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鈴木彩艶 セレモニー時メッセージ/コメント
【セレモニー時メッセージ】
「みなさん、こんばんは。この度、ベルギーリーグ・シント=トロイデンVVに移籍することを決断しました。正直、このクラブを離れるときは、このピッチで守護神としてゴールを守り、タイトルを獲得してからという目標を持って闘ってきましたが、今日までにそれを達成することができなかったことを非常に悔しく思います。しかしこの大きなクラブで約11年間、たくさんのスタッフ、選手、ファン・サポーターのみなさんに支えられ、ここまでサッカー選手としてはもちろん、人として大きく成長することができたと思っています。
今回、この移籍を決断するにあたり、非常に悩みました。しかし自分はピッチの上で自分自身をプレーで表現することができるかということが、とても大事だと思いました。最後は覚悟を持って、この移籍を決断しました。この移籍が良かったと思ってもらえるよう、世界のピッチで闘っていきたいと思います。
そしてアカデミーの選手たちの目標となれるよう、そしてなり続けられるように、闘っていきます。
今、浦和レッズはリーグタイトル獲得に向け、とても大事な時間を過ごしています。引き続きのサポートと共に、少しでも僕を気にかけてくれたらうれしいです。
いつかこのクラブで、このピッチで、浦和レッズのエンブレムを背負ってゴールマウスを守り、そして今日までに達成できなかった目標を再び追いかけることができるように、世界のピッチで浦和人としての誇りを胸に闘ってきます。
約11年間、本当にありがとうございました。行ってきます!」
【セレモニー後コメント】
(移籍の決意について、改めて聞かせてほしい)
「このクラブで試合に出場してタイトルを獲ることを目指してやってきました。そこが達成できない中での移籍となりましたが、自分としては世界一を目指していく上で、ステップアップとして、今回の移籍を決断しました」
(なぜシント=トロイデンVVを選んだのか?)
「ベルギーリーグは非常にレベルの高いリーグだと思っていますし、日本代表のGKでもあるシュミット ダニエル選手がプレーしています。そこでも高いレベルでの競争ができると思いましたし、世界の舞台でプレーして活躍することで、他のクラブの目にも止まると思います。自分の夢を考えたときに、ベルギーリーグでプレーしようと決めました」
(ベルギーリーグの印象は?)
「シント=トロイデンVVは日本人選手が多くいますが、その中でも日本人選手がいるからといって何かが変わるわけでもありません。ベルギーリーグというレベルの高い中で自分自身をどう表現できるかだと思います。そこは行ってからも競争があると思いますが、しっかりとプレーしていきたいと思います」
(鈴木彩艶選手にとって浦和レッズは、どんな存在か?)
「このクラブがなければ、今の自分はないと思っています。感謝の気持ちでいっぱいですし、この感謝を結果で表せるようにこれから頑張っていきたいと思います」
(今後、どういう選手になっていきたいか?)
「まずは一歩一歩、確実にステップアップしていくことが大事だと思いますし、試合に出続けること、そして夢であるプレミアリーグで活躍することを目指して頑張っていきたいです」
(夢であるプレミアリーグという話があったが、マンチェスター・ユナイテッドFCという名前も移籍先候補として出てくる中でもベルギーリーグを選んだのは?)
「マンチェスター・ユナイテッドFCからオファーがあったのは事実としてあります。この決断は非常に迷いました。サッカー選手としても、一人の人としても、何も考えなければもちろんマンチェスター・ユナイテッドFCに行きたいと思いますが、その先にどういう未来が待っているのかを時間をかけて考えた結果、今回はこういう決断をしました」
(決断までは時間がかかったか?)
「自分の意見もそうですし、クラブ間の話し合いもあり、本当に時間がかかった部分はありますが、最後は自分の意思で決断をしたので、後悔のないようにプレーしていきたいと思います」
(レッズで過ごした11年間で学んだこと、成長できたことは?)
「自分はこのクラブでサッカーをやっていく上で、常に高みを目指して練習からやってきた自負があります。人としてこのクラブで成長できたと思いますし、これからの人生でいろいろな壁があると思いますが、ここでの経験は必ずそういったところに生きてくると思うので、この11年間を今後につなげていきたいと思います」
(西川周作選手はどういう存在だったか?)
「越えなければいけない存在でした。正直、今回も越えて試合に出場してから移籍したいと考えていましたが、それが達成できなかったことで自分の力不足を痛感しています。今は越えられなかったとしても必ずいつかは越えたいと思いますし、越えられるように頑張っていきたいです」
(鈴木彩艶選手が考える、海外で成功できるGKの条件とは?)
