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不定期連載 『Beyond』vol.6 伊藤美紀という選手を形作ったルーツとはーー。
選手の思いや試合に臨む姿を伝える不定期連載『Beyond』。第6回は、伊藤美紀選手にルーツにまつわる話を語ってもらいました。ぜひ、ご一読ください。
多彩な“色”を魅せてくれる、という意味でもとても魅力的な選手、という印象がある。
伊藤美紀ーー。
150センチ、44キロの小さな体躯で表現するプレー、そしてピッチ内外で見せる表情は、一度見れば、誰もがポジティブな印象を抱くのではないだろうか。
ボールのあるシーンで見せる技術に優れるだけでなく、オフと呼ばれるボールがないところでの動きもとてもうまい。
たとえば、パスを引き出すシーン。
センターバックがパスを受け、ボールを蹴ることができる場所にボールを置き、顔を上げる。その瞬間、伊藤は相手ゴール方向へ進んでいた身体をクッと自陣方向へ転換し、タイミングよく相手DFのマークを外して、ボールを受けることのできる状況を作る。
味方のタイミングと相手との駆け引き。
複数あるタスクを調和し、ボールを引き出して、チームが前進するシーンを創り出す。
一方で、ピッチ外ではチームメイトととても楽しそうに無邪気にはしゃぐ姿も見せる。
伊藤美紀という選手は、どんなふうに形作られてきたのだろうか。
皇后杯 JFA 第46回全日本女子サッカー選手権大会を前に、話を聞いた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◆サッカーとの出会い◆
サッカーをはじめたきっかけですか?
3つ上の兄がいて、サッカーをやっていたんです。私が保育園に行っていたときだから、5歳くらいだと思うんですけど、父が迎えに来てくれて、その後、兄の練習に行っていました。
兄たちが練習をしている横で、ボールを蹴ってな、と言われて、始めたのはそのころだと思います。
記憶を振り返っても、そのときから楽しい、と思ってやっていた感じです。一緒にやりたい、という感じだったんだと思います。
サッカーって足でボールを扱うから、やっぱり難しいじゃないですか。でも、なんかできちゃったんですよね。
父がコーチをしていて、兄たちを指導している間、私はマーカーを並べてドリブルの練習してて、と言われていたんですけど、なんかできていて、それが楽しくて。
私自身は何か一つのことにすごく集中できるタイプなんです。だから、同じことをずっと反復してできちゃうんですよ。ずっとドリブルしているのが楽しい記憶として残っています。
あとは冬とかに体育館で練習していると、体育館って、いろいろな競技の線が引かれているじゃないですか。その線の上を少しもずらさずに、ちょっと遠くにいる父にパスを出すというのをやっていて。それが綺麗にいったら、わー!ってなって。その感覚がたぶん楽しかったんだと思います。
兄に負けたくなかったという気持ちもありましたね。
家の中で1対1をやっていたんですね、ソファーをゴールにしたりして。狭い方と広い方の陣地だったんですけど、兄の方がずるいから(笑)、いつも狭い方を自分の陣地にして、私が広い方を守って。
そういうのも楽しかったんだと思います。
それと親の姿勢もあったかもしれません。
あれはダメ、これをやってはダメとか、あまり言われた記憶がなくて。ふつう、家の中で1対1とかやっていたら、怒られるじゃないですか。
父のお酒とかにバーンってあたってこぼれたりしても、ほどほどに!という感じで、怒られることもなかったんです。
◆少女時代に獲得した技術のベース◆
チームに入ったのは、小学生のときでしたかね。私の出身の町には女子チームがなくて、八戸市にあったので、そちらに行っていました。
少年団もあったので、女子チームとの掛け持ちでやっていました。
中学生のときも、男子のサッカー部に入って、女子も掛け持ちでやっていた感じです。試合は土日は女子という感じが多かったんですけど、男子の方の試合にも練習試合とか自分の学年が3年生のときには出ていましたよ。
女子のチームではトップ下とかサイドハーフで割と前目だったんですけど、男子のチームではボランチをやっていました。
技術の習得?
