Jリーグは今年の5月15日で開幕30周年。
うれし涙を流した試合に、
雨の中ずぶ濡れになって闘った試合。
あの日の熱狂ごと甦ってくるような、
忘れられないゲームが、
誰にでもきっとあるはず。
この日はみんなでそんな記憶を
語りながら熱くなりませんか。
30年分のおもいを込めて、
思いっきり、埼スタで叫びませんか。
ここからまた、つぎの熱い記憶を、
あなたとともに。
2006.12.02 埼玉スタジアム2〇〇2
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J1 第34節
○ 3 – 2
[得点者]
ポンテ、ワシントン×2初のJリーグチャンピオンになった試合。
最終節のホームに2位のガンバを迎え、3点差以上で負けなければレッズが優勝という有利な状況だったが、21分に先制され、スタジアムに少なからず動揺が走った。それを払拭したのはロブソン・ポンテ。27分に相手陣内でパスを受けるとDFをかわしてシュートを流し込み同点に追いついた。 落ち着きを取り戻したレッズはその後、ワシントンが2点を追加して得点王タイに並ぶ快挙を達成。粘るガンバを下して初のシャーレを掲げた。
埼スタは当時のJリーグ記録を更新する62,241人で膨れ上がり、さらに年間17試合のホーム無敗という偉業も加えた、レッズにふさわしい初優勝だった。
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浦和の全てのファン・サポーターが待ちに待った瞬間。 62,000人を超える仲間が集まり、あのときの声援や熱気は凄まじく、負ける気がしませんでした。
当時、小学生だった私はJ開幕時からの浦和サポの両親と一緒に観戦。 優勝を告げるホイッスルと直後の歓声は一生忘れません。 進学・就職で浦和を離れるときもありましたが、ホーム(さいたま)に戻った今、あの瞬間を再び味わうために声を出し続けています!
まだ北ゴール裏で応援していた頃で、試合終了のホイッスルで膝から崩れ落ち号泣しました。 地方サポなのでホテルを予約していたのに、仲間と語らい浦和の街で夜を明かしてしまいました。
優勝云々に関わらず最終戦のチケットは買っていましたが、33節で決まるかと思いきや、まさかの同点で最終戦までもつれ、嬉しいやら悲しいやら。2005年に生まれた娘を初めてスタジアムに連れて行き、私は子守そっちのけで応援してました。
ポンテの同点ゴールでスタジアム湧いた時は、娘がびっくりして泣いてしまい、ゴールの余韻も無いままオロオロしていた事を思い出します。 優勝が決まった時はスヤスヤ寝ていて周りの喧騒にも気が付かず、可愛い寝顔と優勝トロフィーを交互に見た時の幸せと言ったらありませんでした。
浦和レッズのリーグ初制覇をかけたナショナルダービーと言われた戦いで、選手のアンダーシャツにもサポーターの想いが書かれていた事を思い出します。あの日、あの時に立ち会う事が出来たのは私の人生で最大の喜びとなってます。選手入場から全員総立ちで手と手を取り合い高く掲げたサポーターの想いが選手へと繋がった瞬間だったと思います。
又再び浦和に訪れる最高の瞬間の為に日々浦和と共に邁進して行きたいと思います。 We are Reds!
