MF 11

松尾佑介

Yusuke MATSUO
MF 27

松崎 快

Kai MATSUZAKI
クラブ
分かり合える独特な関係
帰還した松尾佑介と松崎 快が思い描くレッズでの未来
2022.5.17

その経験、境遇が、感覚が合うもう1つの理由だ。

ともにジュニアユースで主力ではなかったが、将来性を見込まれてユースに昇格した。しかし、ユースでも多くの出場機会を得ることはできず、トップチームには昇格できなかった。

松尾に「俺とは全然違いますよ。歩くべき線の上をしっかりと歩いていますから」と冷やかされた松崎は「いや、日陰です」と苦笑したが、実際に同級生が4人もユースからトップチームに昇格したが、その中に入れなかった。

「大学で4年間過ごしてプロになるときには、その選手たちよりも上に行きたいと思っていました。その気持ちは4年間、常に変わりませんでした」

反骨精神。自分の上を行く選手たちをまるで下からにらむように意識し続けた。あらゆる誘惑を振り切り、時に折れそうになる心を奮い立たせる。いわば張り詰めた緊張状態を4年間も続けることは、並大抵ではない。いつも冷静で感情をあらわにするタイプではない松崎から、その姿を容易に想像することは難しい。

「僕から見ていても表には出しませんが、周りがあまり持っていない反骨精神のようなものを強く持っています。高校もそうですが、中学生、小学生から恵まれた待遇を受けていなかった選手は、もがく力があります」

松尾もそうだ。大宮とは対照的に当時のレッズユースからトップチームに昇格した選手はいなかったが、その中でも特別な存在ではなかった。

「でも、大学に行くときはプロになると決めていました」

なりたい、ではなく、なる、と決めていた。仙台大学を選んだのも、カテゴリーを問わなければ毎年1人はJリーガーになっている選手がいたからだ。スカウトの目に付きやすい関東の強豪ではなく、敢えて東北の大学を選んだ。プロになるための選択だった。

それぞれが大学で結果を出し、プロになった。そしてプロでも結果を出し、埼玉に戻ってきた。プレースタイルや境遇は似ているが、レッズに対する感情は少し違った。

松崎にとってレッズは幼いころにスタジアムで見ていたチームであり、前所属クラブである水戸ホーリーホックに愛情を感じながらも「ここなら加入したい」と思うクラブの1つだった。

松尾は試合に出られるチームにいないと意味がないと思っている。だから育成組織時代の経験や、そのころ見ていたトップチームの印象が少し邪魔をした。それでも育成組織時代から持っていた根拠のない自信に大学時代の成長、横浜FCでの経験で根拠が付き、帰ってきた。

そしてそれぞれが、それぞれの『特別感』を抱くレッズで、未来を思い描く。

「レッズにいた選手はサッカー界を代表する選手が多かったと思います。そういう選手たちのおかげでレッズのエンブレムの価値は上がったと思いますし、レッズのエンブレムを付けていたことで選手としての価値が上がったと思います。そういう選手のプレーは自分の価値はもちろん、チームの価値を上げてくれる。それが僕の見ていたレッズの選手像です。僕はそういう選手になります」(松尾)

「生まれ育った地域で、スタジアムで見ていたチームに入るということは、そうそう経験できることではありません。そう感じられる瞬間をもっと大切にしていきたいです。そして、レッズには日本一熱いファン・サポーターがいます。そういう人たちの期待に応えることがクラブの意義ですし、選手の価値だと思います。その気持ちをプレーで表現したいです」(松崎)

レッズに加入して約4ヵ月が経った。中心選手になったわけではない。彼らは今、もがき、闘っている。それでもここまでの道のりのように、もがきながら信じている。地元のチームで、あの日見たスタジアムで、あの日見たファン・サポーターの前で、熱狂の渦の中心に自分たちがいる日が来ることを。

文:菊地 正典

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