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伊藤敦樹選手のチーム離脱について
伊藤敦樹選手が、海外クラブへの移籍を前提とした手続きと準備のため、チームを離脱することになりました。
今後につきましては、正式に決定次第、あらためてみなさまへお伝えさせていただきます。
【選手コメント】
「浦和の街に生まれ、物心がついたころから浦和レッズを見てきた自分が、サッカーを始め、埼スタで浦和レッズのユニフォームを着てプレーしたいという夢を持ったことは、今思うととても自然なことだったように思います。
ですが、浦和レッズのアカデミーでプレーし、埼スタで浦和レッズのユニフォームを着て闘えた日々は決して平凡な日常ではなく、本当に特別で幸せな時間でした。
僕にとって浦和レッズというクラブは、いちサッカークラブを超えた特別な存在です。
その特別なクラブを、キャプテンという重責を担わせていただいているこのタイミングで離れるという決断は、これまでの人生の中で最も難しい決断でした。
今回下したこの決断について、さまざまなご意見があることは十分に理解していますが、僕にとって特別な存在である浦和レッズというクラブ、そしてそれを支えてくださっているファン・サポーターのみなさんに、敬意と感謝を込めて、この決断にいたるまでの考えをお伝えさせていただきます。
僕にとって、浦和レッズの選手でいることや、浦和レッズのキャプテンを務められることは本当に特別なことです。
7月にクラブからキャプテン就任の打診を受け、それを引き受けさせていただいたのは、浦和で闘いたい、浦和でリーグ優勝したい、そしてその中心に自分がなりたいという気持ち、ならなければいけないという覚悟があったからです。
ですが同時に、海外でプレーしたいという夢もずっと持っていました。
ご理解を得ることは難しいかもしれませんが、どちらの気持ちも偽りのない本当の気持ちで、どちらの気持ちにもこれまで本気で向き合ってきたことは胸を張って言えます。
だからこそ今回いただいたオファーについても本気で悩みましたし、家族や信頼できる人からの意見や助言にも本気で向き合いました。
僕はこのクラブが本当に大好きで、この街、このクラブで育ち、クラブワールドカップという大きなチャレンジに向けてクラブが前を向いている中、しかもキャプテンをやらせてもらっていて、それでクラブを離れて良いのか。
海外でプレーするチャンスを見送って、個人としての挑戦を先延ばしにした先に、次のチャンスをつかむことは年齢的に現実的な選択肢なのか。
このクラブでサッカー人生を終えるという考えもあった中で、今回移籍を決断した一番の理由は、自分のこれからのキャリア、選手としてどうなりたいかを考えたときに、日本代表として日の丸を背負って2026年のワールドカップでプレーしたいという気持ちがとても大きく、そのためにはこのタイミングで挑戦するのが一番良いと考えたからです。
昨年初めて日本代表に選出いただき、代表チームの中でプレーし、他の代表選手たちから強烈な刺激を受けたことで、この気持ちは日に日に大きくなってきました。
クラブからは強い慰留を受けましたが、最後は「アカデミー出身選手がチームを引っ張り、成長させることはとても重要なことだけど、個人として成長した姿を世界の大舞台で見せることで、アカデミーの選手が目標にしたり憧れる存在になることも重要だ」と言ってくださり、僕の意志を尊重してくださったことを本当に感謝しています。
そして何より、ファン・サポーターのみなさんには言葉に言い表せないほどの感謝をしています。
このクラブにとって、ファン・サポーターの存在というのは本当に大きいもので、みなさんと一緒に、浦和レッズのエンブレムを胸に付けて闘えたことを本当に誇りに思っています。
ホームでもアウェイでも、国内だけではなく国外でも、毎試合素晴らしい雰囲気の中で闘うことができたのはファン・サポーターのみなさんのおかげですし、厳しい声も含めて、多くの声援をいただく中で、成長させていただいたと思っています。
本当にありがとうございました。
今回の決断は、すべてのファン・サポーターのみなさんに受け入れていただけるものではないと思っていますし、これからも応援したいとは思っていただけないかもしれないことを理解していますし、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
ですが、僕がこれまで浦和レッズの一員として表現してきたプレー、発した言葉、お見せした態度に偽りはなく、愛情と責任をもってこのエンブレムと向き合ってきたことだけは、どうかご理解いただきたいです。
初めて埼スタのピッチに繋がる階段を上った日。
初めて名前をコールされて泣きそうになった日。
初めてチャントが歌われたうれしさと同時に、長谷部さんと同じチャントに背筋が伸びた日。
コロナ禍で声出しの無い、独特な雰囲気の中、劇的な勝利を収めた天皇杯決勝。
地響きのような声と手拍子に勇気づけられ、いくらでも走れると感じたACL決勝。
プロ選手として3年半、アカデミー時代を含めると約10年間このクラブで闘ってこられたこと。
短い時間にはなってしまいましたが、浦和レッズのキャプテンとして闘えたこと。
浦和レッズのファン・サポーターのみなさんと一緒に闘ってこられたこと。
