橋岡大樹
ベルギーで変わった橋岡大樹の変わらぬうらわ愛
4ヵ月で変わったことがある。
髪の色はずいぶんと明るくなり、肌も白くなった。
体も一回り大きくなった気がするが、それはどうやらシーズンを終え、帰国してから自主隔離で2週間を過ごしたことにより、少し太ってしまったようだ。
「『肌が白いね』と『太ったね』は周りからもだいぶ言われましたね。今はもうだいぶ痩せたんですけどね」
彼らしい、屈託のない笑顔でそう話す。
生活スタイルも変わった。それはもしかすると彼個人が居住地を変えたことよりも新型コロナウイルス感染症の拡大によって世の中の生活様式が変化した影響の方が大きいかもしれないが、変わったことは確かだ。
「ずっと家にいます。オフのときも特にやることはなく、ずっと家にいるので、そこは日本にいたころと変わったと思います」
街に出てもレストランなどは営業していない。趣味と言えるだろうか、家にいる際に映画やドラマ、アニメを見る時間が長いことは日本にいたころと変わらないが、その時間は確実に増えた。
106平方キロメートルほどの土地に4万人弱が住んでいるシント=トロイデンの街はのどかだが、ベルギー人はフレンドリーだ。初めて会う人も気さくに話す人が多い。
そして国民性や文化の違いかもしれないが、これまで日本、レッズでの戦いしか知らなかった橋岡が、シント=トロイデンVVで驚いたことがある。
あるアウェイでの試合後。勝利するとシント=トロイデンに戻るバスの車中は大盛り上がりになった。誰かが流した音楽に合わせて全員が歌い、踊る。ベルギーの音楽を知らなかったため、橋岡は一緒に歌うことはできなかったが、手を叩いてチームメートと勝利の喜びを分かち合った。
そして同時に、喜びとは別の感情も覚えていた。
「1勝でこんなに盛り上がるのかと驚きました。こんなに喜びを爆発させるんだ、って。1勝の価値を改めて感じました」
一方で、変わらないこともある。
帰国し、隔離期間を終えると、U-24日本代表の合宿が始まるまで、浦和レッズのトレーニングに参加した。
「やっぱり楽しいな」
まるで今でもレッズの一員であるかのように、昨日もレッズでトレーニングしていたかのように、『合流』初日からかつてのチームメートとコミュニケーションを取った。橋岡の元チームメートに対する関係も、元チームメートの橋岡に対する関係も何ら変わらなかった。
数年を共に過ごしたメンバーだけではなく、たとえば西 大伍など、チームメートとしてはたった数日だったに過ぎないメンバーとも気さくに話す様子がいかにも橋岡らしかった。
「地元というより、庭みたいなものですね」
そう笑う浦和の街もそうだ。
大原サッカー場には実家から通う日々だった。浦和で生まれ、浦和で育った。約22年過ごした街。やはりこのご時世で気兼ねなく街中を歩くことはできないが、見慣れた道を歩くと思う。
「帰ってきたな」
4ヵ月ほど離れただけだが、浦和の街はやはり好きだと再確認できた。トレーニングに参加していた期間中、埼玉スタジアムでレッズの試合を観戦した。その際、気づいたファン・サポーターから手を振られることがあった。
日ごろからSNSにメッセージが来るため、今でもレッズのファン・サポーターの愛情は感じている。それでも、直接的な愛情表現がうれしかった。
そして変わらない思いがある。
1勝の重みがそうであるように、ベルギーで学んだことも当然あるが、橋岡は移籍決定時の決意、浦和への「恩返し」を胸にヨーロッパで戦っている。
「小さいころからずっと浦和で育って、浦和レッズに入って、ここまで育ててくれたのも浦和レッズだと思っています。浦和の街もそうです。ここまで来られたのは、今まで関わってくれた人たちのおかげだと思っています。レッズのみなさんにも恩返ししたいですし、ファン・サポーターのみなさんにも恩返ししたいです」
恩返しとは何か。何か物を贈ったり、金銭面で協力したりすることはできるだろう。ただ、それは大変なことではあっても、やり難いことではない。
「何かを贈ったから恩返し、とかではないと思っているんです。結果を残すだけだと思っています。浦和レッズを出た以上、ずっと海外でプレーするという意気込みで来ています。結果を残し続けて、応援してくださるみなさんから『橋岡、こんなところまでいったよ』と思ってもらえるようにしたいです」
結果とは何か。それを語る純粋さもまた、変わらなかった。
「(欧州)チャンピオンズリーグ優勝です。それから、ワールドカップに出場していい成績を残すことです。『浦和レッズから世界に旅立った橋岡大樹』。そう言われるようにがんばります」
自らが活躍し、結果を残すことで、お世話になった浦和レッズ、浦和の街を世界に発信する。浦和の『輪』を世界につなげるべく、橋岡は世界と戦っていく。
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