たぶんルーツはナカスポという女子チームだと思います。とてもテクニックにこだわっているチームで基本のところをずっとやっているチームでした。
リフティング、ドリブル、シュート、本当に細かい練習ばかりでした。いわゆるドリル系が多かったと思います。
あと、練習が体育館だったんですよ。基本はフットサルのような感じで、狭いコートでのトレーニングが多かったので、自然とそういった狭い局面でのプレーが身についたという感じです。部活は部活で大きいコートでできていたから、うまいバランスで良い感じにやれていたんだと思います。
◆観て、学び、実践して進化したプレー◆
中学を卒業したあとは、常盤木学園高等学校に進みました。サッカーの強豪校でアンダーの代表選手を輩出していたし、東北で実家から近かったというのが理由です。
その後は、声も掛けていただけたのと、なでしこジャパンの選手も多く在籍していたということで、INAC神戸レオネッサにお世話になりました。
自分の性格的にも、厳しい環境に行くのが合っていると思っていたので、それで決めました。
1年目はサイドハーフで試合に出たり、出なかったり、という感じで、苦しんだんですけど、2年目からが転機になりました。
松田(岳夫)さん(現・日テレ・東京ヴェルディベレーザ監督)が監督に就任して、なでしこジャパンだった海外組の選手たちもI神戸に戻ってきたんです。
そこで、結構わーっと揉まれました。
今のプレースタイルはそのときから形作っていった、と思います。
ボランチのプレーだったり、サッカー観みたいなものがそこからレベルアップした感覚があります。
I神戸時代に指導していただいた監督や選手は、ベレーザ系が多かったんです。そこで相手の逆を取ることや流れを読んでゲームを組み立てることをすごく求められました。
最初は、流れを読むって何!?という感じだったんですよ。なんだろう?、みたいな。
だから、そこからすっごくサッカーを観ました。海外の試合も見たし、1日に複数試合を観ることもありました。
それで自分なりに結構掴んだところがあったんです。ボールのオンのところだけではなく、相手が何を狙っているのか、どういう意図を持って守備をしてきているのか、とか。
たとえば、私たちがボールを持つ、その持ち方次第でも、相手の守備の仕方は変わるし、自分たちの守備のときには相手のボールの持ち方で、どこに出せる可能性があるか、とか。目線だったり、味方の動きとのつながりだったり、すごく細かいんですけど、そういうところを観なさい、ということを言われて。
観るものいっぱいあるな!って、それがすごく発見だったんですけど、それがすごく楽しくて逆にハマっちゃいました。
試合を観るだけではなく、一つのシーンを何回も巻き戻して観ました。
最初は客観的に起きた事象だけ観るんですけど、この崩し方いいなって思ったときには、そのシーンがどこから始まっているのか。どのパスから始まっていて、そのとき相手はどういう狙いを持って守備をしていたのか、とか。
そのときの味方の立ち位置なども全部細かく何回も巻き戻して観ていくというのをやっていました。
そういうのを頭で理解して、練習やピッチでも確認して自分に落とし込んでいくんです。
だから、もしかすると私を形作ってくれたのは、子どものころのサッカーが楽しいと思えた体験と技術習得、I神戸時代に教えてもらったサッカーの面白さを追求するところ、それとやっぱり家族が与えてくれた環境と言えるかもしれません。
◆昨季皇后杯で気づき、感じた大切なこと◆
(写真:2024年1月27日の皇后杯決勝、PK戦の末、準優勝となった)
皇后杯といえば、そうですよね。前の大会の決勝のこと、ですよね。
実は私、PKって避けてきていたんです。
高校3年生のときだったと思うんですけど、全国大会の選手権でPK、外しているんです。準決勝で藤枝順心高校との試合でした。
私が3人目ぐらいに蹴って外して。
そのつぎの味方も外して、それで負けてしまいました。
それで、それまでは、PKにすごく自信を持っていたんですけど、急に自信がなくなってしまったんです。
I神戸時代も避けていたんですが、どこかで克服しなきゃって思っていました。
