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FCインゴルシュタット04への移籍を受けて
6日、FCインゴルシュタット04への移籍について発表された関根貴大は、トレーニング後、メディアからの取材に対応した。また山道守彦強化本部長も、メディアからの取材に応じ、移籍の経緯などについて語った。
関根貴大
【質疑応答】
(FCインゴルシュタット04への移籍は、いくつか選択肢があった中で決めたのか?)
「なかなかオファーがもらえていなかった中で、インゴルシュタットからオファーをいただきました。チーム状況やこのタイミングということもあって悩みましたが、挑戦したいと一番に思いましたし、向こうに行ってさらに成長できることだけを信じて挑戦したいです」
(移籍にあたって誰かに相談はしたのか?)
「(原口)元気君には一番に連絡をしました。その中で後押しをしてもらいました。向こうに行かなければ感じられないものはあると思いますし、それはなるべく早い方がいいと思っていました。そこからさらにステップアップしていけるように、移籍を決断しました。
元気君からは、シンプルに『おまえは行きたいのか行きたくないのか』ということを言われました。チームの状況もありましたが、自分の気持ちに素直になって、本当に行きたいと思ったので、それが一番大きかったと思います」
(堀監督からはどんな言葉を掛けられたのか?)
「一緒に戦ってほしい、まだACLなども残っている中で、このチームで戦力として戦ってほしいと言われました」
(現時点でFCインゴルシュタット04について知っていることは?)
「2004年からできたチームで、3部で戦って2部に上がって、昨シーズンと一昨年のシーズンは1部で戦いましたが、今年はまた2部からスタートしているチームです。今年は1年で1部に戻るという目標を持っていると思いますし、そういったチームに行けることは、自分にとっても大きなチャンスだと思っています。いまリーグは2部が始まっていて、2節が終わって2敗していましたが、厳しい状況の中で自分がどれだけチームを変えられるかが楽しみです。スタジアムは埼玉スタジアムと比べたら小さいスタジアムですが、そういう新たな環境の中で自分がどれだけできるのかが楽しみです」
(子供の頃から海外への憧れがあったと思うが、どれくらいの時期から現実的になったのか?)
「プロ1年目と2年目は、漠然とした目標でした。Jリーグに出て活躍することを考えるだけで精いっぱいでした。海外に行くことを目標にやっていましたが、現実味を帯びないというか、イメージもまだ沸かない中で、今シーズンが始まる前にドイツに行って生で試合を見て、ここであらためてプレーしたいと思いました。今シーズン、ACLやドルトムントとの試合に臨んだ中で、少しでも可能性があるのではないかと思い、今年になってより明確に目標が見えてきました」
(2013年にユースから昇格して思い出に残っていることは?)
「プロ初ゴールとなったセレッソ大阪戦のゴールは、今でも忘れられないです。あのゴールでチームに認めてもらえたというか、みんなに喜んでもらえた瞬間だったので、とてもよく覚えています。浦和では3年半のサッカー人生でしたが、毎日が楽しかったです。尊敬できる先輩たちが多くいたので、自分は生意気な後輩だったと思いますが、それでもかわいがってくれて、チームメートには感謝しかないです」
(浦和の生え抜きとして海外に挑戦することは、今の育成の後輩たちにもプラスになるのでは?)
「そこは自分も元気君を見ていたように、後輩たちが自分や元気君を見て目標を持ってほしいと思います。この移籍にあたって、育成出身の後輩がプロになって、試合に出て活躍する、そんな選手が一人でも多く出てきてくれることを信じていきたいです。自分も海外でがんばっていれば、そういう刺激を与えられる存在になると思うので、浦和から世界に行くという道を、後輩たちにもつなげていってほしいと思います」
(移籍を決める上で、来年のワールドカップも視野に入れているのか?)
「まだ代表に入ったこともないので、そこはまだ考えられていません。ただ、そこに行くためにも海外に行ってもまれることが一番早いのかなと思います。厳しい環境の中で、自分がどれだけやれるかを見せることで、評価も変わってくると思います。自分も成長できると思うので、そこはつながってくると思います」
(完全移籍となるが、浦和でもう一度という気持ちはあるか?)
