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興梠慎三 現役引退発表記者会見 コメント

31日、この日に38歳の誕生日を迎えた興梠慎三が埼玉スタジアムで会見を開き、今シーズン限りで現役を引退することを発表。メディアからの質問に応じ、引退に至った理由や自身の現役生活、これまで熱く応援し、支えてきてくれたファン・サポーターへのおもいなどを語った。

「本日はお忙しい中、引退会見に足をお運びいただき、ありがとうございます。今年で現役を引退することを決断しました。20年間という現役生活でしたけど、いろいろな方に支えられて、ここまでやってこられたと思っています。特に、鹿島アントラーズの関係者のみなさま、北海道コンサドーレ札幌の関係者のみなさま、そして浦和レッズの関係者のみなさまには、本当に感謝しています。本当にありがとうございます。

今日は、全部お答えするつもりです。堅苦しい会見は嫌いなので、にぎやかな会見にしたいと思っています。よろしくお願いします」

[質疑応答]
(プロとして20シーズン、浦和レッズで11シーズンのキャリアを積み、J1リーグ歴代2位の168ゴール、J1で1位の9年連続2桁ゴール、18年連続ゴール、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)日本人最多得点記録となる、通算27ゴールを生んだ。この数字については?)
「みなさんのおかげだと思っています」

(引退を決意した理由や背景、そして今日の発表に至った経緯は?)
「自分の力ではチームを勝たせられないな、と思ったのが正直な気持ちです。なぜこの日を選んだかと言いますと、まだ今シーズンは残り4ヵ月ありますけど、今日は自分の誕生日です。自分にとってもこの日は特別な日ですけど、自分は母に一番感謝しないといけない、そして母に感謝するべき日だと思っています。

僕がここまで現役を続けられたのも、母が丈夫な身体で産んでくれたことが一番だと思っています。自分にとっても特別な日ですけど、母にとっても自分を産んだ特別な日だと思っているので、お互いにとって特別な日である今日という日に、引退会見という形で感謝を伝える、そういう日でもあると思いましたので、この日を選びました。

ニューカッスル ユナイテッド戦と重なりましたけど、自分のわがままを受け入れてくれた関係者のみなさまに、本当に感謝しています。ありがとうございます」

(これまで数多くの記録を更新してきたが、プロキャリアをはじめてからここまで、ブレずにやってきたことは?)
「自信を持って言えることは、自分を応援してくれる人がいるからこそ、自分はここまで頑張ってこられたと思っています。もちろんそれはチームメートもそうですけど、親、家族、たくさんいます。その中でもやっぱり、自分のユニフォームを着て応援してくださるファン・サポーターのみなさんには本当に感謝していますし、その人たちのためにも自分はゴールを取らないといけないというおもいで、自分はピッチに立っていました。そのおもいが、ここまで自分がやれてきたことだと思っています」

(背番号30は、浦和レッズにとって大事な数字になった。これから背番号30を背負う選手、浦和レッズのFWには、どんな選手であってほしいか?)
「レッズで11年間やってきました。レッズのエース番号は9番、福田正博さんがつけていた番号だと、自分自身でも分かっていましたし、どうにかしてエース番号9番を30番にしたいという一心で、これまでやってきました。はるか及ばなかったですけど、福田さんが持っている記録を抜けたことはうれしく思います。別に後輩に託すつもりもないですし、それぞれの番号で、その番号が浦和のエース番号だというおもいを持ってやってくれれば一番いいと思っていますけど、自分が一番可愛がっている前田直輝に付けてもらうのが、僕は一番いいかなと思っています」

(自分の力ではチームを勝たせられなくなった、というのは、具体的にどういうことか?)
「技術面ではそんなに変わりはないですけど、体力的に、サッカーは90分間という中で、自分がスタメンから出てどこまでチームのために頑張れるかと考えると、なかなか長い時間は持たないという、正直な気持ちがありました。もちろん、ファン・サポーターのみなさん、スタジアムに足を運んでくださるみなさんは、お金を払って見に来ています。それに値するようなプレーができているかと言われると、自分自身、正直自信がない、ということがあります。それでも見に来てくださる以上、僕たちはプレーで魅せないといけない、でもそれに応えられないもどかしさが、自分の中にずっとありました。だからこういう決断に至ったのかもしれません」

(鹿島アントラーズ時代は浦和レッズのファン・サポーターにとって憎たらしい存在だったと思うが、レッズに来て、こんなに愛される選手になったというのは珍しいと思う。牛丼屋でファン・サポーターに牛丼をおごったというエピソードも有名だが、ファン・サポーターと選手の関係について、どう捉えているか?)
「牛丼屋だけおごったわけではなくて、行くお店行くお店で僕が払ったんですけど、なぜかそこだけ取り上げられる形になっています(笑)。