昨季の皇后杯の準決勝、サンフレッチェ広島レジーナとの試合でも、PKだったじゃないですか。
そのときには蹴っていなくて、決勝の前に父と電話しているんです。
父からは「もういいから、蹴ろ!」って言われて、私は、「蹴らない!」ってずっと言ってて。
でも決勝では、蹴る勇気を持って、蹴りに行きました。怖さとかはなかったです。
ただ、GKがもともとチームメイトでよく知っていた山下(杏也加)選手だったので、(腕が)伸びるというか、PKを止めるシーンもよく見ていたので、甘いコースには蹴れないと思っていました。
そこで振り切った結果が、ポストだったんですけど、自分でも攻めた感触はありました。
サイドネットギリギリを狙ったんです。
だから、いま思えば、一つ先に進めたという気持ちではあります。
(写真:ボールは無情にもポストにはじかれ、伊藤は最後のキッカーとなった)
それと、あのときとてもうれしかったことがあって。
外したあと、みんな、速かったんですよ、私を囲んでくれるのが。
なんか、そのときに蹴ってよかったんだ、と思ったし、負けてしまったんですが、こんな温かいチームの一員として戦えたのは、本当に誇りというか、すごく嬉しいという感情があったんですね。
だから意味のあるPKになりましたし、本当に蹴って良かったというふうに思えています。
(写真:終了後、チームメイトはすぐに伊藤に駆け寄った)
表彰台に上がるときも、ちゃんと挨拶しよう、と胸を張ってやりきった表情を見せることができました。
準優勝で、ふつうなら悔しさを出すのに、あんなに来場してくださった方たちに大きな声で、「ありがとうございました!」と言えるチームはなかなかないと思います。
(写真:準優勝の表彰。笑顔で胸を張った姿を見せた)
これがレッズの強さなんだなって思いましたし、リザーブやメンバーに入れなかった選手も含めて、本当にみんなで戦ったとすごく感じました。
このチームは本当にチームワークがよくて、みんながみんなのために頑張れる、だから強いんだと思います。
それと、そういう経験も昨シーズンのリーグ優勝につながっているんだと思います。
皇后杯の結果は準優勝でしたけど、みんなでたたえ合って、次を頑張ろうと話して、リーグは追いかける立場でしたけど、連勝、連勝で行って、最後にタイトルを獲得できました。
みんなが下を向かずに前を向いて取り組んだからだと思いますし、本当に全員で優勝するという目標に向かって日々頑張った結果なんですよね。
それがサッカーの素晴らしさだと思いますし、私が大切にしている部分でもあるので、移籍一年目から本当によい、充実した一年にしてもらって、私は周りに恵まれているなと感じました。
◆ふだんどおりに臨み、力を出す◆
また皇后杯が始まりますけど、あの大会は独特の雰囲気があるんです。結構緊張しやすい大会というか、一発勝負ですし。
私の中では苦手な大会の一つだったんですけど、割と経験も積んできたので、逆にそれを楽しめるような気持ちに持って行けるようには成長できています。
皇后杯だからということは背負わずに、目の前の相手にまず勝つことをしっかり考えてやっていきたいです。
いつもどおりにプレーするのが一番勝利に近いし、みんなの力も引き出せると思うので。
そういう意味でも、ファン・サポーターのみなさんの力はとてもありがたいです。
アウェイでも本当にホームのような、いつもどおりの環境を作ってくれます。
後押しがすごくて、身体が勝手に動いちゃうんですよ。あれだけ応援していただけると、応えようと自然と身体が動くんです。
それに特に浦和駒場スタジアムがそうなんですけど、レッズのファン・サポーターのみなさんは、メインスタンドでもバックスタンドでも声を出してくれるんですよね。
ナイスプレー!とか、ちょいちょい聞こえるじゃないですか。
あ、そのプレー、観ててくれたんだってうれしくなります。私のプレー自体は、目立たないものも多いんですけど、そういうプレーを観てくれて、ほめてもらえると、もっとやろう!と思います。
ファン・サポーターのみなさんは、本当に私たちの原動力!という感じです。
◆次に何が起こるかワクワクされる選手になりたい◆
私の夢ですか?