「日本に帰ってくるならこのクラブしかありません。戻ってくるためには、向こうで試合に出て活躍して、浦和にまた必要とされる存在でいなければいけないと思います。いつになるか分かりませんが、できるだけ長く向こうで活躍できるようにしたいです。その先のことはまだ分からないので難しいですが、また戻ってきたいと思います」
(ブンデスリーガの印象と、自身のどこを生かしていきたいか?)
「球際やフィジカルのところはより激しいと思うので、きれいなサッカーというよりは、泥臭いところが大事になってくると思います。浦和のようにチームで戦うというよりは、個が大事になってくると思います。そこが勝負していきたいところなので、どれだけ通じるのか、どれだけのレベルなのかを肌で感じられると思います。そこでできることとできないことが出てくると思うので、それに対してしっかり考えながら、賢く成長していきたいです」
(個の部分を試したい部分で、ドイツの選択肢は最初から大きかったのか?)
「日本人選手も多いですし、その中で成功している選手も何人かいるので、一番イメージしやすいリーグだったと思います」
(FCインゴルシュタット04には、埼玉県出身の渡辺選手が所属しているが?)
「面識はないですが、年は自分の一つ下になります」
(向こうでミシャ前監督に会う機会もあるのでは?)
「ミシャさんにも移籍の話はしましたが、そのときもそういう話になりました」
(関根選手はファン・サポーターに愛された選手だと思うが?)
「ファン・サポーターに対しては感謝しかありません。つらいときもいいときも支えてくれたのはみなさんの声でした。自分がボールを持ったときにあれだけの声援をくれて、本当にすばらしい環境を作ってくれました。それがなくなってしまうのは寂しいですが、海外に行ってよかったねと言われるくらい活躍することが、みなさんに対しての恩返しになると思っています。負けずに向こうでもがんばっていきたいです」
(ドイツ語は分かるのか?)
「ドイツ語はまったく分かりません。いくつか単語が分かるくらいです。英語は少しです」
(今は不安と期待が入り交じっている感じか?)
「今は楽しみな部分が大きいです。言葉の壁や文化だったり、そこは大変だと思います。サッカーもはじめからうまくいくかは分かりません。ただ、強い気持ちを持っていきたいです」
(同期のメンバーは大学を卒業したり、新たな進路に向かっていくが?)
「ユース時代の仲間には、彼らが大学を卒業してプロになるまでに、自分は海外に行くと言っていました。そこは最低限できたかなと思います(笑)。彼らも絶対にプロになると思うので、お互いに刺激しあえる存在になりたいです」
(ドイツでの1年目のシーズンの目標について)
「試合に出ることはもちろんですが、1試合でも多く自分のよさを出していきたいです。私生活では言葉のところなど、サッカーに影響がないように早く馴染んでやっていきたいです」
山道守彦強化本部長
【質疑応答】
(完全移籍の経緯について)
「FCインゴルシュタット04から、条件も含めたレターが届いたのが、7月末でした。その中で、関根選手は海外志向があり、インゴルシュタットが提示したものが、容認する内容のものだったということです。
関根選手とも話しをした中で、移籍をしたいという強い気持ちがあることを告げられました。一方で、クラブとしては、シーズン中で監督が替わるなど、いろいろな状況もあったので、どう考えるかの議論を、本人を交えて、監督、社長、強化部門で話し合いました。
そして、浦和レッズとして育成の原点に立ち返ったときに、我々が育てた選手が海外に羽ばたくということは、すばらしいことですし、後押ししなければいけないという結論に至りました。原口もヘルタ・ベルリンで活躍して代表に入り、今度は関根が羽ばたいていこうとしていることは、これからの育成年代の選手にとっても、大きな希望や刺激になると思います。
冒頭にお話ししたとおり、育成部門に対しての環境整備ができるだけの移籍金も得られますから、原口が移籍した際のレッズランドの人工芝を見ていただいた方もいらっしゃると思いますが、同じようなものが、今度は24番でできる可能性も十分にあると思いますし、そういうものを残していきたいと思いました。育成の選手が海外に羽ばたくときに、浦和レッズに対してなにがしかのものを残していってくれることは、サイクルとしてはいいものだと思っています。今後、ユースで育った選手が浦和レッズのトップで活躍して海外に行き、また選手が羽ばたく中で成長して、その返礼のような形で施設などが整備されて、それがはっきりと彼が移籍したときのもので、浦和レッズに残したものだということが明確になるようにしていきたいと考えています。そういうメッセージを私も出しているつもりですし、関根もそういう形で移籍するということは、一つのサイクルとしてはよかったと思います。
こういう状況のタイミングですが、自分たちの選手が海外に挑戦して羽ばたいていくことは、すばらしいことだと思っています。背中を押してがんばってこいという思いと、やり終えてまた浦和レッズのピッチで成長した姿を見せてもらいたいという気持ちがあります」
(関根選手が加入する前に、梅崎選手のような選手になってほしいと言っていたが?)