サポーターというのは本当に、みなさんが思っている以上に選手たちを後押ししてくれます。特に浦和レッズのファン・サポーターのみなさんは、どんな状況でも全力で応援していただき、ふがいない試合をしても常に応援してくださる、本当に素晴らしい人たちです。だからこそ選手たちはもっと頑張らないといけないですし、タイトルとして、ファン・サポーターのみなさんにプレゼントをするのが大前提だと、僕は思っています。もちろん、サポーターのみなさんと口論をすることはあるかもしれないですけど、それはチームにとってすごく大事なことだと思いますし、お互いが一生懸命にやっているからこそだと思っているので、今の若い選手はサポーターのみなさんと話す機会はあまりないと思いますけど、そういうサポーターとのふれあいは、僕はすごく大事だと思っていますので、若い選手にはもっといろいろなところでサポーターとふれあってほしいです。別に、口論になってもいいと思います。僕もそうでした。ケンカして自分の意見をぶつけて、こうしてほしい、ああしてほしいと言ってきました。それで深い絆になっていったので、若い選手にはもっと、そういう交流の場を設けてもいいのかなと思います」

(たくさんのゴールを取ってきたが、一番印象に残っているゴールは?)
「難しいです。もちろん、鹿島アントラーズでの初ゴールもあります。コンサドーレに行って、はじめて取ったゴールもそうです。浦和レッズに来て取ったゴールもそうです。全部が自分の中ではすごく貴重なゴールでした。一つというのは難しいかもしれないです、すみません」

(浦和レッズに入って、一番良かったと思うことは?)
「僕は20年間で、3チームに所属していました。どのチームも素晴らしいチームで、ここがいいとは言えないですけど、本当に浦和レッズというチームはすごくやりがいがあって、何よりもファン・サポーターのみなさんの数がすごく多くて、鹿島から浦和レッズに来るときも、サポーターのみなさんはそう簡単に受け入れてくれない、応援されないと聞かされていたので、どうにかしてサポーターの気持ちを、心をつかんで認めてもらうんだ、という気持ちで来ました。認めてもらったかどうかは分からないですけど、自分のチャントができたときにはすごくうれしかったのを、今でも覚えています。そういう厳しいチームに来られたこと、そこで自分がたくさんのゴールを決めたことを、すごくうれしく思います。このビッグクラブに来て、本当に良かったと思います」

(レッズで歴史を刻んできた中で、成し遂げられなかった、心残りなことは?)
「現役生活を20年間やってきて、今考えれば、本当に悔しいシーズンが多かったと思います。鹿島で3連覇でき、浦和に来てACLを2回獲れたことはすごくうれしく思います。でも、タイトルを獲ったときはその日だけの喜びであって、1日、2日経てば忘れるような喜びでしたけど、レッズに来て2019年にACL決勝で負けた日のことは今でも悔しく思っていますし、チャンピオンシップで鹿島に負けたときもそうですけど、本当に悔しい思い出しか残っていないです。Jリーグで優勝するチャンスはたくさんありました。最後の最後で獲れなかった、唯一僕が浦和レッズで獲れていないタイトルが、Jリーグのタイトルです。それを獲れなかったことだけが、今は後悔としてあります」

(今後、浦和レッズはどうあるべきか、未来へつなぐメッセージをお願いします)
「タイトルを獲る難しさは重々承知していますけど、やはり浦和レッズは、常にタイトルを獲るチームであるべきだと思っています。Jリーグ、天皇杯、YBCルヴァンカップ、そして常にACLに出ていく、それが浦和レッズのあるべき姿だと思っています。口で言うのは簡単ですが、タイトルを獲るのはすごく難しいことで、選手がいいだけでは獲れないと思いますし、チームそのものが一体となってやっていかないと、タイトルはそう簡単に獲れないと思います。フロントをはじめ、選手、コーチングスタッフ、メディカルスタッフ、全てが一体となっていければ、強いチームでいられると思います」

(引退後のビジョンは?)
「裏方として、浦和レッズをサポートしていきたいと思っています」

(現役生活の中で、忘れられないような大切な出来事は?)
「人それぞれ違うと思いますけど、僕は『この人のために頑張ろう』と思えることが、すごく大切だと思っています。それがまさしく、自分の中ではミシャ(ミハイロ ペトロヴィッチ 元浦和レッズ、現北海道コンサドーレ札幌監督)でした。『この人のためにタイトルを獲りたい』『この人のために1試合1試合全力で闘い、勝ち点3を積み上げていき、いいチームにしたい』という一心で、ミシャのときはやっていました。そういう人と出会うことがすごく大切だと思いますし、誰かのためにやれば、自分自身もすごく成長すると思いますので、そういう出会いはすごく大事なのかなと思います」