私自身は、やっぱりずっと、もっとうまくなりたい!という思いでプレーを続けてきています。
たとえば、選手によっては代表という目標があると思うんですけど、それよりは楽しんでサッカーをしている姿を見てもらいたいという気持ちが強いです。
次に何が起こるんだろうと、ワクワクして期待してもらえるような、そういう選手になりたいです。
チームのために頑張って、結果を残して、代表にもいけたらうれしいですけど、それよりも、伊藤美紀というサッカー選手を観ていると、なんかワクワクするね、楽しいね、と思ってもらえる選手になりたいと思っています。
だから、ぜひ、みなさんに見てほしいですね。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
取材をしている最中、伊藤は、まるで親しい友人とおしゃべりをしているかのように、楽しそうに、笑顔を絶やさず話してくれた。
彼女を見ていると、やはり笑顔という言葉が浮かぶ。
それは、母からの影響だそうだ。
「笑顔でいなさい」
「つらいことがあっても笑っていれば絶対にいいことがあるから、どんなきでも笑っていた方がいいよ」
今でも、ときおり、母からそうした言葉を贈られているという。
今季、フォトグラファーの近藤篤氏がまさに彼女らしい瞬間を撮影してくれている。
勝利後、石川璃音と喜びあっているシーンなのだが、その表情や仕草から感じ取れる雰囲気が伊藤の人柄をとてもよく捉え、表している。
ぜひ、ピッチ上では、ボールがあってもなくても魅せる彼女の職人的なプロの技と試合前後に見せる彼女の人柄が感じられる姿に注目してほしい。
きっと魅了され、彼女やその仲間たちを応援したくなると思う。
(URL:OMA/写真=近藤篤)
多彩な“色”を魅せてくれる、という意味でもとても魅力的な選手、という印象がある。
伊藤美紀ーー。
150センチ、44キロの小さな体躯で表現するプレー、そしてピッチ内外で見せる表情は、一度見れば、誰もがポジティブな印象を抱くのではないだろうか。
ボールのあるシーンで見せる技術に優れるだけでなく、オフと呼ばれるボールがないところでの動きもとてもうまい。
たとえば、パスを引き出すシーン。
センターバックがパスを受け、ボールを蹴ることができる場所にボールを置き、顔を上げる。その瞬間、伊藤は相手ゴール方向へ進んでいた身体をクッと自陣方向へ転換し、タイミングよく相手DFのマークを外して、ボールを受けることのできる状況を作る。
味方のタイミングと相手との駆け引き。
複数あるタスクを調和し、ボールを引き出して、チームが前進するシーンを創り出す。
一方で、ピッチ外ではチームメイトととても楽しそうに無邪気にはしゃぐ姿も見せる。
伊藤美紀という選手は、どんなふうに形作られてきたのだろうか。
皇后杯 JFA 第46回全日本女子サッカー選手権大会を前に、話を聞いた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◆サッカーとの出会い◆
サッカーをはじめたきっかけですか?