「高校3年生のときからすばらしい選手でした。以前、ユース時代に朝練をやっている中で、私も一緒につきあって彼のことを見ていました。素走りのメニューをしていたんですが、朝起きるのがつらくて苦しいことをやらされている中で、どれだけ我慢ができるのか、粘りがあるのかだけを見ていました。そのときに、いやいややっていない様子が見て取れて、根性があるなと思っていました。ユース時代は4-4-2や4-1-4-1のワイドをやっていたので、サイドアタッカーはできますし、前の選手だったので、当時は梅崎選手がシャドーやウィングバックをやっていたので、最初の合宿でも、同じ部屋にしました。それで梅崎選手のようになってほしいと言ったのだと思います。
違約金が発生して海外からオファーがあるのだから、順調に成長をしたのだと思います。その一つは彼のキャラクターだと思います。物事に対して素直ですから、そういった部分が早い成長につながったのではと感じるところはあります」
(いずれは浦和レッズに戻ってくるためにがんばってほしいという思いか?)
「長谷部、元気、タカ(関根)など、浦和レッズから巣立っていった選手は、もちろん条件はありますが、私は扉は開いていると思っています。成長した姿をまたピッチで示してほしいですし、それがまた日本サッカーにプラスになります。浦和レッズの他の選手にとってもプラスになると思います。そういうことはタイミングが合えばやっていきたいですし、そういう関係も構築しているつもりです」
(在籍した3年半の中で、一番成長した部分について)
「ユースのときはちょくちょくケガがあったのですが、プロになりケガをしなくなりました。身長も167cmくらいしかありませんが、あの身体で106試合出ているということは、ほとんどの試合でコンスタントに出ていることの証明だと思います。メディカルチームや指導者のケアもありながら、鉄が熱いうちに打たれていった成果ではないかと思います。原口もそうですが、ケガをしないというのはこの世界で大きな武器です。そういうこともプラスになって、試合経験と継続性と、修羅場をくぐる試合にも多く出ることができたので、いろいろなことが相まってトータルとして急激に成長する流れに乗ったのかなと思います。またタイトルを争う試合などを何度も経験して、勝てなくても満員のスタジアムで試合ができたことは、成長の一つの要素になったと思います。点を取れるようになってきて、成長の幅も広がっていったと思います」
(関根選手が移籍してチームの戦力的な部分では?)
「レギュラーの選手ですから、そこはあると思います。基本的な考え方で、一つのポジションを2人で争わなければいけないと考えているのですが、去年に梅崎が膝を痛めて3月くらいに復帰というときで、ワイドができる選手という意味で年齢的にも生きがいい選手は5人揃えました。関根、宇賀神、菊池、駒井、梅崎です。それに加えて、経験豊富な(平川)忠亮がいて、トシ(高木)もワイドができます。こういうこともあるかと思って、少し厚めに選手を置いていました。基本的には、ポジション×2で優秀な選手をそろえています。今回、ワイドのところでは5人プラスアルファで作っているつもりなので、梅崎もやってくれるだろうし、菊池も昨日の試合ではやってくれたので、ここからさらに競争が始まっていくと思います。
そこを乗り越えることがクラブですし、チームが苦しい状況だから、関根の海外移籍を認めないというのもおかしな話です。彼には原口の背中を追いかけてほしいですし、だから関根は24番を背負っているということもあると思います。私たちがそこを否定したら、クラブの成長がなくなってしまいます。目先の結果ももちろん大事ですが、それを超越するようなこともあるのではないかと、クラブスタッフの中で話をしました。こうした状況も、みんなで切磋琢磨して乗り越えていこうということも、今日のミーティングで話しをしました。
ファン・サポーターのみなさんには、次の甲府戦で、彼を送り出すメッセージを、小さくても出していただけたら大変うれしいです。クラブもこういうタイミングですが、『がんばれタカ』というメッセージを伝えています」
【浦和レッズオフィシャルメディア(URD:OM)】
関根貴大
【質疑応答】
(FCインゴルシュタット04への移籍は、いくつか選択肢があった中で決めたのか?)