10月末に娘が生まれたばかりだったので、妻と娘を置いて私一人でスタジアムには行くことはしないで、家のテレビの前で、妻と生まれたばかりの娘と3人で一緒にチームを応援することを選び、そして家族揃って待ちに待った歓喜の瞬間を味わいました。
優勝が決まった後、笑顔の妻に送り出されて浦和の街に行きました。ユニフォームを着て西口に向かう途中では、沢山の人に試合の結果を聞かれて一緒に歓声を上げ、真っ赤に染まった力の前では、笑顔と歓声に包まれ、誰もが幸せいっぱいでした。あんなに小さかった娘もいつの間にかもう高校生、今度こそ3人で一緒にスタジアムで、そして浦和の街で、Jリーグ優勝の瞬間を迎えたいです。
人生初の北海道旅行。優勝の瞬間みたさに1泊2日の弾丸旅行に切り替え、朝一の飛行機で羽田へ。機内にも赤い同士がチラホラ。無事に着陸し、出口に向かうとお見送りのCAさんが小さな声で WE are reds!と制服のポケットからバッジをチラッと。
会社が某チームのスポンサーなので大声だせないんですとニッコリ。魂受け取りましたと埼スタへ向かいました。あのCAさん、今もレッズ応援しててくれると嬉しいです。
優勝は、病室のテレビで見届けました。その年10月に大怪我をして寝たきりで治療の日々でしたが、レッズの優勝に勇気づけられました。
今は、埼スタでレッズを応援できることに幸せを感じています。今度は。埼スタでレッズの優勝を見届けたい。
当時は仙台に単身赴任しており、出張から試合開始少し前に赴任先マンションに戻りTVをつけたらベガルタ仙台の試合。地上波は仙台戦だけで浦和レッズの試合ではなかった。
BSの裏ではレッズの試合をやっていたが、単身赴任先のTVではBSは映らなかったので、急遽会社に行き、会社のTVで試合途中から観戦した。先輩社員が休日出勤しており、気にしながらも会議室で思わず声がでてしまいつつ応援した。先輩は仕事中うるさかったとは思うが「優勝おめでとう」と言ってもらえた。
リーグ初制覇とワシントンの得点王が決まる試合がホーム最終戦でできるというシチュエーションがまずドラマのようですが、試合展開もドラマチックでした。ガンバに先制を許すもホームの雰囲気が逆転弾を呼び込み勝利。
代表選手や人気選手が多く在籍して観客数も一番多い時代でした。ポンテ、ワシントンもすごかったけど、闘莉王や長谷部、啓太など全員がすごかった。勝利を確信したアレックスが試合終了前からベンチで太鼓をたたき始めたのも優勝のお祭り気分を盛り上げました。優勝記念で購入した花菱のスーツは今でも大事に持っています。また優勝して埼スタを満員にしたいですね。
記念すべき浦和レッズが初のJリーグタイトルを勝ち取った日!当時は僕は中学3年生の少年。浦和レッズの人気はピークのときで、埼スタほどの収容人数を誇るスタジアムであってもそれなりの席で見ようと思うとチケットは争奪戦。
優勝がかかったこの試合のチケットを手に入れることができなかったものの、どうしても試合を観たかった僕は、サポーター友達と声かけで譲ってくれる人を探すことに。サッカー部時代の集合写真を入れていた大きな額縁パネルから写真を引き抜き、「チケット2枚譲ってください」の類の文章を書いた紙を入れ、浦和美園から埼スタ周辺でサポーターの人に大きなこえで「チケット2枚探しています!余っている方いませんか!」と発し続けた。
途中、からかってわざわざ近づいて「余ってないのよ」といじわるをしてくる人もいたが、声をかけ続けた結果、おばちゃんが駆け寄って「小中チケットでいいのよね?2枚余ってるわよ!」と声をかけてくれた。驚きと興奮で感謝を伝えてチケットを買い取った。その後、南のゴール裏に近いバックロアーの席を取り念願の試合を観戦。ゴール裏以外は基本座り見なはずなのに、どのタイミングからだったかは覚えていないがその試合はバックロアーも総立ちで観戦して応援していた覚えがある。試合はワシントンにポンデが大活躍でついに優勝。一生の思い出になり、また自分の願いや夢のために行動を起こしてみるもんだなと、自分を大きく成長させてくれた体験でした。
ガンバ戦といえばこの試合!子供の頃から応援していてJ2降格まで味わったレッズがついにJ1優勝を決めて人生の最後まで決して忘れないであろう試合の1つ!
2位との直接対決で負けでも2点差以内なら優勝という圧倒的有利な状況でしたが、最後の最後までハラハラするレッズらしい試合展開だったのを覚えています 最後の数分間は初優勝へのソワソワ感と同点に追い付かれるのではないかというヒヤヒヤ感を同時に感じていました!またガンバ大阪とリーグ優勝を賭けた試合が出来る日を願って!
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[得点者] ポンテ、ワシントンx2 -
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