3つ上の兄がいて、サッカーをやっていたんです。私が保育園に行っていたときだから、5歳くらいだと思うんですけど、父が迎えに来てくれて、その後、兄の練習に行っていました。
兄たちが練習をしている横で、ボールを蹴ってな、と言われて、始めたのはそのころだと思います。
記憶を振り返っても、そのときから楽しい、と思ってやっていた感じです。一緒にやりたい、という感じだったんだと思います。
サッカーって足でボールを扱うから、やっぱり難しいじゃないですか。でも、なんかできちゃったんですよね。
父がコーチをしていて、兄たちを指導している間、私はマーカーを並べてドリブルの練習してて、と言われていたんですけど、なんかできていて、それが楽しくて。
私自身は何か一つのことにすごく集中できるタイプなんです。だから、同じことをずっと反復してできちゃうんですよ。ずっとドリブルしているのが楽しい記憶として残っています。
あとは冬とかに体育館で練習していると、体育館って、いろいろな競技の線が引かれているじゃないですか。その線の上を少しもずらさずに、ちょっと遠くにいる父にパスを出すというのをやっていて。それが綺麗にいったら、わー!ってなって。その感覚がたぶん楽しかったんだと思います。
兄に負けたくなかったという気持ちもありましたね。
家の中で1対1をやっていたんですね、ソファーをゴールにしたりして。狭い方と広い方の陣地だったんですけど、兄の方がずるいから(笑)、いつも狭い方を自分の陣地にして、私が広い方を守って。
そういうのも楽しかったんだと思います。
それと親の姿勢もあったかもしれません。
あれはダメ、これをやってはダメとか、あまり言われた記憶がなくて。ふつう、家の中で1対1とかやっていたら、怒られるじゃないですか。
父のお酒とかにバーンってあたってこぼれたりしても、ほどほどに!という感じで、怒られることもなかったんです。
◆少女時代に獲得した技術のベース◆
チームに入ったのは、小学生のときでしたかね。私の出身の町には女子チームがなくて、八戸市にあったので、そちらに行っていました。
少年団もあったので、女子チームとの掛け持ちでやっていました。
中学生のときも、男子のサッカー部に入って、女子も掛け持ちでやっていた感じです。試合は土日は女子という感じが多かったんですけど、男子の方の試合にも練習試合とか自分の学年が3年生のときには出ていましたよ。
女子のチームではトップ下とかサイドハーフで割と前目だったんですけど、男子のチームではボランチをやっていました。
技術の習得?
たぶんルーツはナカスポという女子チームだと思います。とてもテクニックにこだわっているチームで基本のところをずっとやっているチームでした。
リフティング、ドリブル、シュート、本当に細かい練習ばかりでした。いわゆるドリル系が多かったと思います。
あと、練習が体育館だったんですよ。基本はフットサルのような感じで、狭いコートでのトレーニングが多かったので、自然とそういった狭い局面でのプレーが身についたという感じです。部活は部活で大きいコートでできていたから、うまいバランスで良い感じにやれていたんだと思います。
◆観て、学び、実践して進化したプレー◆
中学を卒業したあとは、常盤木学園高等学校に進みました。サッカーの強豪校でアンダーの代表選手を輩出していたし、東北で実家から近かったというのが理由です。
その後は、声も掛けていただけたのと、なでしこジャパンの選手も多く在籍していたということで、INAC神戸レオネッサにお世話になりました。
自分の性格的にも、厳しい環境に行くのが合っていると思っていたので、それで決めました。
1年目はサイドハーフで試合に出たり、出なかったり、という感じで、苦しんだんですけど、2年目からが転機になりました。
松田(岳夫)さん(現・日テレ・東京ヴェルディベレーザ監督)が監督に就任して、なでしこジャパンだった海外組の選手たちもI神戸に戻ってきたんです。
そこで、結構わーっと揉まれました。
今のプレースタイルはそのときから形作っていった、と思います。
ボランチのプレーだったり、サッカー観みたいなものがそこからレベルアップした感覚があります。