「全てがしっかりとできるGKかなと思います。レベルの高いプレミアリーグなど、空中戦もそうですし、足元の技術やシュートへの対応、どれを見ても全てレベルが高いので、それを1試合の中でどれだけハイパフォーマンスで出せるかが非常に大事だと思います」
(日本人GKでは川島永嗣選手やシュミット ダニエル選手、中村航輔選手など、いろいろな選手が海外に挑戦したが、そういう選手を見て学んだり、自分で取り入れてやってきたりしたことはあったか?)
「いろいろな選手が海外で活躍している中で、GKは本当に難しい存在でもありますし、現状として今の自分は日本で試合に出られていない部分がある中で今回のオファーをいただいたので、そういったところではこれから本当に厳しい戦いが待っていると思います。まだGKとしてプレミアリーグで活躍している日本人はいないので、最初の一人となれるよう、着実に一歩一歩進んでいきたいと思います」
(海外にいる日本人GKの先輩からのアドバイスなどはあったか?)
「今回の移籍に関して話をうかがったことは特にありませんが、川島永嗣選手などには以前にお話を聞く機会があり、連絡先も知っていて、いつでも話が聞ける存在でもあります。これからはそういった選手の話も聞きながら成長していきたいと思います」
(GKは語学がすごく大事になると思うが、勉強はどのくらい進めていて、どのくらいの状態か?)
「語学はこういうときのためにしっかりと勉強してきたつもりです。最初は話せませんでしたが、今は試合の中でも自信を持ってできると思います。今後、海外に実際に行ったらもっと成長していく部分はあると思いますが、今は試合の中ではしっかりと話せるレベルだと思います。英会話を始めたのは2年くらい前です」
(移籍が決まってから、西川周作選手やジョアン・ミレッGKコーチから言われた言葉は?)
「ジョアン(ミレッGKコーチ)からは『もう少しこっちで学んでほしかった』と言われた部分はありますが、最後は自分の決断をリスペクトする、と言ってくれました。僕自身も決意を持って決断することができましたし、ジョアンから学んだこの1年半、本当に成長した部分があるので、その学びを生かして、海外で活躍したいと思います。
西川選手からは前の段階で言われることはありませんでしたが、先ほど話して『とにかく、楽しむことを忘れずに戦ってこい』と言われたので、その言葉通りに戦いたいと思います」
(塩田仁史GKアシスタントコーチはどういう存在だったか?)
「僕が初めて選手として共にプレーして、コーチという関係でもプレーして、選手の身近な存在として常にそばにいてくれました。僕が相談できる方でもあり、いろいろなことを学ぶことができました。そうした人たちに結果で恩返しできればいいなと思います」
(いつかはプレミアリーグで、ということだが、プレミアリーグに行くチャンスがあったにも関わらずこのような決断をしたのは、まだ自分には早いというおもいもあったのか?)
「そうですね、その先を見たときに、今自分が日本で試合に出られていない中で、マンチェスター・ユナイテッドFCがアンドレ・オナナ選手を獲得して、自分が出られるレベルにあるかと考えたときに、なかなか難しいと思いました。どちらも素晴らしいクラブであるのは間違いないので、今行けなくても必ず数年後には行きたいと思っているので、着実にステップアップするために今回の移籍を決断しました」
(今回の移籍にあたってはおそらく世代別代表での活躍がすごく大きかったと思うが、キャリアを考えた上で、代表活動はどのように望んでいるか?)
「一部報道で『パリオリンピックのために移籍する』というのを目にしましたが、それはまた少し違った話です。パリオリンピックがあるから移籍するわけではなく、僕自身はA代表、ワールドカップを目指していますし、その先の世界一を目指しています。今回、パリオリンピックのためにというので移籍を決断した、というのは間違いであると、ここで言っておきたいです。しかし、通過点としてパリオリンピックは大事な大会であるので、目指していく部分は変わらないと思います」
(パリオリンピックを目指すならリスクもある移籍だと思うが、この1年をどういうふうにやっていきたいか?)
「とにかく自分は試合に出ることが大事ですし、世界の舞台でプレーすることが大事だと思うので、これから本当に厳しい戦いがまっていると思いますが、ここでの学びを生かして頑張りたいと思います」
(レッズで11年プレーする中で印象に残っている試合や、いい思い出として持っていきたいことは?)