「なかなかオファーがもらえていなかった中で、インゴルシュタットからオファーをいただきました。チーム状況やこのタイミングということもあって悩みましたが、挑戦したいと一番に思いましたし、向こうに行ってさらに成長できることだけを信じて挑戦したいです」
(移籍にあたって誰かに相談はしたのか?)
「(原口)元気君には一番に連絡をしました。その中で後押しをしてもらいました。向こうに行かなければ感じられないものはあると思いますし、それはなるべく早い方がいいと思っていました。そこからさらにステップアップしていけるように、移籍を決断しました。
元気君からは、シンプルに『おまえは行きたいのか行きたくないのか』ということを言われました。チームの状況もありましたが、自分の気持ちに素直になって、本当に行きたいと思ったので、それが一番大きかったと思います」
(堀監督からはどんな言葉を掛けられたのか?)
「一緒に戦ってほしい、まだACLなども残っている中で、このチームで戦力として戦ってほしいと言われました」
(現時点でFCインゴルシュタット04について知っていることは?)
「2004年からできたチームで、3部で戦って2部に上がって、昨シーズンと一昨年のシーズンは1部で戦いましたが、今年はまた2部からスタートしているチームです。今年は1年で1部に戻るという目標を持っていると思いますし、そういったチームに行けることは、自分にとっても大きなチャンスだと思っています。いまリーグは2部が始まっていて、2節が終わって2敗していましたが、厳しい状況の中で自分がどれだけチームを変えられるかが楽しみです。スタジアムは埼玉スタジアムと比べたら小さいスタジアムですが、そういう新たな環境の中で自分がどれだけできるのかが楽しみです」
(子供の頃から海外への憧れがあったと思うが、どれくらいの時期から現実的になったのか?)
「プロ1年目と2年目は、漠然とした目標でした。Jリーグに出て活躍することを考えるだけで精いっぱいでした。海外に行くことを目標にやっていましたが、現実味を帯びないというか、イメージもまだ沸かない中で、今シーズンが始まる前にドイツに行って生で試合を見て、ここであらためてプレーしたいと思いました。今シーズン、ACLやドルトムントとの試合に臨んだ中で、少しでも可能性があるのではないかと思い、今年になってより明確に目標が見えてきました」
(2013年にユースから昇格して思い出に残っていることは?)
「プロ初ゴールとなったセレッソ大阪戦のゴールは、今でも忘れられないです。あのゴールでチームに認めてもらえたというか、みんなに喜んでもらえた瞬間だったので、とてもよく覚えています。浦和では3年半のサッカー人生でしたが、毎日が楽しかったです。尊敬できる先輩たちが多くいたので、自分は生意気な後輩だったと思いますが、それでもかわいがってくれて、チームメートには感謝しかないです」
(浦和の生え抜きとして海外に挑戦することは、今の育成の後輩たちにもプラスになるのでは?)
「そこは自分も元気君を見ていたように、後輩たちが自分や元気君を見て目標を持ってほしいと思います。この移籍にあたって、育成出身の後輩がプロになって、試合に出て活躍する、そんな選手が一人でも多く出てきてくれることを信じていきたいです。自分も海外でがんばっていれば、そういう刺激を与えられる存在になると思うので、浦和から世界に行くという道を、後輩たちにもつなげていってほしいと思います」
(移籍を決める上で、来年のワールドカップも視野に入れているのか?)
「まだ代表に入ったこともないので、そこはまだ考えられていません。ただ、そこに行くためにも海外に行ってもまれることが一番早いのかなと思います。厳しい環境の中で、自分がどれだけやれるかを見せることで、評価も変わってくると思います。自分も成長できると思うので、そこはつながってくると思います」
(完全移籍となるが、浦和でもう一度という気持ちはあるか?)
「日本に帰ってくるならこのクラブしかありません。戻ってくるためには、向こうで試合に出て活躍して、浦和にまた必要とされる存在でいなければいけないと思います。いつになるか分かりませんが、できるだけ長く向こうで活躍できるようにしたいです。その先のことはまだ分からないので難しいですが、また戻ってきたいと思います」
(ブンデスリーガの印象と、自身のどこを生かしていきたいか?)