数え上げればきりがないですが、浦和レッズの一員として過ごした全ての時間が本当に特別で幸せな時間でした。
ありがとうございました」
今後につきましては、正式に決定次第、あらためてみなさまへお伝えさせていただきます。
【選手コメント】
「浦和の街に生まれ、物心がついたころから浦和レッズを見てきた自分が、サッカーを始め、埼スタで浦和レッズのユニフォームを着てプレーしたいという夢を持ったことは、今思うととても自然なことだったように思います。
ですが、浦和レッズのアカデミーでプレーし、埼スタで浦和レッズのユニフォームを着て闘えた日々は決して平凡な日常ではなく、本当に特別で幸せな時間でした。
僕にとって浦和レッズというクラブは、いちサッカークラブを超えた特別な存在です。
その特別なクラブを、キャプテンという重責を担わせていただいているこのタイミングで離れるという決断は、これまでの人生の中で最も難しい決断でした。
今回下したこの決断について、さまざまなご意見があることは十分に理解していますが、僕にとって特別な存在である浦和レッズというクラブ、そしてそれを支えてくださっているファン・サポーターのみなさんに、敬意と感謝を込めて、この決断にいたるまでの考えをお伝えさせていただきます。
僕にとって、浦和レッズの選手でいることや、浦和レッズのキャプテンを務められることは本当に特別なことです。
7月にクラブからキャプテン就任の打診を受け、それを引き受けさせていただいたのは、浦和で闘いたい、浦和でリーグ優勝したい、そしてその中心に自分がなりたいという気持ち、ならなければいけないという覚悟があったからです。
ですが同時に、海外でプレーしたいという夢もずっと持っていました。
ご理解を得ることは難しいかもしれませんが、どちらの気持ちも偽りのない本当の気持ちで、どちらの気持ちにもこれまで本気で向き合ってきたことは胸を張って言えます。
だからこそ今回いただいたオファーについても本気で悩みましたし、家族や信頼できる人からの意見や助言にも本気で向き合いました。
僕はこのクラブが本当に大好きで、この街、このクラブで育ち、クラブワールドカップという大きなチャレンジに向けてクラブが前を向いている中、しかもキャプテンをやらせてもらっていて、それでクラブを離れて良いのか。
海外でプレーするチャンスを見送って、個人としての挑戦を先延ばしにした先に、次のチャンスをつかむことは年齢的に現実的な選択肢なのか。
このクラブでサッカー人生を終えるという考えもあった中で、今回移籍を決断した一番の理由は、自分のこれからのキャリア、選手としてどうなりたいかを考えたときに、日本代表として日の丸を背負って2026年のワールドカップでプレーしたいという気持ちがとても大きく、そのためにはこのタイミングで挑戦するのが一番良いと考えたからです。
昨年初めて日本代表に選出いただき、代表チームの中でプレーし、他の代表選手たちから強烈な刺激を受けたことで、この気持ちは日に日に大きくなってきました。
クラブからは強い慰留を受けましたが、最後は「アカデミー出身選手がチームを引っ張り、成長させることはとても重要なことだけど、個人として成長した姿を世界の大舞台で見せることで、アカデミーの選手が目標にしたり憧れる存在になることも重要だ」と言ってくださり、僕の意志を尊重してくださったことを本当に感謝しています。
そして何より、ファン・サポーターのみなさんには言葉に言い表せないほどの感謝をしています。
このクラブにとって、ファン・サポーターの存在というのは本当に大きいもので、みなさんと一緒に、浦和レッズのエンブレムを胸に付けて闘えたことを本当に誇りに思っています。
ホームでもアウェイでも、国内だけではなく国外でも、毎試合素晴らしい雰囲気の中で闘うことができたのはファン・サポーターのみなさんのおかげですし、厳しい声も含めて、多くの声援をいただく中で、成長させていただいたと思っています。
本当にありがとうございました。
今回の決断は、すべてのファン・サポーターのみなさんに受け入れていただけるものではないと思っていますし、これからも応援したいとは思っていただけないかもしれないことを理解していますし、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
ですが、僕がこれまで浦和レッズの一員として表現してきたプレー、発した言葉、お見せした態度に偽りはなく、愛情と責任をもってこのエンブレムと向き合ってきたことだけは、どうかご理解いただきたいです。
初めて埼スタのピッチに繋がる階段を上った日。
初めて名前をコールされて泣きそうになった日。
初めてチャントが歌われたうれしさと同時に、長谷部さんと同じチャントに背筋が伸びた日。
コロナ禍で声出しの無い、独特な雰囲気の中、劇的な勝利を収めた天皇杯決勝。
地響きのような声と手拍子に勇気づけられ、いくらでも走れると感じたACL決勝。
プロ選手として3年半、アカデミー時代を含めると約10年間このクラブで闘ってこられたこと。
短い時間にはなってしまいましたが、浦和レッズのキャプテンとして闘えたこと。
浦和レッズのファン・サポーターのみなさんと一緒に闘ってこられたこと。
数え上げればきりがないですが、浦和レッズの一員として過ごした全ての時間が本当に特別で幸せな時間でした。
ありがとうございました」