「2年前に達成できたJリーグのデビュー戦のベガルタ仙台戦です。11歳のときに、このスタジアムの雰囲気とプレーする選手たちに夢見て浦和レッズジュニアに入り、このスタジアムでデビューすることができました。無失点で勝利したときは、ジュニアのときからやってきて良かったと思いましたし、このクラブの大きさを改めて感じた瞬間でした」
(どんなおもいを感じながらスタジアムを一周したのか?)
「こういうふうに対応してくださることはなかなかないと思いますし、期待されていたと感じます。次は浦和レッズではないですが、世界のピッチで活躍することがレッズの価値を高めることにもなると思いますので、浦和人として闘っていきたいです」
(シント=トロイデンVVには同じパリオリンピック世代の山本理仁選手や藤田譲瑠チマ選手もいるが、移籍が決まってから彼らとは話したのか?)
「特に話してはいません。ベルギーで同時に試合に出る機会があればさらにコミュニケーションを取れると思います。舞台は日本ではなくベルギーですので、彼らとも世界を標準とした闘いができればと思います」
(スタジアムを一周する際に横浜F・マリノスのファン・サポーターからも声を掛けられていたようだが、どんなことを言われたのか?)
「『頑張れよ』と言っていただいたので、うれしかったです」
(浦和レッズジュニアの選手として初めてプロ契約を結び、ゴール裏の横断幕には『お前が守るのはゴールと若いレッズの未来』という言葉もあったが、レッズを背負って海外に挑戦するといった気持ちもあるのか?)
「移籍を考えていた際に、日本でこのクラブ以外にプレーすることは考えられませんでした。移籍自体、難しい決断でしたが、11年間という本当に濃い時間の中で、たくさんの人々に支えられてやってこられたと思います。この経験を育成組織の選手にもつなげていかなければいけないと思いますし、自分がどんな活躍をするかがそういった人たちの未来にも関わってくると思います。自分はこれからいろいろな人たちのおもいを背負って闘っていきたいです」
(シント=トロイデンVVに行ってから今季の目標は?)
「シーズンが開幕し、今日2試合目を迎えますが、とにかく早く試合に出られるようにコンディションを整えていくことはもちろんですが、まずはチームのサッカーになじむことも大事だと思います。この移籍は高いレベルで試合に出るための移籍ですので、まずはそれを達成することを意識したいですし、チームのゴールに向かって、自分の力を最大限に発揮したいと思います」
【浦和レッズオフィシャルメディア(URD:OM)】
「みなさん、こんばんは。この度、ベルギーリーグ・シント=トロイデンVVに移籍することを決断しました。正直、このクラブを離れるときは、このピッチで守護神としてゴールを守り、タイトルを獲得してからという目標を持って闘ってきましたが、今日までにそれを達成することができなかったことを非常に悔しく思います。しかしこの大きなクラブで約11年間、たくさんのスタッフ、選手、ファン・サポーターのみなさんに支えられ、ここまでサッカー選手としてはもちろん、人として大きく成長することができたと思っています。
今回、この移籍を決断するにあたり、非常に悩みました。しかし自分はピッチの上で自分自身をプレーで表現することができるかということが、とても大事だと思いました。最後は覚悟を持って、この移籍を決断しました。この移籍が良かったと思ってもらえるよう、世界のピッチで闘っていきたいと思います。
そしてアカデミーの選手たちの目標となれるよう、そしてなり続けられるように、闘っていきます。
今、浦和レッズはリーグタイトル獲得に向け、とても大事な時間を過ごしています。引き続きのサポートと共に、少しでも僕を気にかけてくれたらうれしいです。
いつかこのクラブで、このピッチで、浦和レッズのエンブレムを背負ってゴールマウスを守り、そして今日までに達成できなかった目標を再び追いかけることができるように、世界のピッチで浦和人としての誇りを胸に闘ってきます。
約11年間、本当にありがとうございました。行ってきます!」
【セレモニー後コメント】
(移籍の決意について、改めて聞かせてほしい)
「このクラブで試合に出場してタイトルを獲ることを目指してやってきました。そこが達成できない中での移籍となりましたが、自分としては世界一を目指していく上で、ステップアップとして、今回の移籍を決断しました」
(なぜシント=トロイデンVVを選んだのか?)
「ベルギーリーグは非常にレベルの高いリーグだと思っていますし、日本代表のGKでもあるシュミット ダニエル選手がプレーしています。そこでも高いレベルでの競争ができると思いましたし、世界の舞台でプレーして活躍することで、他のクラブの目にも止まると思います。自分の夢を考えたときに、ベルギーリーグでプレーしようと決めました」
(ベルギーリーグの印象は?)