「球際やフィジカルのところはより激しいと思うので、きれいなサッカーというよりは、泥臭いところが大事になってくると思います。浦和のようにチームで戦うというよりは、個が大事になってくると思います。そこが勝負していきたいところなので、どれだけ通じるのか、どれだけのレベルなのかを肌で感じられると思います。そこでできることとできないことが出てくると思うので、それに対してしっかり考えながら、賢く成長していきたいです」
(個の部分を試したい部分で、ドイツの選択肢は最初から大きかったのか?)
「日本人選手も多いですし、その中で成功している選手も何人かいるので、一番イメージしやすいリーグだったと思います」
(FCインゴルシュタット04には、埼玉県出身の渡辺選手が所属しているが?)
「面識はないですが、年は自分の一つ下になります」
(向こうでミシャ前監督に会う機会もあるのでは?)
「ミシャさんにも移籍の話はしましたが、そのときもそういう話になりました」
(関根選手はファン・サポーターに愛された選手だと思うが?)
「ファン・サポーターに対しては感謝しかありません。つらいときもいいときも支えてくれたのはみなさんの声でした。自分がボールを持ったときにあれだけの声援をくれて、本当にすばらしい環境を作ってくれました。それがなくなってしまうのは寂しいですが、海外に行ってよかったねと言われるくらい活躍することが、みなさんに対しての恩返しになると思っています。負けずに向こうでもがんばっていきたいです」
(ドイツ語は分かるのか?)
「ドイツ語はまったく分かりません。いくつか単語が分かるくらいです。英語は少しです」
(今は不安と期待が入り交じっている感じか?)
「今は楽しみな部分が大きいです。言葉の壁や文化だったり、そこは大変だと思います。サッカーもはじめからうまくいくかは分かりません。ただ、強い気持ちを持っていきたいです」
(同期のメンバーは大学を卒業したり、新たな進路に向かっていくが?)
「ユース時代の仲間には、彼らが大学を卒業してプロになるまでに、自分は海外に行くと言っていました。そこは最低限できたかなと思います(笑)。彼らも絶対にプロになると思うので、お互いに刺激しあえる存在になりたいです」
(ドイツでの1年目のシーズンの目標について)
「試合に出ることはもちろんですが、1試合でも多く自分のよさを出していきたいです。私生活では言葉のところなど、サッカーに影響がないように早く馴染んでやっていきたいです」
山道守彦強化本部長
【質疑応答】
(完全移籍の経緯について)
「FCインゴルシュタット04から、条件も含めたレターが届いたのが、7月末でした。その中で、関根選手は海外志向があり、インゴルシュタットが提示したものが、容認する内容のものだったということです。
関根選手とも話しをした中で、移籍をしたいという強い気持ちがあることを告げられました。一方で、クラブとしては、シーズン中で監督が替わるなど、いろいろな状況もあったので、どう考えるかの議論を、本人を交えて、監督、社長、強化部門で話し合いました。
そして、浦和レッズとして育成の原点に立ち返ったときに、我々が育てた選手が海外に羽ばたくということは、すばらしいことですし、後押ししなければいけないという結論に至りました。原口もヘルタ・ベルリンで活躍して代表に入り、今度は関根が羽ばたいていこうとしていることは、これからの育成年代の選手にとっても、大きな希望や刺激になると思います。
冒頭にお話ししたとおり、育成部門に対しての環境整備ができるだけの移籍金も得られますから、原口が移籍した際のレッズランドの人工芝を見ていただいた方もいらっしゃると思いますが、同じようなものが、今度は24番でできる可能性も十分にあると思いますし、そういうものを残していきたいと思いました。育成の選手が海外に羽ばたくときに、浦和レッズに対してなにがしかのものを残していってくれることは、サイクルとしてはいいものだと思っています。今後、ユースで育った選手が浦和レッズのトップで活躍して海外に行き、また選手が羽ばたく中で成長して、その返礼のような形で施設などが整備されて、それがはっきりと彼が移籍したときのもので、浦和レッズに残したものだということが明確になるようにしていきたいと考えています。そういうメッセージを私も出しているつもりですし、関根もそういう形で移籍するということは、一つのサイクルとしてはよかったと思います。
こういう状況のタイミングですが、自分たちの選手が海外に挑戦して羽ばたいていくことは、すばらしいことだと思っています。背中を押してがんばってこいという思いと、やり終えてまた浦和レッズのピッチで成長した姿を見せてもらいたいという気持ちがあります」
(関根選手が加入する前に、梅崎選手のような選手になってほしいと言っていたが?)