(たくさんのゴールを決め、万能型と評価されてきたが、プロの世界で自分の武器としてやってこられたと思えるものは?)
「今、自分がどういうプレーヤーだったかを振り返ったときに、何かに特化していた、どこかがずば抜けていたというものはない、というのが正直な気持ちです。でも、人と比べて何が違っていたかを考えると、やはりこのチームで何かを成し遂げたい、という強い心はありました。自分が活躍しなくても、自分を犠牲にしてでもチームが勝てればいい、という考えでここまで来ました。それがFWとしていいか悪いかは分かりませんが、自分はこの性格、このプレースタイルを貫いたことで、ここまで来られたと思っているので、正解は分かりませんが、自分はこういう性格、プレースタイルで良かったと思っています」

(こうなっていったらレッズはもっと良くなる、と感じているところは?)
「難しいですね、すごく難しい質問です。違う質問でいいですか?(笑)」

(ミシャ監督には引退を伝えたか?伝えたなら、どんな言葉をもらったか?そして、ミシャ監督からどんなことを学んだか?)
「ミシャには通訳の(杉浦)大輔さんを通して伝え、『そうか。お疲れ様』という言葉をいただきました。自分が札幌からレッズに戻るときも『引退を覚悟で戻ります』と伝えていたので、そんなに驚きはなかったと思います。

僕もいずれは監督の道に進みたいと思っています。ミシャは誰からも愛されていて、ミシャの哲学は『自分たちが攻めていれば攻められることはない。ボクシングでたとえるなら、ジャブを打ち続ければ相手の手は出てこなくて、ずっと防御しているままだ。だから攻め続けろ』というタイプでした。僕が監督になったらこうしたい、ということをそのままやってくれていた監督です。

ミシャのサッカーは本当に美しくて、見る人を魅了するサッカーだと思っています。そういうサッカーを僕もしたいと思いますし、ミシャから今まで教わってきたことを、僕が監督になったときには若い選手にたたき込み、ミシャみたいな美しいサッカーを、僕はしていきたいと思っています」

(引退を家族に伝えたときの反応は?また、チームメートに伝えたときに印象に残った言葉は?)
「最初に、妻と子どもに伝えました。妻はサッカーに無関心なところがありますので、『お疲れ様』と言われたのか・・・そんな感じでした。子どもは、娘が今小学4年生ですけど、泣きながら『辞めるの?』と言われました。『大谷(翔平)選手みたいになってよ』と言われましたけど(笑)、『それは絶対に無理だよ、でもパパはパパなりに頑張ったからごめんね』と言って、分かってくれました。息子はまだ1歳で何も分からないので、『辞めるからね』と言っただけでした。全部自分を受け入れてくれましたし、妻に関しては本当に長い間サポートしてくれましたので、本当に感謝の気持ちしかないです。

チームメートは、自分がこういう性格なので、引退することを隠してなかったです。『今年辞めるから』と早い段階で言っていたので、そんなに驚きもなく、たぶんここにいらっしゃる関係者のみなさまにも、何人かには『今年で辞めるから』と伝えていたと思います。それだけ自分は誇りを持って、もう辞められるという覚悟だったので、隠すつもりもなく、堂々とやってきました。『ああ、知ってました』というくらいで、何も言われなかったです」

(いつかはレッズで指揮を執りたいという野心はあるか?)
「野心しかないです。浦和レッズの監督になって、自分が獲れなかったJリーグのタイトルを獲りにいきます」

(自分が犠牲になってでもチームが勝てればいい、という話があったが、どういうところからそういうプレースタイルに至ったのか?)
「一番は、身近で一緒にプレーしてきた柳沢 敦さんの存在がすごく大きかったと思います。直接指導を受けた訳ではないですけど、2年間一緒に鹿島でやりました。ヤナさん(柳沢 敦さん)もどちらかというと個人で打開するより、味方や周りをうまく使ってプレーするスタイルでした、ヤナさんが言っていたのは『クロスがあがったときに自分がニアで潰れても、ファーの空いたスペースで決めてくれれば、それはチームの力になる』ということです。自分が動けばどこかが空くので、そのスペースを味方がうまく使ってくれれば、それはそれで自分の仕事はちゃんとできている、ということを聞いたことがあります。

若い自分、結果しか求めてきていなかった自分としては、そのときはそこまで刺さらなかったんですけど、改めて日が経つにつれ、どういうFWであるべきかを考えたときに、僕にはヤナさんが言っていたことがすごく自分にマッチして、鹿島からレッズに来るときくらいに『自分はそういうプレースタイルで生きていこう』と思いました。だから柳沢 敦さんのプレーは自分自身すごく参考になりましたし、本当に感謝しています」