「シント=トロイデンVVは日本人選手が多くいますが、その中でも日本人選手がいるからといって何かが変わるわけでもありません。ベルギーリーグというレベルの高い中で自分自身をどう表現できるかだと思います。そこは行ってからも競争があると思いますが、しっかりとプレーしていきたいと思います」
(鈴木彩艶選手にとって浦和レッズは、どんな存在か?)
「このクラブがなければ、今の自分はないと思っています。感謝の気持ちでいっぱいですし、この感謝を結果で表せるようにこれから頑張っていきたいと思います」
(今後、どういう選手になっていきたいか?)
「まずは一歩一歩、確実にステップアップしていくことが大事だと思いますし、試合に出続けること、そして夢であるプレミアリーグで活躍することを目指して頑張っていきたいです」
(夢であるプレミアリーグという話があったが、マンチェスター・ユナイテッドFCという名前も移籍先候補として出てくる中でもベルギーリーグを選んだのは?)
「マンチェスター・ユナイテッドFCからオファーがあったのは事実としてあります。この決断は非常に迷いました。サッカー選手としても、一人の人としても、何も考えなければもちろんマンチェスター・ユナイテッドFCに行きたいと思いますが、その先にどういう未来が待っているのかを時間をかけて考えた結果、今回はこういう決断をしました」
(決断までは時間がかかったか?)
「自分の意見もそうですし、クラブ間の話し合いもあり、本当に時間がかかった部分はありますが、最後は自分の意思で決断をしたので、後悔のないようにプレーしていきたいと思います」
(レッズで過ごした11年間で学んだこと、成長できたことは?)
「自分はこのクラブでサッカーをやっていく上で、常に高みを目指して練習からやってきた自負があります。人としてこのクラブで成長できたと思いますし、これからの人生でいろいろな壁があると思いますが、ここでの経験は必ずそういったところに生きてくると思うので、この11年間を今後につなげていきたいと思います」
(西川周作選手はどういう存在だったか?)
「越えなければいけない存在でした。正直、今回も越えて試合に出場してから移籍したいと考えていましたが、それが達成できなかったことで自分の力不足を痛感しています。今は越えられなかったとしても必ずいつかは越えたいと思いますし、越えられるように頑張っていきたいです」
(鈴木彩艶選手が考える、海外で成功できるGKの条件とは?)
「全てがしっかりとできるGKかなと思います。レベルの高いプレミアリーグなど、空中戦もそうですし、足元の技術やシュートへの対応、どれを見ても全てレベルが高いので、それを1試合の中でどれだけハイパフォーマンスで出せるかが非常に大事だと思います」
(日本人GKでは川島永嗣選手やシュミット ダニエル選手、中村航輔選手など、いろいろな選手が海外に挑戦したが、そういう選手を見て学んだり、自分で取り入れてやってきたりしたことはあったか?)
「いろいろな選手が海外で活躍している中で、GKは本当に難しい存在でもありますし、現状として今の自分は日本で試合に出られていない部分がある中で今回のオファーをいただいたので、そういったところではこれから本当に厳しい戦いが待っていると思います。まだGKとしてプレミアリーグで活躍している日本人はいないので、最初の一人となれるよう、着実に一歩一歩進んでいきたいと思います」
(海外にいる日本人GKの先輩からのアドバイスなどはあったか?)
「今回の移籍に関して話をうかがったことは特にありませんが、川島永嗣選手などには以前にお話を聞く機会があり、連絡先も知っていて、いつでも話が聞ける存在でもあります。これからはそういった選手の話も聞きながら成長していきたいと思います」
(GKは語学がすごく大事になると思うが、勉強はどのくらい進めていて、どのくらいの状態か?)
「語学はこういうときのためにしっかりと勉強してきたつもりです。最初は話せませんでしたが、今は試合の中でも自信を持ってできると思います。今後、海外に実際に行ったらもっと成長していく部分はあると思いますが、今は試合の中ではしっかりと話せるレベルだと思います。英会話を始めたのは2年くらい前です」
(移籍が決まってから、西川周作選手やジョアン・ミレッGKコーチから言われた言葉は?)
「ジョアン(ミレッGKコーチ)からは『もう少しこっちで学んでほしかった』と言われた部分はありますが、最後は自分の決断をリスペクトする、と言ってくれました。僕自身も決意を持って決断することができましたし、ジョアンから学んだこの1年半、本当に成長した部分があるので、その学びを生かして、海外で活躍したいと思います。
西川選手からは前の段階で言われることはありませんでしたが、先ほど話して『とにかく、楽しむことを忘れずに戦ってこい』と言われたので、その言葉通りに戦いたいと思います」
(塩田仁史GKアシスタントコーチはどういう存在だったか?)
