佐藤真奈子
佐藤真奈子浦和区長がレッズと目指す『輪』と明日
佐藤真奈子浦和区長は現在のさいたま市で生まれ育った。正確に言えば現在の中央区、旧与野市の出身だが、当時から生活圏は浦和だったという。浦和に出掛け、買い物をしたり、現在のワシントンホテルにあった西友の屋上で遊んだり、映画館に行ったりしていた。
浦和と直接的な関わりをもったのは就職してから。旧浦和市の職員として現在のさいたま市役所に入庁した。
浦和レッズとの関わりはそのころにさかのぼる。
「当時の浦和市に入庁したころ、レッズの誘致や立ち上げを行っていた部署にいました。直接の担当ではありませんでしたが、すぐ隣の係でやっていて、お手伝いをすることもありました」
そんな縁もあり、Jリーグ元年から浦和市駒場競技場(現・浦和駒場スタジアム)に試合を見にいくこともあった。スタンドは真っ赤に染まり、声援は凄まじく、隣の人の声も聞こえない。その様子を率直に「すごい」と思ったという。
観戦にいけないときも、旧市役所から人がいなくなればレッズの試合があると分かった。駒場からの声援が旧市役所まで聞こえることがあった。そうしてレッズやレッズのファン・サポーターの力を会場にいかずとも、いや離れているからこそ感じられることもあった。
そして、一見すれば赤一色のスタンドには、老若男女さまざまな人がいることにも気づいた。今もレッズの試合を観戦にいくと感じることがある。
「年代を問わずつながっていけることがサッカーの素晴らしさの1つだと思います。親子や祖父母と孫で見に行っている姿を見かけると、これからの社会に必要なつながり、地域の『輪』をつくる元にもなっていくのだと感じます」
世の中は今、昔と比べて周囲との関係性が希薄になっている。浦和区の自治会加入率はさいたま市の10区の中でトップだが、それでも73.9パーセント。その数字を上げることは、浦和区の課題の1つだ。そして、その力添えもレッズに期待している。
「先日も大きな地震がありましたが、特に災害の際には『顔の見える関係』が必要です。レッズさんの活動の中でそういう意識が芽生え、自然と他の方と仲良くなり、『輪』が生まれていくといいなと思っています」
浦和区の将来像は、『にぎわいと文教の調和する緑豊かなまち』。そして、佐藤区長はそのスローガンともいえる将来像に添えられたサブタイトルが特に好きだという。
「『わたしの明日をつくるまち、わたしが明日をつくる街』という言葉があります。自分の街をつくっていこうという機運を盛り上げていきたいと思っています。レッズは浦和区のシンボルだと思っていますし、浦和の区民のみなさんが試合を観たり、『レッズがある』と思うことで勇気や元気をもらえる。そんなシンボル的な存在であってほしいと思っています。もちろん試合には勝ってほしいと思いますが、もし負けたとしても、レッズの選手たちが一生懸命プレーしている姿を見て、いろいろなことを感じてもらえればいいと思います」
佐藤区長は「選手のみなさんには浦和のうなぎを食べて力を付けていただいて」と笑顔を見せながら、こう続けた。
「『レッズがある。だから浦和区に住んでいるんだ』と思えるようになればうれしいです。浦和のまちづくりを応援するパートナーとして一緒にがんばりましょう」
浦和の街と人とレッズ。それぞれが手を取り、輪になって、より良い明日を目指していく。
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