けるんです。そして、いつも笑顔。怪我をしてつらいときにああいうふうに笑顔で接することは、普通はできませんよ」
いつも人を気遣う小野は、取材などどんな予定が入っていても診察時間をいつも仁賀の都合に合わせた。あるときのこと、小野に翌日の診察の時間を確認すると、いつもどおり「先生に合わせます」と返ってきた。仁賀が「明日の9時はどうか?」と聞くと、「わかりました」とだけ返ってきた。
後に平川忠亮に翌日の9時から小野を診察する話をすると、「あれ?伸二は明日の午前中、静岡に行く予定のはずですよ」と言われた。翌日の9時、予定通り小野はやってきた。
「『平川から今日の午前中、静岡に行く用事があるって聞いたけど、行かなくてよかったの?』と聞くと、『朝早く起きて先に行ってきました。もう用事は済ませたから大丈夫です』と言うんです。オランダでプレーしていたときも、機内で2泊して日本では1泊もせず0泊3日で診断に来て往復したことがあります。『オランダで診断を待つよりこの方が早いですから』って。そういう人なんですよ」
また、仁賀は田中達也を高校生の時から診ている。田中はピッチに立てば全力で奮闘する。仁賀の目には、田中はいつも120パーセントの力を出しているように映った。田中のプレーを見ながら仁賀は、怪我の心配をしながら、ピッチで100パーセント以上の力を出せる田中の一生懸命さに感銘を受けていた。
そして田中もまた、気遣いの人だった。
「達也は怪我が少なくない選手でしたが、復帰まで時間がかかっても不満を一度も言ったことがありませんでしたし、リハビリ中でも、自分が苦しいはずなのに一緒にリハビリする若手選手を励まし、いつもアドバイスしていました。僕が手術して再び骨折や靭帯断裂することもありましたが、そういうときに再受傷した若手選手が『達也さんに、もう一度仁賀先生に手術してもらえと言われました』と来るんです。あるいは僕が手術をして、移籍で復帰した選手が連絡をしてきたと思ったら、『達也さんから、復帰したら必ず仁賀先生に連絡しろと言われました』と言うんです。僕はたとえ移籍しても、その後の選手の状態が心配です。達也は僕のそういう気持ちも分かってくれていました」
小野や田中だけではない。三都主アレサンドロ、田中マルクス闘莉王、坪井慶介、堀之内 聖、山岸範宏、土橋正樹、永井雄一郎、池田伸康ら、仁賀が手術してレッズで活躍した選手たちは、手術してリハビリ中自分のことだけでなくチームメートやスタッフのことを常に考えていた。
「選手達は長年プレーしていたら、半数以上は手術を経験します。手術してみんなが簡単に復帰はできないわけですから、僕自身も苦しいこともありました。でも、自分自身が苦しい中で信頼してくれる選手たちがいたから、思い切り仕事ができました。彼らの支えのおかげで、レッズで仕事ができたと思っています」
みなさまと歩みを共にした30年。
先日の試合で、他のどこのクラブも成しえていないJリーグホームスタジアム来場者数1,500万人を突破しました。
これまでのサポートに感謝し、ここからの時代を共に創るべく、5月21日(土)の鹿島戦は「30周年記念試合」として行います。
試合当日は、浦和レッズがある喜びを、みなさまと共に分かち合える一日にできれば幸いです。
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