伊藤敦樹
伊藤敦樹が臨む特別な相手との『30周年記念試合』
敦樹少年は、鹿島アントラーズが『嫌い』だった。
今の立場からは誤解を与えてしまうかもしれないが、伊藤敦樹はかつてレッズのサポーターだった。鹿島はレッズにとって、大舞台で頻繁に対戦してきたチーム。いわばライバルである相手を好きではないのは、サポーターにとっては当たり前のこと。
だからレッズが鹿島に勝てば、これ以上ないほどうれしかった。一方でレッズにとって好ましくない結果になれば、これ以上ないほど悔しかった。鹿島の試合の運び方、狡猾さが、悔しさや苛立ちを増幅させた。
いつから鹿島がそういう対象だったのか、覚えていない。
いつから浦和レッズが好きだったのか、それも覚えていない。
プロになってから、伊藤敦樹がレッズのサポーターだったことは周知の事実となった。いつからレッズが好きだったのか。いつから試合を観に行っていたのか。メディアに聞かれることも増えた。しかし、はっきりと答えられない。
「だから親に聞いてみましたが、スタジアムには1、2歳のころから通っていたみたいです。覚えているはずもないですよね」
行っていた、のではなく、通っていた。その表現がまた、サポーターらしい。敦樹少年にとって浦和駒場スタジアムや埼玉スタジアムは、ただ行く場所ではなく、何度も行き来した場所。
『初めての浦和レッズ』がいつかは分からない。それも親に聞けば分かるかもしれないが、自覚はない。最も古い記憶の時点ですでにレッズが好きだった。当たり前にレッズが好きだった。
幼少期、特に自分でもサッカーをプレーしていれば、特別に好きな選手や憧れる選手がいるものだ。しかし、敦樹少年にとって、そういう存在はいなかった。
小さいころ、親から渡されたユニフォームに背番号が入っていることはあったが、誰のものだったのかは覚えていない。その選手が自分にとっての特別な存在ではなかったから。自ら選んだユニフォームには、背番号は入れなかった。
「浦和レッズというチームが好きでした」
そしてみんながレッズを好きだった。さいたま市立道祖土小学校の児童の中には、「癖のある人」で大宮アルディージャのファンもいた。でも、道祖土サッカー少年団はみんながレッズのファンだった。みんながレッズに憧れていた。
だから自分が特別だとは思わなかった。親が、友人が、チームメートが、みんながレッズを好きだったからだ。
みなさまと歩みを共にした30年。
先日の試合で、他のどこのクラブも成しえていないJリーグホームスタジアム来場者数1,500万人を突破しました。
これまでのサポートに感謝し、ここからの時代を共に創るべく、5月21日(土)の鹿島戦は「30周年記念試合」として行います。
試合当日は、浦和レッズがある喜びを、みなさまと共に分かち合える一日にできれば幸いです。
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