「高校3年生のときからすばらしい選手でした。以前、ユース時代に朝練をやっている中で、私も一緒につきあって彼のことを見ていました。素走りのメニューをしていたんですが、朝起きるのがつらくて苦しいことをやらされている中で、どれだけ我慢ができるのか、粘りがあるのかだけを見ていました。そのときに、いやいややっていない様子が見て取れて、根性があるなと思っていました。ユース時代は4-4-2や4-1-4-1のワイドをやっていたので、サイドアタッカーはできますし、前の選手だったので、当時は梅崎選手がシャドーやウィングバックをやっていたので、最初の合宿でも、同じ部屋にしました。それで梅崎選手のようになってほしいと言ったのだと思います。
違約金が発生して海外からオファーがあるのだから、順調に成長をしたのだと思います。その一つは彼のキャラクターだと思います。物事に対して素直ですから、そういった部分が早い成長につながったのではと感じるところはあります」
(いずれは浦和レッズに戻ってくるためにがんばってほしいという思いか?)
「長谷部、元気、タカ(関根)など、浦和レッズから巣立っていった選手は、もちろん条件はありますが、私は扉は開いていると思っています。成長した姿をまたピッチで示してほしいですし、それがまた日本サッカーにプラスになります。浦和レッズの他の選手にとってもプラスになると思います。そういうことはタイミングが合えばやっていきたいですし、そういう関係も構築しているつもりです」
(在籍した3年半の中で、一番成長した部分について)
「ユースのときはちょくちょくケガがあったのですが、プロになりケガをしなくなりました。身長も167cmくらいしかありませんが、あの身体で106試合出ているということは、ほとんどの試合でコンスタントに出ていることの証明だと思います。メディカルチームや指導者のケアもありながら、鉄が熱いうちに打たれていった成果ではないかと思います。原口もそうですが、ケガをしないというのはこの世界で大きな武器です。そういうこともプラスになって、試合経験と継続性と、修羅場をくぐる試合にも多く出ることができたので、いろいろなことが相まってトータルとして急激に成長する流れに乗ったのかなと思います。またタイトルを争う試合などを何度も経験して、勝てなくても満員のスタジアムで試合ができたことは、成長の一つの要素になったと思います。点を取れるようになってきて、成長の幅も広がっていったと思います」
(関根選手が移籍してチームの戦力的な部分では?)
「レギュラーの選手ですから、そこはあると思います。基本的な考え方で、一つのポジションを2人で争わなければいけないと考えているのですが、去年に梅崎が膝を痛めて3月くらいに復帰というときで、ワイドができる選手という意味で年齢的にも生きがいい選手は5人揃えました。関根、宇賀神、菊池、駒井、梅崎です。それに加えて、経験豊富な(平川)忠亮がいて、トシ(高木)もワイドができます。こういうこともあるかと思って、少し厚めに選手を置いていました。基本的には、ポジション×2で優秀な選手をそろえています。今回、ワイドのところでは5人プラスアルファで作っているつもりなので、梅崎もやってくれるだろうし、菊池も昨日の試合ではやってくれたので、ここからさらに競争が始まっていくと思います。
そこを乗り越えることがクラブですし、チームが苦しい状況だから、関根の海外移籍を認めないというのもおかしな話です。彼には原口の背中を追いかけてほしいですし、だから関根は24番を背負っているということもあると思います。私たちがそこを否定したら、クラブの成長がなくなってしまいます。目先の結果ももちろん大事ですが、それを超越するようなこともあるのではないかと、クラブスタッフの中で話をしました。こうした状況も、みんなで切磋琢磨して乗り越えていこうということも、今日のミーティングで話しをしました。
ファン・サポーターのみなさんには、次の甲府戦で、彼を送り出すメッセージを、小さくても出していただけたら大変うれしいです。クラブもこういうタイミングですが、『がんばれタカ』というメッセージを伝えています」
【浦和レッズオフィシャルメディア(URD:OM)】