I神戸時代に指導していただいた監督や選手は、ベレーザ系が多かったんです。そこで相手の逆を取ることや流れを読んでゲームを組み立てることをすごく求められました。
最初は、流れを読むって何!?という感じだったんですよ。なんだろう?、みたいな。
だから、そこからすっごくサッカーを観ました。海外の試合も見たし、1日に複数試合を観ることもありました。
それで自分なりに結構掴んだところがあったんです。ボールのオンのところだけではなく、相手が何を狙っているのか、どういう意図を持って守備をしてきているのか、とか。
たとえば、私たちがボールを持つ、その持ち方次第でも、相手の守備の仕方は変わるし、自分たちの守備のときには相手のボールの持ち方で、どこに出せる可能性があるか、とか。目線だったり、味方の動きとのつながりだったり、すごく細かいんですけど、そういうところを観なさい、ということを言われて。
観るものいっぱいあるな!って、それがすごく発見だったんですけど、それがすごく楽しくて逆にハマっちゃいました。
試合を観るだけではなく、一つのシーンを何回も巻き戻して観ました。
最初は客観的に起きた事象だけ観るんですけど、この崩し方いいなって思ったときには、そのシーンがどこから始まっているのか。どのパスから始まっていて、そのとき相手はどういう狙いを持って守備をしていたのか、とか。
そのときの味方の立ち位置なども全部細かく何回も巻き戻して観ていくというのをやっていました。
そういうのを頭で理解して、練習やピッチでも確認して自分に落とし込んでいくんです。
だから、もしかすると私を形作ってくれたのは、子どものころのサッカーが楽しいと思えた体験と技術習得、I神戸時代に教えてもらったサッカーの面白さを追求するところ、それとやっぱり家族が与えてくれた環境と言えるかもしれません。
◆昨季皇后杯で気づき、感じた大切なこと◆
(写真:2024年1月27日の皇后杯決勝、PK戦の末、準優勝となった)
皇后杯といえば、そうですよね。前の大会の決勝のこと、ですよね。
実は私、PKって避けてきていたんです。
高校3年生のときだったと思うんですけど、全国大会の選手権でPK、外しているんです。準決勝で藤枝順心高校との試合でした。
私が3人目ぐらいに蹴って外して。
そのつぎの味方も外して、それで負けてしまいました。
それで、それまでは、PKにすごく自信を持っていたんですけど、急に自信がなくなってしまったんです。
I神戸時代も避けていたんですが、どこかで克服しなきゃって思っていました。
昨季の皇后杯の準決勝、サンフレッチェ広島レジーナとの試合でも、PKだったじゃないですか。
そのときには蹴っていなくて、決勝の前に父と電話しているんです。
父からは「もういいから、蹴ろ!」って言われて、私は、「蹴らない!」ってずっと言ってて。
でも決勝では、蹴る勇気を持って、蹴りに行きました。怖さとかはなかったです。
ただ、GKがもともとチームメイトでよく知っていた山下(杏也加)選手だったので、(腕が)伸びるというか、PKを止めるシーンもよく見ていたので、甘いコースには蹴れないと思っていました。
そこで振り切った結果が、ポストだったんですけど、自分でも攻めた感触はありました。
サイドネットギリギリを狙ったんです。
だから、いま思えば、一つ先に進めたという気持ちではあります。
(写真:ボールは無情にもポストにはじかれ、伊藤は最後のキッカーとなった)
それと、あのときとてもうれしかったことがあって。
外したあと、みんな、速かったんですよ、私を囲んでくれるのが。
なんか、そのときに蹴ってよかったんだ、と思ったし、負けてしまったんですが、こんな温かいチームの一員として戦えたのは、本当に誇りというか、すごく嬉しいという感情があったんですね。
だから意味のあるPKになりましたし、本当に蹴って良かったというふうに思えています。
(写真:終了後、チームメイトはすぐに伊藤に駆け寄った)
表彰台に上がるときも、ちゃんと挨拶しよう、と胸を張ってやりきった表情を見せることができました。
準優勝で、ふつうなら悔しさを出すのに、あんなに来場してくださった方たちに大きな声で、「ありがとうございました!」と言えるチームはなかなかないと思います。
