新しくリカルド ロドリゲス監督が就任し、選手も約3分の1が入れ替わったシーズン。始動からキャンプを含めた練習も感染防止措置が取られ、試合も入場制限がある状態で開幕を迎えた。
4年ぶりにキャプテンとなった阿部はこの年、プロになってから背番号と同じ22年目を迎えた。開幕前には「振り返ると、ここまでやってこられたんだなと思う」と感慨深げだったが、このときからあるいは現役最後の年になるかもしれない、と感じていたのだろうか。
レッズは阿部の活躍でシーズンの幕を開けた。Jリーグ開幕のホームFC東京戦で、セットプレーのこぼれ球を蹴り込み、チーム初得点となる先制ゴールを挙げた。第3節のホーム横浜FC戦ではPKを決めて2点目。チーム得点としても2ゴール目だった。5月9日の第13節仙台戦では、2018年8月19日の清水戦以来3年ぶりにFKから直接ゴールを決めた。早くもリーグ戦で、それもホームゲームばかりで3得点、“伝家の宝刀”FK直接ゴールも飛び出したとあっては、「引退」の二文字を想像する者はいなかった。
しかし8月9日、第23節・札幌戦の途中出場を最後に試合のメンバーから名前がなくなる。練習でも別メニューが続いた。
10月半ばには練習に復帰したが、そのときにはすでにシーズン限りでの引退を決意し、その旨をクラブにも伝えていた。
お世話になった人たちには自ら引退を報告したい。
その思いをクラブも尊重し、引退の情報は約2ヵ月間、秘された。
「クラブからの重大なお知らせ」
レッズ始まって以来の、内容を伏せた記者会見が11月14日に開かれ、そこで約1時間、阿部は途中何度も声を詰まらせながら、22年間の思いを吐露した。
翌日、大原の練習場では、晴れ晴れとした表情の阿部勇樹がいた。
それからは、さまざまなメディアの取材にも応じつつ、引退へのカウントダウンが始まった。
11月27日、ホーム最終節。試合が終わった後、今季で契約満了ととなったトーマス デン、槙野智章、宇賀神友弥に続いて、挨拶に立った阿部は、丁寧な言葉でレッズの関係者や選手、家族にお礼を述べ、最後にファン・サポーターへ一緒に闘ってくれたことへの感謝を表明しこれからの浦和レッズを支えていって欲しいという呼び掛けを行った。セレモニーのあと、チームと共に場内を一周した阿部が北のゴール裏に差し掛かると、のべ14シーズンの戦いを讃える文字と絵が浮かび上がった。人の手によって掲げられるビジュアルは今季ホームでは初めてだった。
その1週間後のJリーグ最終節。アウェイ名古屋戦で阿部は4ヵ月ぶりにメンバー入りした。両チームとも持ち味を出しながら集中した守備でスコアレスが続く中、80分にピッチへ送り出された。アディショナルタイムを含め15分間、阿部は現役最後のプレーを披露した。それまでレッズが攻勢を取っていたペースを変えず、最後まで攻め続けながらドローで試合を終えた。
そこからの2週間は、最後に残されたタイトル、第101回天皇杯を獲得するための準備に費やされた。選手の誰もが「阿部ちゃんに天皇杯を掲げて欲しい」という思いでいっぱいだった。12月12日の準決勝では、ルヴァンカップ準決勝で敗れた相手、C大阪にしっかりと借りを返した。
12月19日、チームとして初めて足を踏み入れた新国立競技場。天皇杯決勝の相手、準決勝でJリーグ王者の川崎を破って進出してきた大分は、6シーズンにわたって指揮を執ってチームをJ3からJ1まで引き上げ、今季で退任する片野坂知宏監督のために、と選手が燃えていた。早い時間に先制したレッズだが、その後追加点が取れず、ちょうど90分に差し掛かった時間帯に追い付かれた。沸き立つ大分に対して冷静に勝ち越し点を取りに行ったレッズはCKのリバウンドを柴戸がミドルシュート。これを槙野が頭でコースを変え、ネットにたたき込んだ。
思いもよらない劇的な形でタイトルと来季のACL出場権を手にしたレッズは、表彰式の後、登録選手全員とスタッフが集まり、阿部がキャプテンとして最後のカップを高々と掲げた。
引退を表明して以降、阿部の口から「最後に自分が天皇杯を掲げたい」という言葉を聞くことはなかった。しかし、これからのレッズのために若い選手たちがアジアで戦う経験を積むことは絶対に必要だ、と強調していた。そのためにこの天皇杯を獲りたいという願いは叶った。
そしてファン・サポーターに対しては、今後のレッズを支えていきながら選手たちに「浦和レッズで闘う責任」を教えてあげてほしいと願う一方、子どもたちが『浦和レッズの応援ってすごい』『俺たちも応援していきたい』と思われるような存在になって欲しいと提言もしていた。
阿部勇樹は最後まで、今後の浦和レッズに思いを馳せていた。今季で現役生活にピリオドを打ったが、彼の願いは来季以降もクラブ、チーム、サポーターの中に受け継がれていくだろう。