【ハートフルクラブコーチによるハートフル体験記】vol9(コラム)
ハートフルクラブコーチ陣がリレー方式でこれまでハートフルクラブでおこなった活動の経験談や体験談、コーチが大事に思っていることなどをハートフルクラブ掲示板で配信いたします。
9回目は「鈴木(しんご)コーチ」です。」
「失敗 学び 成長」
スクール生のみなさん、お久しぶりです。元気にお過ごしでしょうか。しんごコーチです。
ここで私が失敗から学び成長した話をしたいと思います。
忘れもしない22年前の12月、あの日の私は人生で初めての大きな挫折を味わいました。浦和レッズのユースチームからトップチームに昇格を果たし1シーズンを終えたばかりの私に突きつけられたのは無情にも戦力外通告という現実でした。プロのサッカー選手として夢と希望に満ちあふれ、これからというときに告げられた予期せぬ通告。プロの世界は厳しいとは分かってはいたものの、まさかその瞬間が、まさかその現実が自分に突きつけられることになろうとは。また戦力外になった理由が、自分自身のスキル不足を指摘されたのならまだ諦めがつくものの、「お前は性格がプロ向きではない!」との一言。そのときはなぜそのようなことを言われたのか、なぜ1年目で自分としては結果を残していたと自負していたにもかかわらず次年度の契約をしてもらえなかったのか。気持ちのどこかではそのときのプロとして必要な心構えが甘かったというのが分かっていたのかもしれません。ただ、当時の私はその事実を認めたくないという気持ちが先行するばかり、現実に目を向けることはありませんでした。
浦和レッズを戦力外になった後、私は縁あって横河電機という社会人チームでプレーすることになりました。横河電機では朝働いて夜に練習するという日々。それでも私はまたプロの世界に戻るという情熱だけは忘れることなく毎日練習に励んでいました。プロとしての心構え、またメンタルの強さを備え合わせてくれたのは紛れもなく横河電機での働いた経験とプレー経験があったからでした。
浦和レッズ時代の私は「優しすぎる」という自分の性格が災いしてフィールド上でもどこかチームメートに遠慮してプレーしている自分がいたのです。実際プロの世界ではそういった遠慮など必要ないにもかかわらず。また、チームメートが先輩であろうとどんどん自分の意見や思いをぶつけることが必要とされ、そういった強いメンタルを持ち合わせていない限り、プロとしてやっていくことは不可能なのです。浦和レッズを戦力外通告になった当初の私はそのことも分からずにプレーしていたのです。今思えばそれが「一番の大きな失敗」でした。
横河電機を経てまたプロの世界に戻ることができた私は、その後新潟、京都、大分、東京、北九州、シンガポールと日本国内のみならず世界でもプレーする機会に恵まれて、京都では2002年に天皇杯優勝という経験も味わうこともできました。天皇杯で優勝し、みんなと優勝カップを高々と掲げてチームメートやスタッフと優勝の喜びを分かち合った瞬間に初めて、自分自身のプロとしての性格の甘さに気づかせてくれた浦和レッズに感謝することができたのです。 この私の『一番の大きな失敗』は後に私自身を一回りも二回りも成長させてくれただけでなく、かけがえのないたくさんの出会いや経験をもたらせてくれました。
スクール生のみなさんも今後たくさんの壁にぶつかったり、挫折を味わうことがあると思います。大切なことは、失敗しても諦めずに前向きにいろいろなことにチャレンジしていくことです。そうすれば、必ず道は開けていくものだと私は信じています。
『1%の可能性がある限り、100%の努力をする』
最後になりますが、現在、私たちは世界中で見えない敵と戦っています。一刻も早く事態を収めるためには、現場で体を張って戦ってくれている医療従事者だけではなく、それ以外の人たちの行動がとても重要になります。今こそ、みなさんの想いを一つにして、この危機を乗り越えましょう。