「僕が初めて選手として共にプレーして、コーチという関係でもプレーして、選手の身近な存在として常にそばにいてくれました。僕が相談できる方でもあり、いろいろなことを学ぶことができました。そうした人たちに結果で恩返しできればいいなと思います」
(いつかはプレミアリーグで、ということだが、プレミアリーグに行くチャンスがあったにも関わらずこのような決断をしたのは、まだ自分には早いというおもいもあったのか?)
「そうですね、その先を見たときに、今自分が日本で試合に出られていない中で、マンチェスター・ユナイテッドFCがアンドレ・オナナ選手を獲得して、自分が出られるレベルにあるかと考えたときに、なかなか難しいと思いました。どちらも素晴らしいクラブであるのは間違いないので、今行けなくても必ず数年後には行きたいと思っているので、着実にステップアップするために今回の移籍を決断しました」
(今回の移籍にあたってはおそらく世代別代表での活躍がすごく大きかったと思うが、キャリアを考えた上で、代表活動はどのように望んでいるか?)
「一部報道で『パリオリンピックのために移籍する』というのを目にしましたが、それはまた少し違った話です。パリオリンピックがあるから移籍するわけではなく、僕自身はA代表、ワールドカップを目指していますし、その先の世界一を目指しています。今回、パリオリンピックのためにというので移籍を決断した、というのは間違いであると、ここで言っておきたいです。しかし、通過点としてパリオリンピックは大事な大会であるので、目指していく部分は変わらないと思います」
(パリオリンピックを目指すならリスクもある移籍だと思うが、この1年をどういうふうにやっていきたいか?)
「とにかく自分は試合に出ることが大事ですし、世界の舞台でプレーすることが大事だと思うので、これから本当に厳しい戦いがまっていると思いますが、ここでの学びを生かして頑張りたいと思います」
(レッズで11年プレーする中で印象に残っている試合や、いい思い出として持っていきたいことは?)
「2年前に達成できたJリーグのデビュー戦のベガルタ仙台戦です。11歳のときに、このスタジアムの雰囲気とプレーする選手たちに夢見て浦和レッズジュニアに入り、このスタジアムでデビューすることができました。無失点で勝利したときは、ジュニアのときからやってきて良かったと思いましたし、このクラブの大きさを改めて感じた瞬間でした」
(どんなおもいを感じながらスタジアムを一周したのか?)
「こういうふうに対応してくださることはなかなかないと思いますし、期待されていたと感じます。次は浦和レッズではないですが、世界のピッチで活躍することがレッズの価値を高めることにもなると思いますので、浦和人として闘っていきたいです」
(シント=トロイデンVVには同じパリオリンピック世代の山本理仁選手や藤田譲瑠チマ選手もいるが、移籍が決まってから彼らとは話したのか?)
「特に話してはいません。ベルギーで同時に試合に出る機会があればさらにコミュニケーションを取れると思います。舞台は日本ではなくベルギーですので、彼らとも世界を標準とした闘いができればと思います」
(スタジアムを一周する際に横浜F・マリノスのファン・サポーターからも声を掛けられていたようだが、どんなことを言われたのか?)
「『頑張れよ』と言っていただいたので、うれしかったです」
(浦和レッズジュニアの選手として初めてプロ契約を結び、ゴール裏の横断幕には『お前が守るのはゴールと若いレッズの未来』という言葉もあったが、レッズを背負って海外に挑戦するといった気持ちもあるのか?)
「移籍を考えていた際に、日本でこのクラブ以外にプレーすることは考えられませんでした。移籍自体、難しい決断でしたが、11年間という本当に濃い時間の中で、たくさんの人々に支えられてやってこられたと思います。この経験を育成組織の選手にもつなげていかなければいけないと思いますし、自分がどんな活躍をするかがそういった人たちの未来にも関わってくると思います。自分はこれからいろいろな人たちのおもいを背負って闘っていきたいです」
(シント=トロイデンVVに行ってから今季の目標は?)
「シーズンが開幕し、今日2試合目を迎えますが、とにかく早く試合に出られるようにコンディションを整えていくことはもちろんですが、まずはチームのサッカーになじむことも大事だと思います。この移籍は高いレベルで試合に出るための移籍ですので、まずはそれを達成することを意識したいですし、チームのゴールに向かって、自分の力を最大限に発揮したいと思います」
【浦和レッズオフィシャルメディア(URD:OM)】