(写真:準優勝の表彰。笑顔で胸を張った姿を見せた)
これがレッズの強さなんだなって思いましたし、リザーブやメンバーに入れなかった選手も含めて、本当にみんなで戦ったとすごく感じました。
このチームは本当にチームワークがよくて、みんながみんなのために頑張れる、だから強いんだと思います。
それと、そういう経験も昨シーズンのリーグ優勝につながっているんだと思います。
皇后杯の結果は準優勝でしたけど、みんなでたたえ合って、次を頑張ろうと話して、リーグは追いかける立場でしたけど、連勝、連勝で行って、最後にタイトルを獲得できました。
みんなが下を向かずに前を向いて取り組んだからだと思いますし、本当に全員で優勝するという目標に向かって日々頑張った結果なんですよね。
それがサッカーの素晴らしさだと思いますし、私が大切にしている部分でもあるので、移籍一年目から本当によい、充実した一年にしてもらって、私は周りに恵まれているなと感じました。
◆ふだんどおりに臨み、力を出す◆
また皇后杯が始まりますけど、あの大会は独特の雰囲気があるんです。結構緊張しやすい大会というか、一発勝負ですし。
私の中では苦手な大会の一つだったんですけど、割と経験も積んできたので、逆にそれを楽しめるような気持ちに持って行けるようには成長できています。
皇后杯だからということは背負わずに、目の前の相手にまず勝つことをしっかり考えてやっていきたいです。
いつもどおりにプレーするのが一番勝利に近いし、みんなの力も引き出せると思うので。
そういう意味でも、ファン・サポーターのみなさんの力はとてもありがたいです。
アウェイでも本当にホームのような、いつもどおりの環境を作ってくれます。
後押しがすごくて、身体が勝手に動いちゃうんですよ。あれだけ応援していただけると、応えようと自然と身体が動くんです。
それに特に浦和駒場スタジアムがそうなんですけど、レッズのファン・サポーターのみなさんは、メインスタンドでもバックスタンドでも声を出してくれるんですよね。
ナイスプレー!とか、ちょいちょい聞こえるじゃないですか。
あ、そのプレー、観ててくれたんだってうれしくなります。私のプレー自体は、目立たないものも多いんですけど、そういうプレーを観てくれて、ほめてもらえると、もっとやろう!と思います。
ファン・サポーターのみなさんは、本当に私たちの原動力!という感じです。
◆次に何が起こるかワクワクされる選手になりたい◆
私の夢ですか?
私自身は、やっぱりずっと、もっとうまくなりたい!という思いでプレーを続けてきています。
たとえば、選手によっては代表という目標があると思うんですけど、それよりは楽しんでサッカーをしている姿を見てもらいたいという気持ちが強いです。
次に何が起こるんだろうと、ワクワクして期待してもらえるような、そういう選手になりたいです。
チームのために頑張って、結果を残して、代表にもいけたらうれしいですけど、それよりも、伊藤美紀というサッカー選手を観ていると、なんかワクワクするね、楽しいね、と思ってもらえる選手になりたいと思っています。
だから、ぜひ、みなさんに見てほしいですね。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
取材をしている最中、伊藤は、まるで親しい友人とおしゃべりをしているかのように、楽しそうに、笑顔を絶やさず話してくれた。
彼女を見ていると、やはり笑顔という言葉が浮かぶ。
それは、母からの影響だそうだ。
「笑顔でいなさい」
「つらいことがあっても笑っていれば絶対にいいことがあるから、どんなきでも笑っていた方がいいよ」
今でも、ときおり、母からそうした言葉を贈られているという。
今季、フォトグラファーの近藤篤氏がまさに彼女らしい瞬間を撮影してくれている。
勝利後、石川璃音と喜びあっているシーンなのだが、その表情や仕草から感じ取れる雰囲気が伊藤の人柄をとてもよく捉え、表している。
ぜひ、ピッチ上では、ボールがあってもなくても魅せる彼女の職人的なプロの技と試合前後に見せる彼女の人柄が感じられる姿に注目してほしい。
きっと魅了され、彼女やその仲間たちを応援したくなると思う。
(URL:OMA/写真=近藤篤)