(Jリーグ歴代2位の得点数という実績もあるが、自分一人だけでは点は取れないと思う。仲間からパスを引き出す、いい形で決めるために、仲間との関係づくりで大事にしていたことは?)
「もちろん、信頼関係もすごく大事だと思いますけど、僕が一番重要視していたのは、その人の癖です。出し手の癖で、このタイミングと一歩遅く出してくるタイミング、というのが人にはあります。そのタイミングを見極めて自分から動き出すことがすごく重要だと思います。人によってプレースタイルを変えていくことが、ここまで来られた要因だと思っています」

(プロ入りした18歳の興梠慎三に、引退を決めた38歳の興梠慎三からのメッセージを)
「高校を卒業して、鹿島アントラーズに行きました。何チームか、オファーはありました。すごく悩んで、一つ上の先輩に増田誓志さんという存在がいて、その人も鹿島にいたので、自分自身、同じポジションで一つ上の先輩と同じチームに行くことに『本当にこれでいいのか』と思うことがずっとありました。でも、その当時の鹿島はすごく強くて、当時いた小笠原満男さん、本山雅志さん、曽ヶ端 準さん、中田浩二さん、すごいメンツがいる中で一緒に練習できる、今すぐ試合に出たい気持ちもありましたけど、そういう人と一緒にやることで、自分自身が成長するのではないかと思って、鹿島を選びました。今考えれば、最初が鹿島アントラーズで良かったと思っています。

だからこそ、18歳の自分に伝えることがあるとすれば『鹿島アントラーズを選んで良かったな』と。それがなければ浦和レッズに出会うこともなかったと思いますし、『本当にいい選択をしたな』と言ってあげたいです」

(2021年は1ゴールしか取れなかったが、この年を振り返ると?)
「結果としたら1ゴールしか取れていなかったかもしれないですけど、そこにいた選手たちから、たくさんのいろいろなことを学べた年でもありました。ゴールよりも価値のある日々を送っていました。結果としては物足りないかもしれないですけど、それ以上に得たものはあります」

(浦和レッズの監督になるためにはたくさんのライバルがいるが、いつ頃になりそうか?)
「ホリさん(堀之内 聖スポーツダイレクター)、どうですか?(笑)。でも、監督になるためにはいろいろな経験が必要だと思いますし、僕はどちらかというと直感タイプなので、早く監督業が終わるかもしれない、逆にずっといるかもしれないというギャンブル精神でやっています。自分が早くやりたくても、そのチームがなければできないですから、まずは下積みから一生懸命やっていって、なるべく早く浦和レッズの監督にたどり着けるように頑張りたいと思います」

(体脂肪率を下げろ、という監督もいた中でも自分を貫いていたと思うが、そういう自分の性格をどう分析しているか?)
「ハリル監督(ヴァイッド・ハリルホジッチ 元日本代表監督)のことでしょうか?(笑)『そんなに体脂肪を気にするなら呼ぶな』と、ずっと思っていました(笑)。体脂肪率を下げたから活躍できるのか、と言えばそうでもないと思いますし、でも落としたらいいパフォーマンスになるかもしれない、それは分からないですけど、でも自分はこれでありたいと、ずっと思っていました。

僕も、簡単に落とせるなら落としたいです。自分も頑張っているのになかなか落ちないのが事実で、体脂肪率のことに関してはすごく言われましたけど、それでも呼んでくれるのは、自分がある程度結果を残してきたからだと思います。自分の信念を貫き通すことはすごく大事だと思いますので、体脂肪どうこうよりも、まずは結果を出すんだ、という一心で頑張ってきました」

(海外に行く選手も多かったと思うが、海外志望はあったのか?)
「海外からのオファーはありました。でも、自分自身が海外でチャレンジしたいという気持ちに全くならなかったのが事実です。今考えれば、すごく後悔しています。もっと自分は活躍できたのではないか、と思う気持ちが半分、あと半分は、行かなかったからここまでやれたのかな、という思いもあります」

(ファン・サポーターのみなさんに向けて)
「ファン・サポーターのみなさんの力って、みなさんが思っている以上にすごいものです、この人たちのために頑張ろうと、選手たちは思っています。ダメな試合で愚痴を言ってもらっても構いませんけど、本当に選手を後押ししてほしいと思っています。僕たちはチームのため、ファン・サポーターのみなさんのため、自分のため、家族のために一生懸命頑張っています。今の若い選手たちもそうです。また埼玉スタジアムでタイトルを獲って、ファン・サポーターのみなさんと共に喜び合える日が来ることを願っています。

今年もまだ4ヵ月、残り14試合あります。14連勝したら、まだ優勝する可能性もあると思います。それを諦めずに頑張っていきたいと思います。ファン・サポーターのみなさんも、これまで以上にもっと熱い声援を、よろしくお願いします」

【浦和レッズオフィシャルメディア(URD:OM)】

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